深海ライブラリ📕

深海の底に眠る過去の記録に光を当てる。揺り起こす。

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    P.S. I usually post in Japanese. Automatic translation is often incorrect and misleading. This time, I’ll supplement it in English.
    In 2017, I read a book written by Ryohei Kasai in Japanese, “Asako,” India’s Freedom Patriot. At that time, I was deeply impressed by the story of Asako-san’s life and wished I could meet her.

    Today, that wish has come true. Asako (Asha), her son, Sanjay, and Sanjay’s daughter-in-law, Tanvi, came to our house.

    Today, I took a video while I was talking to Asako-san in Japanese. The video will be edited, subtitled in English, and posted on Youtube in the near future.

    A short video of our recent ZOOM meeting is also uploaded on Youtube. Please take a look.

    🇮🇳🇯🇵今朝、朝子さんが我が家へ遊びに来てくださった。ご子息のサンジェイ、そしてサンジェイのご子息であるタヌージの妻、タンヴィと共に。なんとも光栄なことである。

    書き残しておきたいことがいっぱいで、胸も心もいっぱいで、脳みそも混沌としている。

    朝子さんの貴重なお話を、わたしだけがお聞きするのは勿体ない。動画に撮らせていただいた。時間がかかるかもしれないが、大切に編集しようと思う。

    わたしと朝子さんは日本語で。夫とサンジェイ、タンヴィの3人は英語で会話。ゆえに「2班」に分かれての会合となった。

    社交重視の国インドでは、ネットワークの輪が非常に広い。ゆえに共通の友人や知人がいるだろうことは予測していたが、想像以上にご縁の糸がつながっていた模様。タヌージと我が夫は、仕事を通して面識があるなど、会話が尽きぬ様子だった。

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    朝子さんのお話をうかがい、お手玉をしたり(!)、カステラを食べたり、本当に楽しいひととき。

    このところすっかりコレクターとなっている和製マジョリカ・タイル。その中から、ラクシュミーのタイルを選び、ラクシュミーのカードも添えてお贈りした。ラクシュミーを選んだ理由は、動画で言及しようと思う。

    このマジョリカ・タイルは、日本に生まれて、インドに戻っていらした朝子さんと同じ経路を辿っている。

    それから、今年の新年に、夫が友人に贈るからと頼まれた書道の短冊。希望の文字をたくさん書いた。1枚だけ取っておいた希望を、朝子さんにお渡しした。朝子さんの本名「アシャ」は「希望」を意味するのだ。

    いろんな思いが脳裏を巡って落ち着かない。書きたいことは尽きぬが、一旦、昼寝したほうがよさそうだ。(←大切)

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    『インド独立の志士「朝子」』(笠井亮平著/白水社)

    数カ月に一度、日本のアマゾンから取り寄せる日本の書籍。この本を選び、初めて読んだのは2017年のことだった。インド人の両親の元、日本で生まれ育った朝子さん(本名アシャ)の物語。彼女がデリーにて息子夫婦と暮らしていらっしゃる旨、エピローグで知ったとき、「お目にかかりたい……」と思った。

    その朝子さん、そして御子息のサンジェイさんに、昨日、ご縁があってZOOMを通してお会いすることができた。本当に光栄なことだった。

    朝子さんは、1928年(昭和3年)、ビハール出身の父サハーイ、ベンガル出身の母サティの間に神戸で誕生。インド名のアシャは「希望」という意味だという。サハーイは、インドの独立運動に身を投じ、日本を拠点に活動するインド人同志らと深い関わりを持っていた。

    大日本帝国軍と協調、インドの独立を戦いによって勝ち取ろうとしたインド国民軍を代表する革命家、スバス・チャンドラ・ボースと朝子さんのご一家は、懇意にされていた。

    ボースに強い影響を受けた朝子さんは、ボースの掛け声によりシンガポールで誕生した「インド国民軍婦人部隊」に志願。終戦間際の1945年5月に入隊した。

    その後、紆余曲折を経て、印パ分離独立前年の1946年8月、朝子さんは初めて母国インド(コルカタ)の地を踏んだ。彼女の波乱に満ちた人生をかいつまんで記すのは憚られる。ぜひ『インド独立の志士「朝子」』をお読みいただければと思う。

    彼女は今、バンガロールにお住まいのお孫さんのお宅で、御子息のサンジェイさんと共に過ごされている。月曜日の夕刻、わたしはお伺いする予定でいたのだが、当日になりお孫さんがオミクロンに感染されていたことがわかり、昨日の朝、ZOOMを通してお会いしたのだった。

    2月2日に94歳になられたばかりの朝子さん。お耳が遠くなられているので、オンラインでの会話は難しかったが、それでも20分ほど、楽しいひとときを過ごした。昨日の会話を、5分ほどの短い動画に編集してYoutubeにアップロードした。ご覧いただければ幸いだ。

    【出会いの背景】

    昨日のオンラインでの面会が実現したのは、2020年に実施した坂田の「インド・ライフスタイルセミナー」を聴講された元インド駐在員の丹治大佑氏が、先週土曜日にご連絡をくださったことが契機。昨年、Clubhouseが流行った時期、氏がオープンされていたインド関係の部屋に伺った際、同著の著者である笠井氏とも言葉を交わす機会があった。

    取材をされた笠井氏はもちろんのこと、丹治氏も朝子さんと交流されており、現在、バンガロールにいらっしゃる旨、サンジェイさんの連絡先と合わせて連絡してくださった。

    朝子さんとお会いするのに先駆けて、『インド独立の志士「朝子」』を再読、他の情報も得ようとネットで検索している時に、かつてゴアのビーチで偶然お会いし、その後、デリーでもランチをご一緒した日経新聞の岩城聡氏の記事に辿り着いた。笠井さん曰く、ご自身が朝子さんに関心を持つ契機を岩城氏に与えられたとのことで、ご縁の連なりを思う。

    ご縁といえば、2013年の天皇皇后両陛下のインドご訪問。我々夫婦はチェンナイのお茶会にお招きいただき、両陛下(現上皇ご夫妻)とお会いする僥倖を得た。我が夫に至っては、会場で唯一、美智子皇后より手を差し伸べられて握手をしていただいた。朝子さんもまた、デリーにて、皇后陛下と握手をされ感無量だったと同著に記されている。

    朝子さんと我が夫を並べて語るのは失礼なほど、握手の重みが違うことは重々承知の上で、しかし、ここにもご縁を感じる。わたしがこれまでの人生で一番緊張したのは、天皇皇后両陛下にお目にかかったあのときだった。あのときに、人生でどなたかにお会いする際の緊張をすべて使い果たしたと思っている。自分の中の「日本」に、自分でも本当に驚いた経験だった。

    大人になるまでを日本で過ごした朝子さん。二つの祖国を持つ彼女はまた、日印の歴史と友好を身を以って具現化されているように思う。勇敢な魂をお持ちの朝子さんが、この先もお元気でお過ごしになられることをお祈りする。

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    ◉インド独立の志士「朝子」/白水社
    ➡︎ https://www.hakusuisha.co.jp/book/b217566.html

    ◉笠井亮平『インド独立の志士「朝子」』書評/岩城聡(南アジア研究第28号)
    ➡︎ https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjasas/2016/28/2016_194/_pdf/-char/ja

    ◉日本育ちの少女だった私はボースに傾倒、出征した/バーラティ・アシャ・チョードリ(日本経済新聞)
    ➡︎ https://www.nikkei.com/article/DGKDZO62047040S3A101C1BC8000/

    ◉チェンナイにて。天皇皇后両陛下御拝謁のお茶会参席を巡る個人的な体験(2013年12月)
    ➡︎ https://museindia.typepad.jp/library/2013/12/japan.html

    ◉🇮🇳🇯🇵8月15日。インドの独立記念日と日本の終戦記念日が同じ日なのは偶然ではない。印パ分離独立を巡る我がインド家族の物語など。
    ➡︎ https://museindia.typepad.jp/library/2021/08/815.html

    🇮🇳”Asako,” India’s Freedom Patriot
    ➡︎ https://jwh.trannet.co.jp/works/view/9973

    🇮🇳Netaji’s Lieutenants – Rama Khandwala & Asha Sahai Narrate Their Fight For India’s Freedom
    ➡︎ https://www.republicworld.com/india-news/general-news/netajis-lieutenants-rama-khandwala-and-asha-sahai-recall-ina-days.html

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    🌸春の到来を知らせるバサント・パンチャミ(Basant Panchmi)

    ハリヤナやビハール、西ベンガルなど、北インドの複数の州において、今日は「バサント・パンチャミ」と呼ばれる春の到来、そしてサラスヴァティー(サラスワティ)を祝するお祭りだ。年中、温暖な南インドの州では、あまり馴染みがないが、今年も朝から、WhatsAppを通して、友人から、 “Happy Basant Panchami!”のメッセージが届く。

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    個人的に、サラスヴァティーは好きな神様で、さまざまにご縁もあることから、家にはラジャ・ラヴィ・ヴァルマが描いた麗しい絵を飾っている。

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    サンダルウッドのサラスヴァティーは、わたしが移住した当初、著名な歴史学者であり、文化人類学者だった親戚のLotika Varadarajanが、偶然にも贈ってくれたものだ。

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    ➡︎ https://thewire.in/society/lotika-varadarajan-obit

    サラスヴァティーは学問や芸術を司る、弁舌と知恵の女神で、4本の腕を持つ。1組の腕には数珠とヴェーダ(聖典)、もう1組の腕に弦楽器のヴィーナ(琵琶の起源)を持っている。MUSEとは、ギリシャ神話で9人の女神の総称だが、サラスヴァティーは一人でそれを引き受けている感じだ。

    サンスクリット語でサラスヴァティーとは「水(湖)を持つもの」の意。水と豊穣の女神でもあることから、川辺や湖畔にたたずむ姿が描かれる。白鳥あるいは孔雀が乗り物で、白い蓮華に腰掛けている姿は、いかにも優美で美しい。また、サラスヴァティーはゾロアスター教のアナーヒターと同起源でもあるそうだ。

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    🌸ラジャ・ラヴィ・ヴァルマ描くサラスヴァティーを、明治時代の日本で作られたタイルに見る

    インドを知る多くの人が、ラジャ・ラヴィ・ヴァルマの絵画を目にしたことがあるだろう。彼は、絵画を通して、神々の姿を具現化。貧富の差を超え、遍く人々に版画で芸術の世界を広めた伝説のインド画家だ。

    高貴な出自である彼は、英才教育を受け、想像力を育むに申し分のない環境のもとで育った。宮廷画家としてその名を馳せ、インド国内を放浪して多くの貴人を描いた。その一方、印象深いのは、自らの絵画を大量にリトグラフ(版画)印刷し、その絵を貧しい人たちにも普及させたこと。

    わたしの友人であるギタンジャリ(Gitanjali Maini)は、ラジャ・ラヴィ・ヴァルマの作品を保護し振興するNPO、The Raja Ravi Varma Heritage FoundationのCEOだ。故に、昨年、オンラインでのイヴェント「ミューズ・チャリティフェスト2020」を実施した際、数本の動画を提供してもらうことができた。その中の1本はラヴィ・ヴァルマ本人の生涯をたどる動画、もう1本はラヴィ・ヴァルマの末裔であるラクミニ・ヴァルマの動画だ。

    人々が信仰する神々を色鮮やかな色彩とともに具現化したラジャ・ラヴィ・ヴァルマ。当時の芸術界では間違いなく斬新な発想であり、周囲からの批判も多かったのではないかと、容易に想像がつく。この動画を見たことで、彼の生き様がより、魅力的に、興味深く思えてきた。

    さて、彼の描いた絵画をもとに、明治時代の日本で作られてた「タイル」が無数にある。新居の準備に際して購入した調度品にと、骨董品店を通してかなりのタイルを購入した。これはそのうちの一枚。ラジャ・ラヴィ・ヴァルマや和製マジョリカ・タイルについては、詳しく記しているので、関心のある方はぜひ下記をお読みいただければと思う。

    🇯🇵日本から来ました! 欧州発、日本経由インド。旅するマジョリカ・タイル。
    ➡︎ https://museindia.typepad.jp/2021/2021/09/tile.html

    🇮🇳インドの神々を描いた伝説の画家ラジャ・ラヴィ・ヴァルマ
    ➡︎ https://museindia.typepad.jp/library/2021/07/raja.html

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    🌸英国で印刷されたラジャ・ラヴィ・ヴァルマの絵画ポストカード

    これも先日、骨董品店で購入した古いポストカード。印刷の具合と紙質、保存状態のよさに感嘆して購入。こんなにもたくさんのカードをどうするんだという気がしないでもないが、ただ、眺めるだけで楽しいのだ。このカードについても、書きたいことがありすぎるのだが割愛。

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    🌸夫方の祖父とサラスヴァティー。彼はまた鉄鋼ビジネスで、わたしが生まれた1965年に、日本へも訪れていた

    インディラ・ガンディ元首相と写っているのは、夫の母方の祖父。実業家であり、政治家でもあった祖父は、鉄鋼会社、製糖会社など複数の会社を創設した。現在は、いずれも夫の従兄弟が継いでいるが、製糖会社の名前が「サラスヴァティー・シュガー・ミルズ/Saraswati Sugar Mills」というのだ。

    我が夫曰く、インドの実業家の多くは、富の女神ラクシュミを祀る人が多いが、祖父は金銭的利益もさることながら、「知恵や芸術」を重んじていたが故、サラスワティを冠していたという。

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    これは、祖父の書斎かけられていたというタゴールの石膏蔵。2020年、義父の他界時にデリーの家の片付けをした際、撮影した。

    印パ分離独立の直前にラホールからデリーに移った夫の祖父の人生は、あまりにも波乱とドラマに満ちており、十分、映画になるストーリーだ。祖父のことについても、いつかきちんと記録に残しておきたいと思う。

    もしも彼が日本を訪れていなかったら。そして以下のエピソードがなかったら、我が夫はわたしに「ひっかからなかった」かもしれない。

    🌸日本を訪れていた祖父。「名言」に影響を受けていた我が夫(2020年2月の記録より転載)

    「世界で最も幸せなことは、アメリカの家に住み、フランス料理を食べ、日本人の妻を持つこと」

    「世界で最も不幸なことは、日本の家に住み、アメリカ料理を食べ、フランス人の妻を持つこと」

    結婚前には一度も口にしたことがなかったこのフレーズを、結婚後、たびたび持ち出すようになった我が夫。子供のころから、母方の祖父に聞かされていたという。

    故に米国在住時、わたしとともにフランス料理を食べているときには、彼は世界で最も幸せ者だったというわけだ。

    ピストルを携え、大金入りの鞄を車に詰め込み、分離独立直後の印パ国境地帯を猛スピードで走り抜けた祖父。最早、我が脳内では『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』的な映像が展開されているその祖父が、かように軟派な発言をしていたことに違和感だ。

    しかし、先日、ランジート伯父にその件についても問うたところ、事実であった。

    「そうそう。親父はその話をよくしていたよ。KAWASAKIに行ったあとからだから、日本人から聞いたんだと思うよ」

    川崎!?  ゴッドファーザーな祖父もまた、日本に行ったことがあったとは。わたしばかりか、夫さえ知らなかった。現在はランジートの息子、即ちアルヴィンドの従兄弟が継いでいる、祖父創業のISGECという鉄鋼会社及び製糖会社は、今でこそ日立造船や住友金属などと仕事をしているが、祖父の代から日本と関わりがあったとは知らなかった。

    「親父と僕は、1965年ごろ、何度か川崎に行ったよ。当時はビジネスに発展しなかったけどね」

    わたしが生まれたころ、事業家であり政治家でもあった祖父は日本に足を運んでいたのだ。実は、マルハン実家には、母方祖父の思い出の品々も残っており、その中に日本的なものが散見され不思議に思っていたのだが、腑に落ちた。

    🇮🇳🇯🇵8月15日。インドの独立記念日と日本の終戦記念日が同じ日なのは偶然ではない。印パ分離独立を巡る我が家族の物語など。

    〜夫の母方祖父の話が、映画並みにドラマティック。インドに関心がある方はぜひご一読を〜
    ➡︎ https://museindia.typepad.jp/library/2021/08/815.html

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    🌸弁財天の起源としてのサラスヴァティー。我が故郷の名島神社(宗栄寺)の名島弁財天

    転じて、サラスヴァティーと、日本とのご縁。七福神の一人である「弁財天」は、サラスヴァティーが、その起源。大黒天、毘沙門天も、ヒンドゥー教の神様が起源である。

    以下の写真は、十数年前に一時帰国した際、実家の近くにある名島神社を訪れたときのもの。わたしが子どものころから、両親が毎月のように詣っていた場所だ。この名島神社に隣接する宗栄寺に、弁財天が祀られている。そもそもは、名島神社とともに祀られていたが、明治の神仏分離令(←この間の仏教セミナーで言及したばかり)により、「宗栄寺」に分けられたという。

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    🌸おん そらそばてい えいそわか oṃ sarasvatye svāhā

    弁財天の真言である「おん そらそばてい えいそわか oṃ sarasvatye svāhā」の「そらそばてい」とは、「サラスヴァティー」のことである。

    弁財天ではまた、蛇も祀られている。ゆえに巳年のわたしとしては、ここにもまた少なからず、ご縁がある。

    そして一隅にある宝篋印塔(ホウキョウイントウ)。これは、インド史上唯一、仏教を国教としていた時代の統治者、アショーカ王に縁がある。これもまたセミナーで触れたばかり。書きはじめると尽きないので割愛するが、ともあれ、歴史を遡れば、日印の繋がりの多さ、地球の丸さを思い知る。

    最後の写真は、名島の海。昭和6年(1931年)9月17日。今からちょうど90年前。リンドバーグ夫妻が世界各国親善訪問飛行の途中、かつてここにあった「名島水上飛行場」に飛来した。

    幼いころのわたしは、水平線を見るのが好きだった。太陽が照りつける水面に、トビウオが飛ぶさまを、眺めたころの懐かしき。

    うみは ひろいな 大きいな 月がのぼるし 日がしずむ
    うみはおおなみ、あおいなみ ゆれて どこまで つづくやら
    うみにおふねを うかばして いってみたいな よそのくに。

    海の向こうにある世界を想像すらできず、ただ水平線を眺めていたころ。子どものころの好奇心を満たしながら、今のわたしは異郷で生きている。しかし海を越える以前から、異郷の文化は、ひどく身近にあったのだ。

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    安寧の地へお運びするまで、今しばらくお待ちください🙏

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    ✈︎ 2022年1月27日。インドの財閥タタ・グループによる、経営難に陥っていた国営航空エア・インディアの買収手続きが完了した。

    そもそも、 エア・インディアは、タタが1932年にタタ航空として設立し、53年に国有化されていた。ゆえに「お帰りなさい」のムードもあり。

    この人形は、エア・インディアのマスコット、マハラジャくん。おりしも前々日の25日、新居の家具や調度品を調達している骨董品店のオーナーから、マハラジャくんの写真が送られてきた。

    コンディションが良さそうなので、購入を決め、玄関先に置こうと思った矢先でタイムリー。益々、新旧混沌、面白い家になりそうだ。

    ちなみに最後の写真は、毎度おなじみインド乳製品大手アムールの広告。マハラジャくんの姿も見える。かわいい。

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    ☂️季節外れの長雨が続いた今年の後半。ここ数週間は晴れ間が多く、バンガロール@デカン高原らしい爽やかな天候が続いている。

    After the Rain。思えば2020年半ばには完成する予定だった新居。この2年の歳月の、なんともはや。

    ロックダウン。それに伴う資材供給の遅れなど、そもそもの遅延に輪をかけて遅れてきた作業の工程。諸々、うんざりした時期もあったが、今となって全てが歴史。

    パンデミック世界の前と後では、「家」に対する考え方が大きく変わった。わたしだけでなく、世間も変わった。この時期、インドのインテリア市場の趨勢も大いに変革、店舗を巡って実感するのはもちろんのこと、インド版コンデナストの『AD (Architectural Digest)』*などを見るだけでも、ここ数年の変貌ぶりに驚かされる。

    土曜日は、久しぶりに夫婦揃って進捗を見に行った。

    今年中には完成予定だったこともあり、各所で手配していた家具が届き始める。しかし新居はまだ、搬入できる状態ではなく。

    マネジメントオフィス曰く「ほぼ完成しているものの、まだ数カ月先まで引っ越し予定なし」というご近所さんのヴィラにて一時保管状態。

    既述の通り、わたしはインテリア・コーディネーターに発注せず、すべて自分で手配している。関連業者は軽く10を超えており、そこそこマネジメント力が試される。家具だけでも6カ所に分散しているのだが、そのうちの4カ所がこの日搬入。加えて窓枠採寸のため、カーテン作りの業者にも来てもらう。

    15年前、現居の内装工事をしたときの大変さを思うと、比べ物にならないほど楽なのだが、一方で、諸々の選択肢が増えすぎたことによる「迷い」も増えて、時間はかかる。

    たとえば写真のソファー。ヴィンテージのローズウッド(紫檀)のソファーに合うファブリック(布)の選択肢が、途轍もなく多い。そんな中から、絞り込んだこの柄。別の店で購入した他のソファーとのバランス、クッションの具合などとも、写真を撮り、脳内でアレンジし、じわじわと、決めてきた。

    途中で自分の好みがなんなのか、わからなくなるような状況にも陥ったが、今となっては、「わたしが好きと思うもので統一すればよい」という結論に至っている。

    たまに、夫の意見も取り入れつつ。

    ある夜、ネットで検索して発見した木工家具職人、PERMANENT OBJECTSの机やテーブル類も届けられた。

    組み立ては家が完成してからなので、1枚だけ、仕上がりを見せてもらった。その麗しさに、夫婦揃って感嘆する。夫もたいへんお気に召した模様。以前も写真を上げたが、夫の机はより、年輪の風合いがすばらしい。

    新居は来年2月ごろには完成するだろう。

    それまでに、重い腰を上げて、現居の掃除をし、来年にはこの築15年の家の改修工事などもせねばならない。いつの日か、ミューズ・クリエイションのメンバーの子どもたちが、バンガロールへ留学やインターンに来るかも知れず、そのときのために、今の家も整えておかねば……。

    まだまだ遠い先のこと……が、どんどん目の前に迫ってくる歳月。未来をイメージして心の準備をしておくことの大切さを、改めて思う。

    時折、気持ちが沈んだり、あるいは何もかもが面倒になり、うぉーっと投げ出したくなったりするけれど(昨日がそうだった)、気を取り直しながら、未来の灯火を見つめながら、日々、心を更新しながら、生きよう。

    さて、今夜は『教えて! みほ先輩!』のレコーディングにつき。ランチのあとは、準備にかかるとしよう。

    *しつこく書くが、インド市場(ライフスタイル)のトレンドを知る上で、コンデナスト社の雑誌(全種類)を定期購読することは、極めて有効です。

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    3回目の『教えて! みほ先輩!』は、インドのいい香りな石鹸の話題など……と思っていたが、流れで「インドの言語」についてを話すことになった。なにしろ、眞代さんはヒンディー語の先生であり、公開されるチャンネルは、『ナマステMayoTV/ヒンディー語レッスン&インド情報』がテーマである。インドの言語、特にわたしにとってのヒンディー語のことなどにも早い時期に言及しておいた方がいいだろうとの思いで、今回のテーマとなった。

    思い返せば2003年9月初旬のワシントンD.C.。米国生活が長くても、英語力が覚束なかったころ。夫と大喧嘩をしているときに、「ミホは、そのままの英語力でこの先すませるつもり?! 夫の名前すら、まともに発音できないくせに!」と痛いところを突かれた。実はそのころ、ジョージタウン大学の英語コースを受けるか否か迷っていたが、フルタイム3カ月が厳しく思えて諦めていた。

    しかし、夫の言葉が契機となり、「くそぅ! フルタイムで英語の勉強やり直す!」と決め、その年の終盤は、英語学習に明け暮れたのだった。その際の研究論文に『インドの新経済/頭脳流出から頭脳循環、頭脳回帰』を選び、インドの状況を調べているうちに、「これからはインドの時代だ!」と確信した。

    2001年、結婚式を挙げるためにデリーを訪れた際「こんな国、住めない」と思ったにもかかわらず、俄然、インドに住みたくなり、結果、嫌がる夫を説き伏せてインドに移住したのだから、人生とはわからないものである。

    このとき、インドに移住するからには、ヒンディー語を学ばねばと、クラスに数回通った。しかし、今となってはもう……。ということは、動画で語っている。唯一、英語が話せなかったダディマ(祖母)も2007年に他界。誰もわたしにヒンディー語を話せと言ってくる人もおらず、今日に至っている。

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    ⬆︎これらのスクリーンショットは、みほ先輩がワシントンD.C.に住んでいた時の記録。ブログ黎明期につき、まだ使用しておらず。ホームページにブログやインスタグラム的な感じで記録を残していた、まさにソーシャル・メディアの先駆けである。

    【ナマステMayoTV/動画はこちらです】

    🇮🇳『教えて! みほ先輩! 03』 インド、驚きの言語事情(2021年12月11日)

    【関連情報/ブログやサイトなど】

    ◉ヒンディー語と、今は亡きダディマ(祖母)とわたしの交流/書き取り練習(2004年11月)
    ➡︎ http://www.museny.com/2004/india1004-32.htm

    天に召された二人との写真(2004年)……😢 ダディマ、超小さいのに、存在感は超大きかった😂

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    ◉読めない。迫力満点インドマダム@エキシビション(2008年7月)
    ムンバイ在住時の電気代の請求書のエピソードなど
    ➡︎ https://museindia.typepad.jp/2008/2008/07/mumbai-10ca.html

    ◉トヨタ工業技術学校卒業式/日印の狭間で。(2010年7月)
    ➡︎ https://museindia.typepad.jp/2010/2010/07/toyota.html

    ◉ミューズ主催「第1回ビジネス勉強会」横河インディア社長の村田努氏(2017年3月)
    ➡︎ https://museindia.typepad.jp/mss/2017/03/yokogawa.html

    ◉安川電機 YASKAWA INDIAのインバータ製造工場見学記(2018年8月)
    ➡︎ https://museindia.typepad.jp/mss/2018/08/yaskawa.html

    ◉ベンガルール総領事館主催🇯🇵日本語のブランチにて(2018年8月)
    ➡︎ https://museindia.typepad.jp/2018/2018/08/japan.html

    ◉カルナータカ州知事公邸RAJ BHAVANでの催しに参加。ハイティーなど。(2021年12月)
    バンガロールではヒンディー語を使う機会が少ないと言った矢先の、ヒンディー語まみれ。
    ➡︎ https://museindia.typepad.jp/2021/2021/12/raj.html

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    🇯🇵バンガロールで毎年2月に開催されてきた日本祭り JAPAN HABBAの記録
    そもそも、日本語を学ぶインド人の学生たちによって立ち上げられた日本祭り。パンデミック以前は、年々規模を拡大し、数千名の来訪者を数えた。メディアにも紹介されるなど、日本に関心のあるバンガローリアンの間ではよく知られる恒例行事だった。ミューズ・クリエイションが2013年から8回に亘って参加した様子を、ブログに整理している。
    ➡︎ https://museindia.typepad.jp/mss/japan-habba-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%A5%AD%E3%82%8A/

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    ◉みほ先輩、本日着用のインド・ファッション/OCTOBER JAIPUR
    ➡︎ https://www.octoberjaipur.in/

    同じの、2枚買いがち……な、みほ先輩。実はこのトップは、3枚だった。非常に着心地がいいのだ。

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    🖼おまけ。世界遺産のハンピを旅行中。この服で、絵画の中に……紛れ込む。 

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    この絵画は、先日、友人の画家ジャヤ宅で撮影した一枚。新居に飾るために購入した作品のひとつだ。「ハンピのどこかで撮影した」と聞いていた。石柱が連なるこのような建築物は、ハンピにいくつもある。彼女が描いたのは異なる場所だとは思ったが、偶然にも自分が赤い服を着ていることに気づき、同じような状況で写真を撮りたいと思った。居合わせたYPO専属のフォトグラファーに絵の写真を見せたところ、彼は一瞥しただけで、この一枚を撮ってくれた。

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    🌏ラーマーヤナの神話世界に溶け込む🐒時空を超えたハンピ紀行
    ➡︎ https://museindia.typepad.jp/2021/hampi-journey/

    【関連情報/STUDIO MUSE 動画】

    ◉インドの宴は音楽とダンスが不可欠! 友人宅でのパーティで踊りまくる夜

    ◉パラレルワールドが共在するインドを紐解く① 多様性の坩堝インド/多宗教と複雑なコミュニティ/IT産業を中心とした経済成長の背景/現在に息づくガンディの理念

    ◉パラレルワールドが共在するインドを紐解く③明治維新以降、日本とインドの近代交流史〈前編〉人物から辿る日印航路と綿貿易(タゴールの情報あり)/からゆきさん/ムンバイ日本人墓地/日本山妙法寺

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    【BACK ISSUES/過去の『教えて! みほ先輩!】

    🇮🇳『教えて! みほ先輩! 02』 ヒンドゥー教の正月「ディワリ」(2021年11月8日)
    ➡︎ https://museindia.typepad.jp/library/2021/11/diwali.html

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    🇮🇳『教えて! みほ先輩! 01』 インドの可愛いマスク&グッズ(2021年10月27日)
    ➡︎ https://museindia.typepad.jp/library/2021/10/100.html

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    わたしは、去年のロックダウンを機にYoutubeでの配信を開始し、インドライフに関する情報を発信してきた。チャンネル登録者数も視聴者数も極めて少ないが、数少ないコア&すばらしい方々に向けて😄、自分の思うところを発信し続けている。しかし、今年に入ってからは、制作の本数がぐっと落ちていた。

    自分でインドのあれこれを紹介する「インドはステキなものであふれている」略して「インステ」関係の動画も何本か作ったが、素材は山ほどあるのに、なかなか完成に至らない。世の中が動き出し、外出が増えると、動画作りの優先順位が落ちてしまうのが現状だ。

    各種セミナーやバンガロールの街角取材なども、アイデアは脳裏を巡り、ノートにメモは溢れるものの、大半がお蔵入り。

    そんな中、眞代さんとのコラボを始めたことで、「誰かと会話をしながらの撮影」は、モチベーションがあがるのはもちろんのこと、諸々、刺激を得られるし、新たな視界が開けることを実感している。

    『教えて! みほ先輩!』は、眞代さんのチャンネルで公開されているが、わたしも自分のチャンネル向けに、「今のインド」を語り合う企画を始めようかしらん……と、立て込む師走に現実逃避が思い浮かぶ。 

    一体全体、2020年と2021年はどこへ消えたのだ?! 

    というくらい、脳内で歳月がモヤモヤしている。これほど「モヤモヤ」😶‍🌫️という言葉がしっくりくる状況が、かつてあっただろうか、いやない。というくらいに。

    新居の準備に加え、「現居の片付け」という逃げ出したいテーマがど〜んとあるのだが、手付かずのまま今年を終えようとしている。まずい。まずいのだ。今の家も維持するとはいえ、一旦は大掃除をし、多くを新居に送らねばならない。

    そういう一切合切、我が家は妻のミッションにつき……と言いながら、昨日も現実逃避で朗らかに外出。

    さて、これらの写真は次回の『教えて! みほ先輩!』のための参考写真である。何のテーマの話をするか、おわかりいただけるだろうか。

    ふふふ。お楽しみに!

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  • 【追記/2024年2月】 

    🙏6年ぶりにナーグプルを再訪。佐々井秀嶺承認にお会いし、竜樹連峰に登るなどした記録

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    ⬆︎佐々井秀嶺上人によって発掘されたナーグプル郊外マンセル遺跡。2018年4月29日に同遺跡を訪れた際、龍樹ゆかりの南天鉄塔があったと思われる場所で見つけた石像の一部を撮影した。さまざまな事情が絡み合い、発掘作業は頓挫したまま現在に至る。2022年10月に同地を訪問された方の報告によると、この石像は一部が損傷し、もうこのときの姿を残していないようだ。再び地中に埋もれてしまう前に、遺跡一帯の発掘が実現することを切望する。
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    わたしは敬虔な仏教徒でもなければ、仏教に詳しいわけでもない。

    しかし、近代インドの歴史を知る上で不可欠なアンベードカル博士の生涯、そしてインドにおいて半世紀以上にも亘り、壮絶なまでに身を賭して、虐げられし人々を救済し続けている日本人僧侶、佐々井秀嶺上人の足跡を知って以来、ひとりでも多くの日本人に、わたしの知る限りをお伝えしたいと思うに至った。

    *佐々井秀嶺上人は、昨年のインドにおけるCOVID-19第一波の際に感染された。体調を落とされつつも、人々の救済のために、日々尽力されているご様子については、時折、お弟子の竜亀さんとのやりとりでお伺いしている。たとえささやかでも、自分にできることを、続けていく所存だ。

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    【CONTENTS】

    ①アンベードカルと仏教。インドに献身する佐々井秀嶺上人/セミナーYoutube動画(2021年2月)

    ②佐々井秀嶺上人にお会いするため、ナーグプルへ。その稀有な旅の記録(2018年4月)

    ③一時帰国の日本で、偶然のご縁が重なり佐々井上人とお会いした時の記録(2018年11月)

    ④北米アンベードカル協会によるオンライン授賞式の様子(2021年5月)

    ⑤6年ぶりにナーグプルへ。佐々井秀嶺上人にお会いし、竜樹連峰に登る。(2024年2月)

    ⑥35年前に描いた曼荼羅。「自然を貫く果てしない叫び」。(2021年5月)

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    ①アンベードカルと仏教。インドに献身する佐々井秀嶺上人/セミナーYoutube動画(2021年2月)

    パラレルワールドが共在するインドを紐解く⑤
    インド国憲法の草案者、アンベードカルとインド仏教、そして日本人僧侶、佐々井秀嶺上人

    南天竺を舞台に2000年の時間旅行を体験できるセミナーです。インド憲法の草案者アンベードカルと仏教についての説明の後、インドにおいて半世紀以上に亘り、虐げられし民を救済する僧侶、佐々井秀嶺のすさまじき足跡をたどります。

    この歳月の連なりと、佐々井秀嶺上人の数奇な命運を思えば、90分なんて一瞬です。堅そうなテーマながら、資料をわかりやすく編集し、懇切丁寧にお伝えしています。一人でも多くの方に、「最後まで」ご覧いただければ幸いです。

     

    🇮🇳この動画への理解をいっそう深めるために、ぜひ過去のセミナー『パラレルワールドが共在するインドを紐解く①〜④』もご覧ください。

    STUDIO MUSE/SEMINAR インド各種セミナー(ライフスタイル/ビジネス)
    ➡︎https://www.youtube.com/playlist?list=PLtS91Qr_YL53TioXolCLop5pTKNZJuJ_U

    🇮🇳動画内で、アンベードカルの仏教改宗をして「新仏教」と表記していますが、これは英語 “Neo Buddhism” を訳しての表現です。佐々井秀嶺上人の活動は純然たる「仏教」であり、伴って改宗した人々も「仏教徒」と認識されるべきだとのこと。敢えて表現するならば「仏教の復興」とされるようです。

    【セミナー動画の流れ】

    00:00 導入
    00:20 ファシリテーター柴田氏もナーグプルを訪れていた
    02:17 本セミナーに連なる坂田の過去3回のセミナーの簡単な振り返り
    02:56 セミナー開始

    🌕03:31 仏教の概要
    ・仏教のはじまり(初期仏教)
    ・仏教の源泉と広がり(上座部仏教/大乗仏教)
    ・日本に伝来した仏教。その背景
    ・仏教の教え(苦の輪廻からの解脱)
    ・インドにおける仏教(誕生と繁栄、衰退、そして復興)

    🌕14:45 アンベードカルについて
    ・アンベードカルの略歴
    ・アンベードカルの活動とその偉業の断片
    ・アンベードカルとガンディ。カースト制度をめぐる対立
    ・アンベードカルとインド国憲法
    ・アンベードカルと仏教

    🌕27:41 インドの中心点、ナーグプル。蛇(龍)という名
    ・ナーグプル市は仏教徒が非常に多く、識字率が高い

    🌕31:28 佐々井秀嶺上人について
    ・インドに至るまでの経緯
    ・南天龍宮城へ行け。龍樹のお告げ
    ・坂田の祖母の話
    ・龍樹(ナーガルジュナ)とは?
    ・大日如来とは?
    ・南天鉄塔とは?
    ・佐々井秀嶺上人の主な活動

    🌕53:46 坂田マルハン美穂、ナーグプル旅
    ・佐々井上人によって発掘された2000年以上前の仏教遺跡「マンセル遺跡」
    ・早朝から深夜まで。仏陀聖誕祭に因んでのイヴェントにご同行
    ・佐々井上人のことば

    🌕01:27:14 佐々井秀嶺上人の現在/2020年に新型コロナウイルスに感染されるも、使命を遂行されている。ご縁を受けた者に、なにができるのか。

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    【セミナー開催に際して/坂田マルハン美穂を取り巻くインド、そして仏教のご縁】

    資料を紐解くにつけ、目に見えぬ糸で操られ、南天竺に流れ着いた気さえする。インドで生まれた仏教の変遷。憲法の草案者アンベードカル。ダリット出自の彼が仏教に改宗した背景。その偉業を引き継ぐように、龍樹のお導きで、佐々井秀嶺上人がナーグプルにたどりついて半世紀余り。

    日蓮宗の藤井日達上人と近かった我が父方の祖母政子。ゆかりの資料や写真を見るにつけ、ご縁を感じてきたが、自分が年を重ねるにつれ、すべては定められた道の上を歩いてきたに過ぎないのかもしれないとの思いが強くなる。

    建設業者だった父の泰弘は、福岡県久山町の仏舎利塔建立に携わった。1988年に日蓮宗の平和行進(長崎ー広島)が行われた際には、道中の福岡にある坂田の実家に、多くの日印僧侶が1日滞在、母や伯母たちが、寝食のお手伝いをさせていただいた。

    1996年3月、わたしが表参道を猛スピードで歩いている時、すれ違いざま、占いをしているという男性に呼び止められ、「珍しい顔相をしている」「額から光が出ている」「今年は3回ある人生の転機のうちの一つ」「今年、強い縁がある」と告げられた。

    その4カ月後の七夕の夜、インド人男性のアルヴィンド(サンスクリット語で蓮の花の意味)とカフェで相席になった。そこからはもう、完全に、インドへと導かれていたと、今はそう思う。

    初めてアルヴィンドと一緒に食事をした後、帰り際に彼から勧められた本が、ヘルマン・ヘッセの『シッダールタ』だった。

    彼の姉の名前は、スジャータ。

    結婚式を挙げるために訪れた2001年7月のデリーで、「こんな国、絶対に住めない」と思ったのに、3年後には住んでみたくなり、自分でも理解できない熱意と執着で、嫌がる夫を説き伏せ、紆余曲折を経て、2005年11月に、インド移住を実現した。

    2011年、ムンバイの日本山妙法寺で森田上人とお会いしたとき、上人は上記、平和行進を実現された人物だとわかった。その際、平和運動に熱心だった俳優スニール・ダット(サンジャイ・ダットの父)が同行されたとも聞いた。

    そして、2018年4月、『破天』を読んで、発作的にナーグプルへ行かねばと思い、折しも仏陀聖誕祭の日に、佐々井秀嶺上人とお弟子の竜亀さんと、行動を共にさせていただいた。

    その年の一時帰国時、東京から福島の原発事故後の様子を見に行くつもりで唯一開けていた日。折しも佐々井秀嶺上人はブッダガヤ大菩提寺の返還運動のため日本にいらしていたことを知り、急遽、増上寺で再会させていただいた。

    ほかにも大小の数えきれないほどのご縁が重なって、今に至る。だから、膨大になることを覚悟で、毎度記録を残し、自らの足跡を、折に触れて顧みる。

    【セミナー動画で使用した資料(81枚)を、参考までに以下シェアする】

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    ②佐々井秀嶺上人にお会いするため、ナーグプルへ。その稀有な旅の記録(2018年4月)

    訪問時の情報が満載のブログ。セミナー動画では網羅できなかった写真も多数掲載しています。ぜひご覧ください。

     

    ③一時帰国の日本で、偶然のご縁が重なり佐々井上人とお会いした時の記録(2018年11月)

    ●インドの中心で仏教を叫ぶ佐々井秀嶺上人と増上寺で有り難き再会

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    ご縁と奇遇が重なって、東京最終日、増上寺へ赴いた。

    佐々井秀嶺上人が半世紀以上に亘り、インドにおいてどれほど途轍もなく、すさまじい活動をされているかということは筆舌に尽くし難い。

    今年の4月下旬、折しも仏陀生誕祭のころ、わたしはインドの中心点にある都市、マハラシュトラ州のナーグプルを訪れた。4月初旬、友人に勧められて購入した佐々井秀嶺上人の生き様を描いた山際素男著『破天』を読んでいる途中、発作的に「ナーグプルへお会いしに行かねば!」と閃き、数週間後に飛んだのだった。

    幸運にも、早朝5時ごろから深夜まで、佐々井上人ご一行に同行させていただく機会を得た。ご自身の使命に全身全霊で賭し闘っておられる姿は、まさに圧倒的であった。圧倒的かつ偉大であるにもかかわらず、その実態を理解するには、大まかな仏教の歴史はもちろんのこと、インドのカースト制度とダリット(不可触民)の歴史やアンベードカルの存在を知る必要がある。ゆえに、多くの人に理解してもらうのは、極めて困難だ。

    インスタグラムやFacebookで、更にはブログで、レポートを重ねるものの、関心を持ってくれる人は、少ないと察せられた。それでも、限られた人に対してであっても、伝えたいという衝動は強かった。

    ナーグプル訪問直後のわたしは、精神的にかなり高揚していた。その勢いに任せて、自分が経験した2日間の出来事を含め、インド仏教とアンベードカル、そして佐々井上人の活動に関する諸々を、パワーポイントでまとめた。そして直後、関心のある人数名を対象に、自宅で『インドの中心〈ナーグプル〉で仏教を叫ぶ』という勉強会を実施したのだった。

    毎年10月には、ナーグプルにて、アンベードカルの時代から続くダリット(不可触民)の人々を対象にした、仏教大改宗式が実施されている。わたしは再訪を願っていたのだが、欧州旅と日本旅の狭間でどうしても時間が取れず断念した。

    ところが、日本へ一時帰国をする数日前に、お弟子の竜亀さんから連絡があり、今日の集会のことを知らされた。日本滞在最終日。福島を取材するために、たった一日だけ空けておいた日だった。連絡を受けて今回は、福島取材を取りやめて、この集会への参加を決めたのだった。

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    自分は自分の意思とは少し離れたところにおいても、佐々井秀嶺上人に、とても引きつけられていることを実感した。佐々井氏が名古屋で集会を行っている時間、わたしは伊勢から東京へ向かう途中、名古屋で新幹線に乗り継いでいた。そして、今日、東京でお目にかかった。更には、佐々井上人も、わたしも、フライトさえ異なるものの、明日、インドに帰国する。

    もっといえば、すっかり忘れていたのだが、佐々井上人がお生まれになったのは、岡山県。佐々井上人の活動を支援している「南天会」の拠点は岡山県倉敷市であった。倉敷の旅を決めるときには、すっかり頭から離れていたのだが、どう考えても無意識に作用する磁力が働いているとしか思えない。

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    今日は、朝から増上寺へ赴いた。関係者のご一行が、「仏教の聖地であるにも関わらず、ヒンドゥ教の管理下に置かれているブッダガヤの大菩提寺管理権返還に向けて協力の支援のお願い」をすべく全日本仏教会をお訪ねになっているところから、厚かましくも参上したのだった。

    佐々井上人は、一瞬、わたしが誰かをお分かりになられなかったが(訪問時は眼鏡をかけていたこともあり)、「先日ナーグプルにお伺いしたバンガロールの坂田です。今、日本に一時帰国しているんです」とお伝えしたら、すぐに思い出してくださり、わたしのことを周囲の人に紹介してくださった。

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    増上寺内の食堂で、みなさんと昼食をご一緒したあと、増上寺内の会館で「ブッダガヤ大菩提寺返還に向けて」の集会に参加した。最初から裏方としてお手伝いするつもりでいたので、受付を申し出た。関連書籍の販売、募金のお預かり、ご案内など、このような作業は慣れている。関係者の方から「イヴェント関係のお仕事をされているのですか」とさえ尋ねられた。こうして微力でも、お手伝いができることは、本当に稀有でありがたいことだと思う。

    また、佐々井秀嶺上人と古くからお付き合いのある関係者の方々とお目にかかりご挨拶ができたのも幸いなことだった。

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    今回の日本旅は、いろいろな意味で、自分の人生の潮流が緩やかに、しかし確実に、流れを変えているということを感じさせられるものだった。それがどのように結実していくのか、自分でもわからない。しかし、自分が「善きことだ」「すべきことだ」と思うことに対して真摯に向き合い、その大小に関わらず、ひとつひとつ丁寧に関わっていきたいと、今はそう感じている。

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    以下、今回佐々井上人が来日した目的についての文書を、シェアさせていただく。
    (佐々井秀嶺資料室のFacebookページより)

    ************************
    全日本仏教会会長 江川辰三様
    副会長 代表理事 御各位

    ブッダガヤ大菩提寺管理権返還に向けて協力・支援のお願い

    世界の仏教徒の根本道場であるインド・ビハール州ブッダガヤの大菩提寺は、釈尊成道の現当地にして地上唯一の聖跡であります。釈尊が禅定に入られた菩提樹を記念してマウリヤ朝アショーカ大王の時代に金剛宝座が設けられ、歴代の王朝もその跡を尊び大菩提寺として伽藍が整えられました。7世紀にブッダガヤを訪れた玄奘三蔵は現在とほぼ同じ高さの大塔を拝しています。仏法の伝わった国々では、近き人は巡礼に赴き、遠き人は思いを馳せて世尊の遺跡を偲びました。成道より凡そ1700年、この地は法輪の軸として世界の仏教徒の中心地点でありました。

    しかし13世紀初頭イスラム軍の侵攻によって、インド各地の仏教寺院は破壊され、多くの僧尼が殺されて仏教は壊滅状態となり、大菩提寺は破壊から免れるため土に埋めて隠されてしまいました。そして仏教徒のいなくなったインドで、その存在は忘れ去られてしまいました。

    1880年、インド考古調査局長官アレキサンダー・カニンガムは大菩提寺の位置を特定し大規模な発掘を行い、600年の時を超えて大塔はその姿を現しました。諸国の仏教徒は、ブッダガヤを訪れ再び金剛宝座に額き大塔を拝しました。ところがブッダガヤの地はヒンドゥー教バラモンのマハンタ氏の取有するところとなっており、境内ではヒンドゥー教の供儀が行われ、仏像は持ち去られ諸王朝の寄進した塔や精舎は破壊の危機に瀕していました。

    1892年スリランカの仏教者、アナガーリカ・ダルマパーラ居士はこの状況を憂慮し、大菩提会を設立して大塔の仏教徒への返還運動を開始しました。当時の日本仏教も印度仏蹟興復会を結成してこの運動に協力し、各国の仏教徒も様々な働きかけを行いました。

    1947年インド独立後、インド政府はブッダガヤを国際的な仏教の中心地とする方針を示し、1949年ブッダガヤ寺院法を制定して管理委員会を発足させ、大塔の管理権はマハンタより管理委員会に移譲されました。しかしこのブッダガヤ寺院法では委員9名の構成の内、必ずヒンドゥー教徒が過半数を占めるように規定されており、実質はヒンドゥー教優位の管理体制が認められていることになります。これがゆえに私たち仏教徒にとっては容認しがたい様々な不合理が行われ、現代にいたるまでその問題は続いています。

    1956年10月14日、インド共和国憲法起草者ババサーヘブ・アンベードカル大菩薩はインドに根強く残るカースト差別のくびきから脱するために中央州ナグプールに於いて、60万人の被抑圧階級民衆と共に仏教に改宗しました。これよりインド仏教は復興の烽火を上げ、自由と平等と博愛の実現の為、法の実践の道を歩み始めました。私は日本に生まれましたが、釈尊の説かれたこの道を進む道程で、貧しくも前を向いて歩み始めたインド仏教徒の民衆に出遭い、共に歩む決心をしました。同じものを食べ同じところに暮らし、改宗式や仏教行事を執り行い、仏教徒を組織して様々な社会運動を行ってきました。そして多くの人々の協力によりインド国籍を取得しインド人となりました。アンベードカル博士の改宗から60年、今やインドの仏教徒はその数を大いに増しつつあります。

    ここにおいてインド仏教徒民衆は、自らの信教の根本聖地であるブッダガヤ大菩提寺が他教徒優位の管理下にある状況を憂慮し、1992年、インド政府、ビハール州政府、ブッダガヤ寺院管理委員会に対し、大菩提寺管理権の仏教徒への返還を求める運動を開始しました。私たちはあらゆる平和的手段により様々な運動を展開してまいりました。首都デリーやブッダガヤに向けてのデモ行進や断食や座り込みなどの運動を敢行し、インド政府大統領やビハール州首相に嘆願書を提出し、国連事務総長に書簡を送り、パリのユネスコ本部やジュネーブの国連人権高等弁務官事務所を訪れてこの問題の国際的な関心を提起しました。25年以上にわたる私たちの運動は、ブッダガヤの状況改善に大きく寄与しています。しかしその根本的な問題である大菩提寺管理権は、依然として1949年ブッダガヤ寺院法を適用したままの状態であり、我々の願いは未だ成就しておりません。

    2012年、私はインド最高裁判所に1949年ブッダガヤ寺院法の廃止と新法の制定を求める裁判を提起しました。長らく継続審議となっておりましたが、本年7月本格審議が始まりいよいよ最高裁判決が下されようとしています。

    この運動は、アンベードカル大菩薩を導師として立ち上がったインド仏教徒にとって、自らの存在を確立する人権運動でもあります。また世界の仏教徒にとっても、その根本聖地が抱える矛盾の早期解決が望まれています。日本でもダルマパーラの時代から様々な人が関わり、私たちの運動に対しても臨済宗・黄檗宗連合各派合議所、岡山県同宗連など多くの方々からご支援ご協力をいただいてきました。まさにその所願とするところは、ブッダガヤ大菩提寺管理権の仏教徒への完全返還にあります。大菩提寺管理権返還は、仏教徒がその根本聖地を取り戻す運動であり、ブッダガヤを中心に世界の仏教徒が結集し、人類に平和と共生を提言する仏教の未来に大きな貢献となるでしょう。是非この問題を正確に認識し、関心をもってご支援ご協力をいただきたいと思います。

    どうか我が祖国である仏教国日本の皆様、同じ教えを灯とするインド仏教徒民衆と共に立ち上がってください。

    1.インド政府、ビハール州政府、ブッダガヤ寺院管理委員会にブッダガヤ大菩提寺管理権返還の提言を行ってください。それぞれ所属される宗派、本山、組織にてブッダガヤ大菩提寺管理権問題について協議し、インド当局が平和的決断を以て返還を実施するようアピールをお願いします。

    2.裁判費用をご援助ください。最高裁における長期の裁判には多大な費用が必要となります。是非ご協力をお願いいたします。

    2018年 11月 12日
    ブッダガヤ大菩提寺全インド解放実行委員会
    会長 アーリヤナーガールジュナ佐々井秀嶺

    Dear Mr. Phan Wannamethee, President of the World Fellowship of Buddhists,

    Bodhgaya in Bihar, India, where Lord Buddha sat under the bodhi tree and realized enlightenment, is the one and only sacred place for Buddhists throughout the world. Emperor Ashok built vajrasana as its memorial, and several Dynasties in their respect arranged the cathedral of Mahabodhi Temple. In the 7th century, Xuanzang worshiped the temple which is in about the same height as the present. In countries where Buddhism was inherited, nearby people went to pilgrimage to Bodhgaya remembering Lord Buddha, and distant people remembered and imagined his achievements. Since the enlightenment, Bodhgaya was the center of the world Buddhists for 1700 years.

    In the beginning of the 13th century, however, the Islamic army invaded, destroyed Buddhist temples across India and killed many monks and nuns. Buddhism then was destroyed, and the cultural properties of the temple were buried and hidden in the earth. Finally in India where Buddhists are gone, the existence of the temple became forgotten.

    In 1880, Alexander Cunningham, the founder of the Archaeological Survey of India, identified the location of the temple and implemented a large-scale excavation so the temple appeared beyond 600 years. The Buddhists of the different countries visited Bodhgaya, vowed to vajrasana and worshiped the temple again. However, Buddhagaya came to be owned by Mahant, the Hindu brahman zamindar, and Hindu pujas were held in the temple’s precincts. The statues of Buddha were taken away and stupas and small temples which the dynasties donated were about to be destroyed.

    In 1891, Anagarika Dharmapala, who was a lay Buddhist and worried about the situation of the devastated Bodhgaya, established the Mahabodhi Society and commenced the protest movement for return of Mahabodhi Temple to Buddhists. Buddhists in then Japan established “Indo Busseki Kofuku-kai” (the Society for the Recovery of Buddhist Ruins in India) to cooperate with the movement, and Buddhists in different countries took various actions.

    Following the independence of India in 1947, the Indian Government showed a policy to make Bodhgaya an international center of Buddhism, established Bodhgaya Temple Act in 1949 and launched the Bodhgaya Temple Management Committee therefore the management right of the temple was handed over from Mahant to the committee. Under this law, however, it is decided and admitted that a total of nine people, four members of Hindus including Mahant, four Buddhist Indian nationals, and Chairman (Hindu) who is Director of Gaya district of the State of Bihar constitute this Hindu-dominated Management Committee. This fact, thus, still has been the main cause of various unreasonable irrationalities for Buddhists, and the problem continues to the present age.

    On 14th October 1956, Maha Bodhisattva Dr. Babasahib Ambedkar, who drafted the Republic Constitution in India, took off from the yoke of the caste discrimination that persisted deeply in India, together with the population of 600,000 people of the suppressed class at Nagpur in Central Province and converted to Buddism. Then Indian Buddhism raised the burning flame of its reconstruction and began to walk the way of the practice of dharma to realize liberty, equality and fraternity. I myself was born in Japan, but on the way of this road that Lord Buddha preached I met a crowd of Indian Buddhists who were poor but started to walk forward so I decided to walk with them. I have eaten the same things as they have, living in the same place, performing conversion ordinances and Buddhist ceremonies, organizing those Buddhists and doing various social movements. Then, with the cooperation of many people, I acquired Indian nationality and became Indian. As more than 60 years have passed since Dr. Ambedkar’s conversion, now Indian Buddhists are increasing their numbers greatly.

    In this way, the Indian Buddhist people got concerned about the circumstances under which Mahabodhi Temple in Bodhgaya, the fundamental sacred place of their own faith, is under the superior control of the other religion. Then in 1992, they started a protest movement calling for return to the Buddhists of the temple to the Government of India, Bihar State Government, and the Bodhgaya Temple Management Committee. We have used various peaceful means and developed various movements. We acted like a demonstration march towards the capital Delhi and Bodhgaya, implemented the campaign such as fasting and sit-in, submitting a petition to the President of Indian Government and Chief Minister of Bihar, sent a letter to the UN Secretary General. I visited the headquarters of UNESCO in Paris and the office of UN High Commissioner for Human Rights in Geneva and raised international interest in this issue. Our movement over 25 years greatly contributes to the improvement of the situation in Bodhgaya. However, the fundamental problem around the management right of the temple is still in the state of applying the Bodhgaya Temple Act of 1949 therefore our wish has not yet been fulfilled.

    In 2012, I filed a case in the Supreme Court of India seeking the abolition of the Act and the enactment of a new law. The trial had been suspended for a long time, but full-scale deliberation began in July this year, and finally, the Supreme Court’s decision is about to come.

    This campaign is also a human rights movement for Indian Buddhists who figured out Dr. Ambedkar as their leader to establish their own existence. Moreover, Buddhists around the world hope for an early settlement of the contradiction of the central sacred place. Even in Japan, various people have been involved since the time Anagarika Dharmapala played an important role, and we have received support and cooperation from many people such as Joint Council for Rinzai and Obaku Zen and Okayama-ken “Dōwa Mondai ni torikumu Shūkyō Kyōdan Rentai Kaigi” (Religious Sects’ Solidarity Conference to Address the Dowa Problem in Okayama Prefecture) for our movement. We are hoping that the management rights of Mahabodhi Temple in Bodhgaya will be fully returned to Buddhists. Its return will make a big contribution to the future of Buddhism where Buddhists around the world will regain their central sacred place, gather together mainly in Bodhgaya and recommend peace and symbiosis for humanity. We will appreciate it if you would recognize this problem accurately, and we also would like you to support and cooperate with concern.

    Please, everyone, stand up as Buddhists of the world with Indian Buddhists who have the same teachings of Lord Buddha as the light of dharma.

    Please propose to the Indian Government, the Bihar State Government, the Bodhgaya Temple Management Committee the returning of the management rights of Mahabodhi Temple in Bodhgaya to Buddhists. Please discuss this issue with sects and organizations to which you belong, and appeal to the Indian authorities to carry out the return by their peaceful decision.A long-term trial at the Supreme Court requires a great deal of expenses. Please aid the trial fee.

    Sincerely yours,

    13 Nov, 2018

    President of All India Executive Committee for Release of Mahabodhi Temple in Bodhgaya
    Arya Nagarjuna Shurei Sasai

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    わたしには、果たして何ができるのだろう。微力ながらこうして、佐々井上人の活動を記すことしか、今はできない。

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    (2018年11月16日付「中外日報」紙)

    ④北米アンベードカル協会によるオンライン授賞式の様子(2021年5月)

    ナーグプルにて半世紀以上に亘り、逆境に生きる多くのインドの人々を救済し続けている佐々井上人。北米アンベードカル協会が主催する「Dr. Ambedkar International Lifetime Achievement Award 2021」に選出され、昨日、オンラインでの授与式が開催された。誰でも視聴できるとのことだったので、参加させていただいた。

    昨年、COVID-19に感染されたあと、体力を落とされ、お声も出にくそうだったが、昨日の上人は、お話される間、エネルギーが迸っていて、とてもお元気そうだった。あいにくわたしはヒンディー語がわからないのだが、主に仏教徒の向上、ブッタガヤ裁判の現状を熱く語っていらした模様。ジャイビーム!

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    🌕満月麗し、お釈迦様お誕生日おめでとうございます。この世にいでて半世紀たったあたりから、これまでの自分は、「宿命」の上を歩いてきたことに気づいた。その道を歩きながら、何をやるのかが、多分、大切。

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    ニューヨークへ渡って数カ月後の1996年。ちょうど25年前の七夕の夜、マンハッタンで夫となるインド人男性と出会った。まだ付き合う前、初めて夕食を共にしたあと、帰路、「お勧めの本がある」と教えてくれ、ノートにメモを記してくれたのが、『シッダールタ』だった。翌日、当時ロックフェラーセンターにあった「紀伊國屋書店」で購入し、帰路、ホテルのロビーで一気に読んだ。

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    🍷もしも、このKRSMAワインが存在しなかったら、わたしは3年前の4月、『破天』を読むことはなかったし、ナーグプルを訪れることもなかっただろう。そんなご縁については、過去のブログに記載している。

    ◉世界遺産の都市遺跡ハンピ、そしてKRSMAワイナリーへ4泊5日ドライヴ旅
    ➡︎https://museindia.typepad.jp/2018/旅ハンピ/

     

    ⑤6年ぶりにナーグプルへ。佐々井秀嶺上人にお会いし、竜樹連峰に登る

    [🙏Nagpur 01] インドの中心で仏教を叫ぶ。遂には6年ぶりのナーグプルヘ

    [🙏Nagpur 02] インド仏教、ヒンドゥー教、アンベードカル、ナーグプル、佐々井秀嶺上人……。

    [🙏Nagpur 03] 文殊師利菩薩大寺。佐々井上人が発掘したマンセル遺跡とその周辺の拠点

    [🙏Nagpur 04] 時空を超えて、龍樹(ナーガルジュナ)の気配を残す場所。竜樹連峰(丘)に上る

    [🙏Nagpur 05] 竜樹菩薩大寺を再訪。ASICS sneakers are the best!

    [🙏Nagpur 06] 佐々井上人によって、2,000年以上の眠りから起こされたマンセル遺跡。その稀有な仏教遺跡へ再び。

    [🙏Nagpur 07] 仏教僧院の跡地にて。高い場所に立ち、往時の様子を夢想する夕暮れ

    [🙏Nagpur 08] わたしは、わたしなりに、書くことを続ける。偏りのない、平和的な視点から。

    [🙏Nagpur 09] ナーグプル旅から戻りて。旅の片鱗を残す。

     

    ⑥35年前に描いた曼荼羅。「自然を貫く果てしない叫び」。(2021年5月)

    1986年。35年前、20歳の春休み。発作的に描いた2枚の曼陀羅。大学の寮から帰省し、実家で過ごしていたある日。実家に掛かっていた曼荼羅の絵を見て、自分も描いてみたくなった。部屋にあった、高校時代の絵具や筆、画用紙を使い、アルバイトの合間を縫って、わずか数日で2枚描いた。

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    この1枚目は、ほとんど模倣。ただ、自分の名前を「隠し絵」のようにして紛れ込ませた。先日の『アンベードカルとインド仏教、佐々井秀嶺上人』のセミナー動画で、その写真を紹介した(動画では19歳と言ったが調べたら20歳のときだった)。すると、ご覧になった方から、曼荼羅に感銘を受けたとのメッセージをいただいた。

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    1枚目は、実家に飾られている。もう一枚は、手元にあるはずだ。今朝、クローゼットを開いて久しぶりに発掘、しみじみと眺めた。描いた当初は、暑苦しい画になってしまった気がして、あまり気に入ってはいなかった。しかし35年ぶりにじっくり眺めると、かなり感慨深い。

    当時のわたしは、その半年前に初めて海外旅行を体験、1カ月の米国滞在した直後で、感性が炸裂していた。それはこの年、大学祭実行委員長を引き受けて、準備、実施するまで続くのだが、まさに若い力が漲っていたころだ。

    インターネット台頭以前。絵の素材は印刷媒体を参考にした。

    子どものころから自然破壊や環境問題に敏感だったことは過去にも記したが、その思いは多分、常に根底にあったのだろう。

    この絵を描く数カ月前の1月28日。スペースシャトルのチャレンジャーが発射73秒後に爆発。飛行士7名が死亡した。その経緯をレポートする『ニューズ・ウィーク』誌の特集にあった写真を見て、スペースシャトルを描いたことは覚えている。

    月の満ち欠けは、歳月の流れを表している。その上には涅槃。

    しかし右上は、ゴミの山。埋立地に林立する団地に押し寄せる津波……。

    昭和40年代、わたしが育った福岡市東区名島、千早界隈。かつては海辺だった場所が埋め立てられ、「城浜団地」ができた。かつて山だった場所が造成されて「三の丸団地」ができた。

    その変遷を、この目で見てきた。高度経済成長に伴う環境の歪みを、本能的に感じ取っていた。思えばあれは、野生の勘のようなものだった。

    中学2年のころ。大反抗期で成績は急下降していながらも、作文の宿題はしっかりやり、それが福岡県知事賞を受賞、テレビに出演し、朗読した。その作文も、同様のテーマだ。

    試験管はそのまま、「試験管ベイビー」を意味している。1978年、英国で初めて「体外人工受精」により、子供が誕生した。今ではごく一般的な治療と生誕の形になっているが、当時は物議を醸した。

    ちなみにわたしは卒業論文で「安部公房」を取り上げたのだが、彼は1977年に発表された『密会』という作品の中で、すでに「試験管ベビー」という表現を使い、人工授精で生まれた女性を登場させている。

    そもそも理系である安部公房の先見の明や世界を見る目には驚嘆すべき点が多々あるのだが、この予見には、今改めて、鳥肌が立つ。

    ミツバチのモチーフは、多分、ミツバチがいなくなると、人間の存在が危うくなるという話をどこかで知り、使ったのだと思う。農薬などへの危機感も、わたしの中にあったのかもしれない。嫌な予感は当たり、今やミツバチは減少の一途を辿っている。

    そしてリンゴ。当時は、アダムとイヴの禁断のリンゴ=原罪を表すために描いた。しかし、今の世界を席巻しているAppleのiPhoneを予見していた……とは、こじつけだ。

    そして、ムンクの叫び。これは、絵の中の人物が叫んでいるのではない。

    彼は「耳を塞いでいる」。以下は、ムンク本人が、この絵に言及した一文だ。

    「私は2人の友人と歩道を歩いていた。太陽は沈みかけていた。突然、空が血の赤色に変わった。私は立ち止まり、酷い疲れを感じて柵に寄り掛かった。それは炎の舌と血とが青黒いフィヨルドと町並みに被さるようであった。友人は歩き続けたが、私はそこに立ち尽くしたまま不安に震え、戦っていた。そして私は、自然を貫く果てしない叫びを聴いた。」

    自然を貫く果てしない叫び。

    35年前には、耳を澄まさなければ聞こえなかった叫びは、今、地球全体に轟轟と響き渡っている。

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    先日も紹介したデイヴィッド・アッテンボローの『地球に暮らす生命 (NETFLIX)』。地球環境を改善するために我々人間ができることが、最後の最後で提案されている。一人でも多くの人に見て欲しいと思う。

     

     

    【関連サイト/書籍案内】

    ●南天会/佐々井秀嶺上人の活動支援
    ➡︎https://www.nantenkai.org/

    ●『破天』山際素男著
    ➡︎https://www.amazon.co.jp/破天-光文社新書-山際素男/dp/4334034772

    ●『アンベードカルの生涯』ダナンジャイ・キール著
    ➡︎https://www.amazon.co.jp/アンベードカルの生涯-光文社新書-ダナンジャイ・キール/dp/4334032958

    ●『ブッダとそのダンマ』B.R.アンベードカル著
    ●『社会苦に挑む南アジアの仏教: B. R. アンベードカルと佐々井秀嶺による不可触民解放闘争』
    ●『求道者』佐々井秀嶺著
    ●『不可触民と現代インド』山際素男著
    ●『龍樹の遺跡の発見: インド、マンセル・ラームテク遺跡』アニル・クマール著
    ●『龍樹』中村元
    ●『変貌と伝統の現代インド: アンベードカルと再定義されるダルマ 』(嵩満也)
    ●『佐々井秀嶺、インドに笑う』白石あづさ著

    ●映画『ジャイビーム インドとぼくとお坊さん』
    ➡︎https://www.jaibhim-movie.com/

    🌸ダライ・ラマ法王14世にお会いした2019年の記録を紐解く。『深海ライブラリ』ブログ
    ➡︎https://museindia.typepad.jp/library/2021/12/dharamsala.html

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    北インドだけではない。インドには各地に、風化しつつも確実に、久しく人々の目から離れたままの、仏教遺跡が残されている。
    実はお隣のアンドラ・プラデーシュ州は、仏教遺跡の宝庫なのだ。

    【参考資料】

    🙏アンドラ・プラデーシュ州政府による仏教遺跡巡りの資料(必見)
    ➡︎https://tourism.ap.gov.in/assets/img/Brochures/AP%20Buddhist%20Places%20Brochure.pdf

    🙏India Buddhism Tour
    ➡︎https://indiabuddhismtours.com/

    🙏Buddhist Tour Packages
    ➡︎https://www.tourmyindia.com/packages-tour-india/buddhist-travel-packages/

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    2年前の昨日、我々夫婦は、チベット仏教の聖地、ダラムサラにいた。ヒマラヤ山脈を望むこの地にはチベット亡命政府があり、ダライ・ラマ法王14世が住まわれている。チベット高僧の末裔である友人デッキの計らいにより、ダライ・ラマ法王14世にお目にかかることができた。それは、極めて稀有で、まさに有り難き経験だった。

    このわずか1カ月後に、義父ロメイシュ・パパが79歳で急逝。我々夫婦にとって、あの日、ダライ・ラマ法王14世に触れていただいた「数珠」は、救いの象徴となった。

    その数カ月、地球を包んだCOVID-19パンデミックは、2年経とうとする今も、人々の心や身体に、さまざまな形で影を落とし続けている。そんな中、心の寄る辺を探す時、過去の有り難い経験を思い起こす。

    *   *   *

    世界に溢れる賢者のことば。宗教の尊い教え。触れるたびに「なるほど」と思う。しかし、それらを消化して、自分のものにするのは難しい。頭ではわかっていても、行動や感情が伴わない。

    見返りを望まないと言いながら、反応がないと残念に思ったり。

    自分のためだといいながら、喜ばれることを期待したり。

    寛大でありたいと願っているのに、狭小に囚われたり。

    パンデミック世界に突入し、オンラインの時間が増え、それまで見ずにすんだことが見えてきた日々。

    自分の弱さや苛立ちをもまた。

    情報は溢れているのに、何もかもが不確かで、人の心はささくれがちで、冷静を保つのが困難な世界。

    ゆえに大切な経験は、敢えて紐解き、反芻したく、この記録も、この『深海ライブラリ』ブログに、移行した。

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    [DAY 01/ Amritsar 01] 印パ国境、スィク教徒の都市アムリトサルへ (2019/11/28)

    [DAY 02/ Amritsar-Dharamsala 01] インドの中のチベット、ダラムサラに (2019/11/29)

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    [DAY 05/ Dharamsala 05] 旅から戻ってきたけれど、旅は永遠に続く。 (2019/12/02)

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