深海ライブラリ📕

深海の底に眠る過去の記録に光を当てる。揺り起こす。

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    ☔️雨降る夜、フランク・ロイド・ライトの本や、インド版のAD(アーキテクチュラル・ダイジェスト)を開きながら、新居の内装に思いを巡らす。同じ家具でも、ソファーカヴァーやカーテン、クッションのなどの色合いによって、部屋の雰囲気は一変する。

    あれもいい、これもいい……と目移りしてまとまりなく。統一感を出そうとすると無理が出て、結局は「わたしが好き」であれば、それでいいのだ。……と、決着する。(夫には合わせてもらう)

    日本の伝統的な建築を愛したフランク・ロイド・ライトと、当時の帝国ホテル総支配人の林愛作氏の、情熱を超えた壮絶な熱意によって誕生するに至った帝国ホテル。度重なる設計の変更、工期の遅れ、そして予算の拡大……。

    語るに尽きぬ波乱万丈のドラマの果て、1923年、折しも関東大震災の日に開業した旧帝国ホテル。

    フランク・ロイド・ライトは、軽くて柔らかな加工しやすい栃木県の大谷石を多用。独特の装飾紋様が施された石が内外装に用いられている。耐火性や防湿性に優れているなどの特長も併せ持つ石だとのこと。

    関東大震災による被害は最小限で免れ、東京大空襲の被害からも復興し、その姿を残していたにも関わらず、1968年に取り壊された。

    平等院鳳凰堂を思わせる玄関やロビー部分は、愛知県犬山市の明治村に移築され、今でも面影をしのぶことができる。

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    2017年にNHKスペシャルドラマで放映され、現在Netflixで見ることができる『東京裁判/Tokyo Trail』において、各国11人の判事らの宿泊先として、この旧帝国ホテルの入り口が映し出される。

    なお、パール判事役を演じているのは、昨年他界した、わたしの大好きな俳優、イルファン・カーン。歴史を知る上でも、ぜひとも視聴をお勧めしたい映画だ。

    ◉70年前の極東国際軍事裁判を描いたドラマ『東京裁判』を見て。(2016/12/17)
    ➡︎ https://museindia.typepad.jp/_2016/2016/12/tokyo.html

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    それにしても……。と思う。ページをめくり、往時の様子を眺めるにつけ、なぜ、このような偉大なる芸術品を壊さねばならなかったのか、と。地盤沈下? 老朽化? 客室数が少なかった? 資料によれば、確かにメンテナンスは極めて困難だったようだ。

    とはいえ、その後、同じ場所に高層建築物を建てられるくらいなのだから、なんとか補修工事ができなかったのかと、素人ながらも考えてしまう。

    実は昨夜、久しぶりにネットで情報検索したら、Frank Lloyd Wright Trustが、往時の帝国ホテルの様子をデジタル・イメージにより再現した動画を見つけた。

    見入る。夢想しながら見入る。こんなにも壮麗な建物が、完成からわずか45年後に、この世から消えねばならなかったことを、本当に、残念に思う。

    『Frank Lloyd Wright: The Lost Works – The Imperial Hotel』

    【おまけ】

    インドで1966年に公開された映画『Love in Tokyo』という映画に、一瞬、旧帝国ホテルが映る。1:50あたり。取り壊される直前の姿だ。ちなみにインドの年配者が、日本人に会うなり「サヨナラ」というのは、この曲のせいだと思う。多分。

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    15年前に現居を購入し、インテリアや内装工事を手掛けた時とは比べものにならないほど、選択肢が増えているインド。通常、インテリアデザイナーやコーディネーターを雇って、内装を調えるところ、しかし15年前も今回も、わたしは自分ですべて手配している。故に、市場の変化の著しさを具(つぶさ)に感じている。

    先日も記したが、塗料会社のASIAN PAINTが、今年に入り、インドのファッションデザイナー、Sabyasachi とのコラボレーションで始めたNilaya Sabyasachi Fabricsのシリーズなどは、目を見張る美しさ。インドの伝統的な意匠をモチーフにしたファブリック(ソファーカヴァーなど)や壁紙など、極めてアーティスティックだ。

    現在は、家のスペースが狭くなっている傾向もあり、また重厚な家具は若い世代に敬遠されがちだ。しかし、英国統治時代に作られたソリッドウッド(天然木)の家具などは、磨けば生まれ変わり、ヴィテージの美しさが蘇る。

    また、ソファーや椅子などは「張り替える」のが一般的だから、椅子やカーテン用のファブリックも選択肢が豊富。数日前にファブリックショップを訪れたが、絞り込めず、ここ数日は家具や雑誌の写真などを眺めつつ、脳内でイメージを膨らませている。そのような作業の過程は楽しくもある。

    まずは家具を完成させてから……と思いつつも、つい先日、インディラナガールにオープンしたJAIPUR RUGSのショールームへ。まるでミュージアムの風情だ。

    ファミリービジネスが端緒のJAIPUR RUGSは、北インド各地の7000を超える工房の、40000人以上の職人たちを束ねる。

    デザインは伝統的なもの、コンテンポラリーなもの、あるいは両方を取り入れたトランジション・シリーズなどと選択肢は幅広く、値段もピンからキリまで。実用性のあるものから、壁に掛けたくなるアーティスティックなものまで、本当に魅力的だ。

    ……と、詳細を綴ればキリがない。関心がある方は、ぜひサイトをご覧いただければと思う。

    インドの手工芸世界は探れば尽きず、何をするにも、日々是放浪。

    雨が降り続くバンガロールで、魂はインド亜大陸を彷徨う日々だ。

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    ◉JAIPUR RUGS
    ➡︎https://www.jaipurrugs.com/in/

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    ☕️ARAKU COFFEE/ 高品質オーガニックコーヒーを生産するソーシャルアントレプレナー。アラク・コーヒー創業者マノージが語る日本との関わり/撮り下ろし

     

    💝アラクの谷で育まれた最高品質のコーヒー。その背景には23年に亘っての偉大なる支援の歳月がある

    ARAKU COFFEEのオーナーであり、その母体となる慈善団体、ナーンディ・ファウンデーションの創始者でもある友人のマノージからのコーヒー・テイスティング&ディナーの招待を受け、先週の金曜夜、インディラナガールのARAKU COFFEEへ足を運んだ。

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    折しも、金曜の午後、ここカルナータカ州の言語「カンナダ語」によるカンナダ映画の俳優が急逝。暴動を懸念する当局から、即、金曜から週末にかけて、夜間のアルコール販売禁止や集団での行動に規制が入った。

    人気俳優の他界がなぜ暴動につながるのか、ピンとこない人が多数だろうが、かつても大俳優が亡くなり、悲しみのあまりに荒れ狂った庶民が、店のショーウインドーを叩き割るなどの暴挙に出たケースがあるなど、インドはなにかと計り知れないので、注意しておくにこしたことはない。

    季節外れの大雨の中、正面玄関が閉ざされたARAKU COFFEEの、裏口から回って店内、2階へと案内される。

    プレ・オープニングで会って以来のマノージはじめ、関係者に出迎えられ、さっそく、特筆すべき「限定500パック販売」の高品質なマイクロロット「LOT 58」を味わう。深いアロマ、ほんのりフルーティ、しかし酸味がほどよく、とてもおいしい。

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    この写真は、パーティの当日に自宅へ届けられた「LOT 58」。こればかりは丁寧に挽いて、ゆっくり丁寧に煎れ、しみじみと飲む予定。

    さて、わたしはしばしば、ARAKU COFFEEを訪れ、ソーシャル・メディアを通して料理やコーヒーを紹介しているが、それは「飲食店として関心があるから」だけではない。ARAKU COFFEEの母体であるナーンディ・ファウンデーション、ひいてはマノージの生き様、彼の行う「貧困に苦しむ人たちの救済方法とその尽力」に、強い感銘を受けているからだ。

    今日はそのあたりの背景についても、長くなるが書き残しておこうと思う。

     

    💝インドが一つの国で在り続ける「奇跡」の背景には、このような無数の助け合いがある

    1947年のインド・パキスタン分離独立以来、この巨大国家インドが一つの国として存在し続けていることは奇跡である……ということは、これまでも幾度となく記してきた。インドで生まれ育ったインド人ですら、インドの全容を見晴るかすことができる人は稀有であろう。

    複雑で多様性に富んだ国インド。この国が、さまざまにネガティヴな側面を抱えながらも、「民主主義国家」としての体裁を維持し、存続できている大きな理由のひとつに、「人々の助け合う力」が挙げられるだろう。宗教団体、コミュニティ、自治体、企業、個人……。

    わたしは、インド移住から一年余りたった2007年に、個人的に慈善活動を始めた。東京時代、ニューヨーク時代は、自分の仕事で精一杯、社会への貢献を考える余地がなかったわたしが、思うところあり、活動を始めた。以来、この国で学んだことの多さは、挙げればきりがない。

    ⬇︎ミューズ・クリエイション8周年記念動画 ①創設背景 ②慈善団体訪問 ③イヴェント

    2012年にミューズ・クリエイションを創設した後も、社会貢献に身を投じている多くの人々を目の当たりにしてきた。わたしが訪問し、記録に残してきた人々は、その氷山の一角にすぎない。パンデミックの第二波をインドで経験した人ならば、インドの人々の助け合う力の強さに、感銘を受けた人も少なくないだろう。

    山積する社会問題に対して、看過するだけでなく、自ら動いて状況を変えようとする人が身近に多いことは、わたしにとっては大きな心の支えであり、希望でもある。

     

    💝「奇跡」といっても過言ではない。インドが一つの国家として存続し続けている現実

    人口13億人。数々の宗教、複数の言語、異なる気候、文化、習慣、食生活……。インドの多様性は、他のどの国にも該当しない、桁外れの存在で、一つの国として在り続けていることは奇跡のようだと、この国に暮らし初めてまもないころから、感じ始めてきた。

    それは、単にわたしの「皮膚感覚」による印象ではない。この国が1947年にインド・パキスタンと分離独立して以来、いや独立する以前から、識者たちは「インドが一つに国であり続けることの、ありえなさ」について、語り、綴ってきた。

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    わたしがセミナーの際にもしばしば引用しているラーマチャンドラ・グハの著書『インド現代史』の引用が、わかりやすいかと思う。インドに関わる方には、ぜひ目を通して欲しい。以下、プロローグのわずかな文章を目にするだけで、インドという国の存在が奇跡的かが、おわかりいただけるだろう。

    ◉インドのさまざまな「国々(カントリーズ)」の差異に比べれば、ヨーロッパ諸国間の差異などはるかに小さなものであり、「ベンガルとパンジャーブの違いに比べれば、スコットランドとスペインははるかに似通っている。」インドでは人種、言語、宗教の際ははるかに大きい。……「一つのインドというものは、いまもかつても存在しない。(1888年/インドの英国統治整備に関わった人物、サー・ジョン・ストレイチーの言葉)

    ◉(印パが分離独立した1947年以降)注目すべきなのは、インドという存在が、その場限りの観察者や通り一遍のジャーナリストにとって謎だっただけでなく、アカデミックな政治学者にとっても例外的存在であったことである。なぜなら、かれらの定理によれば、文化的な異質性と貧困は、国民を、ましてや民主主義を育成しないからであった。インドが「民主主義制度を維持できるという可能性は、外見上きわめて低いようにおもわれる」と政治学者ロバート・ダールは言い、「そのための有利な条件にすべて欠けている」とも言う。

    ◉(すでにインドが20年以上統一を維持していた1969年、英国人ジャーナリスト、ドン・テイラー曰く)核心にある問題は同じだ。インドは一体として存在し続けるのか、分裂するかだ。この広大な国、五億二四〇〇万人の人口、一五の主要な言語、相対立する宗教、多数の人種、これらを見るだけでも、一つの国民が生まれるとは信じがたい。この国は、心のなかに収めきることすら難しいのだ。威容を誇るヒマラヤ、太陽にやきごがされ、強烈なモンスーンに叩かれた広大なインダス・ガンジス平原、東部デルタの緑の洪水、カルカッタ、ボンベイ、マドラースの大都会、とても、ひとつの国とは思えない。にもかかわらずインドには、その存続を保証するかに見える強靭さがある。インドの精神としか予備用のない何ものかがある。アジアの運命はその存続にかかっているといっても過言ではない。私はそう信じている。

     

    💝【参考資料】 インドにおけるフィランソロピー(社会貢献型ビジネスなど)の一端を知る

    カルナータカ州フブリを拠点とするデッシュパンデ・ファウンデーション。創業者はインド系米国人のヴェンチャー・キャピタリスト、Gururaj Deshpande。彼とは9年前にフブリでお会いしたが、先日もオンラインのイヴェントでお話を聞く機会があった。その件は別の機会に改めて記すつもりだが、ともあれ、インドにおけるソーシャル・アントレプレナーシップなどに関心のある方は、ぜひ以下のリンク先に目を通されることを勧める。

    🌿Deshpande Foundation/ INNOVATION FOR SCALABLE IMPACT
    The Deshpande Foundation, founded by Jaishree and Gururaj ‘Desh’ Deshpande, has supported sustainable, scalable social and economic impact through innovation and entrepreneurship in the United States, Canada, and India.
    ➡︎ https://www.deshpandefoundation.org/

    🌿社会のために、英知を。労力を。フブリのカンファレンスを訪れた際の記録 (2012/1)
    [Hubli] Ecosystem/ Social Entrepreneurship/ NGO/ BOP/ Development….
    ➡︎ https://museindia.typepad.jp/2012/2012/01/deshpande.html

     

    💝ARAKU COFFEEの母体、ナーンディ・ファウンデーションとは

    折しも今日、11月2日、創設23周年を迎えたナーンディ・ファウンデーション。「フィランソロピー」とか「ソーシャル・アントレプレナー」と記しても、その言葉から内容がピンとくる人は少ないだろう。彼らの指針に目を通すだけでも、彼らの活動の主旨がわかるかと思う。

    ARAKU COFFEEの創業者、マノージが、ナーンディ・ファウンデーション (Naandi Foundation/ サンスクリット語で「はじまり」を意味する)を創設したのは1998年のこと。彼らの指針をホームページから抜粋する。

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    ◎ナーンディは、インフォシスの創業メンバーの一人であるクリス・ゴパラクリシュナンや、マヒンドラ&マヒンドラのCEOであるアナンド・マヒンドラをはじめ、著名なビジネスリーダーたちと協調。専門的に運営される非営利団体をとして誕生した。州政府や企業、国際的な開発組織と提携し、貧困村への生活インフラの公共サーヴィスの供給に成功。

    ◎ナーンディはこれまで以下17州において、700万人以上の恵まれない人々の生活に貢献してきた(テランガナ、アンドラ・プラデシュ、グジャラート、マディヤ・プラデシュ、ビハール、デリー、タミル・ナドゥ、ジャンムー・カシミール、カルナータカ、西ベンガル、オディシャ、ケララ、パンジャブ、ハリヤナ、マハラシュトラ、ジャールカンド、ウッタル・プラデシュ)。

    ◎ナーンディは、350人以上のフルタイムの専門家チームと、6000人以上の第一線の開発作業員を擁する。大半がコミュニティ内で採用、訓練されている。

    ◎女子を優先させた初等教育安全な飲料水と衛生設備、乾燥地での大規模な協同灌漑農業、部族地域での持続可能な農業、若者のスキルアップと雇用、安全な母子家庭と幼児教育(子供の栄養失調への取り組みを含む)、その他効率的な解決策を求めている社会経済的な問題など。

    ◎現在、ナーンディは、従来の助成金による活動よりもさらに効率的でコミュニティのニーズに対応した、「ソーシャル・ビジネス」の創設に着眼。新たな社会起業家を生み出す試みを続け、実績をあげている。

    ◉ビジョン
    貧困の根絶

    ◉使命
    ・あらゆる活動において、説明責任と透明性の価値を守る、信頼できる組織の構築。
    ・州政府、企業、市民社会の協調、官民パートナーシップを促進すること。
    ・インド国内の貧困撲滅に貢献する、再現/持続可能な成果重視の革新的技術を創造。
    ・インフラ不全、教育不全などにより社会的に疎外された人々の生活の質を高める。

    ◉価値観
    ・ナーンディと共に、ナーンディのために働くことを喜びにしたいというチームの意図から発展。
    ・誠実さを重視。資金の活用、情報の共有、仕事の提供など、すべての透明性、説明責任を果たす。

    ◉チームワークとプロフェッショナリズム
    国内の2億5600万人の恵まれない人々が貧困から脱するため、チームワークが不可欠と考える。既成概念に囚われぬ自由な発想を得るべく、プログラムの設計や実施について、幹部や部門を超えたフィードバックとコンセンサスを奨励。また、各分野においては、プロフェッショナルな人材を起用、活動に際して、客観性とプロフェッショナリズムは重要。

    ◉情熱
    分かち合いと思いやりの精神、人間の尊厳を尊重する価値観、知識を共有する必要性を認識。多くの人を巻き込みながら、平等な世界の実現を目指したいと考える。

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    この日、ディナーの前に、ARAKU COFFEEの足跡に関するプレゼンテーションが行われた。マノージをはじめ、関わる人々のレポートはどれも極めて興味深い。メモしたことをすべて記載したいくらいだが、膨大な量になるので要点だけでも記しておこう。

    アラク・ヴァレーはカルナータカ州のお隣、アンドラ・プラデーシュ州のヴィシャカパトナムから西へ110キロほどの山間にある避暑地。風光明媚なその山間の村では、10を超える先住民族の村人たちが、コーヒーやスパイスを育て、細々と暮らしていた。学校はなく、生活インフラも整っておらず、農民たちの暮らしは困窮していた。

    アラクの村に住む先住民たちの暮らしを向上させるため、23年前、マノージは立ち上がった。当時、学校がなかったその土地で、彼は自ら、木の下で教鞭を取り始めるところから始めた。今では、1万を超えるコーヒー農家、2万を超える他の農作物を育む農家を支え、学校、特に女子の教育に力を入れた支援を行っている。

    ワールドクラスの高品質な農作物を作り上げ、同時に、全ての農民に利益が行き渡るよう、さまざまな試みがなされている。このあたりは、ARAKU COFFEEのホームページに詳細が記されているので、関心のある方はぜひご覧いただきたい。

    【必見動画/TED INDIA】
    シャールク・カーンがホストのTED INDIA。マノージによるプレゼンテーション。彼の活動内容を理解するのに好適な動画。
    ➡︎ https://www.ted.com/talks/manoj_kumar_how_coffee_enriches_india_s_indigenous_peoples

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    以前は、人前でスポーツをすることも恥じらっていた女子たちが、今ではスポーツウエアに身を包んで、バレーボールの試合に出るまでになった。農民たちのライフを、トータルに前向きに、改善している。

    同時に、コーヒー農園の向上、特に「土壌の育成」に際しては、驚くほどの専門的な技術の投入と、試行錯誤が行われており、これに関わる専門家スタッフの話にも感銘を受けるばかり。一人一人を紹介したいところだが、今日のところは割愛。

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    青いシャツを着ているのがマノージ。

    赤いシャツを着ている男性は、1971年に渡印したニュージーランド人のデイヴィッド。ポンディシェリのシュリー・オーロビンドにて、シュタイナー教育やアグリカルチャーの専門家として活動していた彼は、2004年、マノージに誘われてARAKUの活動に参加、以来、アラク・ヴァレーで農民たちとのコーヒー作りをしながら生活している。

    わたしの隣に立っているのは、ムンバイの名レストランMasqueのオーナーであるアディティ。彼女のことは、過去の記録を以下に転載している。彼女もまたマノージに(ほぼ強引に)誘われ、当時MasqueのシェフだったグレイのTシャツ姿のシェフ、ラーフルと共に、アラク・ヴァレーを訪れた。

    最初は、「アラク・ヴァレー?」「コーヒー?」……と、さほど関心がなかったが、そこを訪れて思いが一変したという。結果、バンガロールのARAKU COFFEEのメニュー構築に全面的に貢献、ラーフルはムンバイからバンガロールへと拠点を移して、シェフとなった。

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    この夜の、独創性に富んだ料理の数々! 特にスモークド・チキンの味わいが格別だった。

    ☕️Araku coffee’s make in India push | Co-Founder Manoj Kumar EXCLUSIVE | India Revival Mission

     

    💝これまで坂田のブログに記載した、ARAKU COFFEEに関する記録

    ☕️初めての味覚を楽しむランチ@ARAKU COFFEEと、南仏旅情。(2022/6/29)

    ☕️大地の恵みを、いただきます! 12月5日「世界土壌デー」に、遍く命を育む「土」の世界を、掘りさげ学ぶ@ARAKU COFFEE(2021/12/6)

    ☕️久々に、夫と出かける土曜日🌿家具店巡りや美味ランチなど (2021/8/2)

    ☕️お好み焼きではありません。ARAKU COFFEEで、日本男児2名とランチ(2021/4/19)

    ☕️ I had lovely lunch at ARAKU COFFEE again. (2021/4/3)

    ☕️ARAKU COFFEEのすてきなカフェレストラン、遂にオープン (2021/3/26) 
    この日の記録は、店のコンセプトほか、店内の様子など写真でも紹介しているので、以下、丸ごと転載。

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    【ARAKU COFFEEのすてきなカフェレストラン、遂にオープン/2021年3月26日の記録を転載】

    わたしにとって、バンガロールで最もお気に入りの場所が、またひとつ増えた。ここは間違いなく、これからもしばしば、訪れることになるだろう。

    貧困層支援の慈善団体創設者であり、実業家であり、ソーシャル・アントレプレナーでもある友人マノージ。彼が20年以上に亘って構築しているソーシャル・エンタープライズのARAKU COFFEEが、パリのマレ地区に次いで、インド1号店を、バンガロールのインディラナガールにオープンした。

    先月、身近な関係者だけが招待されてのソフト・オープニングのパーティに足を運んだことはすでに記したが、昨日、オープン後、初めて訪れた。

    マノージが手掛けるビジネスのひとつ、ARAKU COFFEEについては、昨年から何度か紹介してきた。『ミューズ・チャリティフェスト2020』のために、マノージが撮り下ろしてくれた動画をご覧になった方もいるだろう。

    南インドのアンドラ・プラデーシュ州、ヴィシャカパトナムにほど近い「アラク・ヴァレー」という風光明媚な場所にて、コーヒー農家を支援しつつ、極めて良質なコーヒーを生産するARAKU COFFEE。

    良質のコーヒーの生産、農家支援、職業訓練、雇用機会の提供、環境保護、オーガニックの食材、国産品によるインテリア、グローバル・スタンダードの品質管理、トップクラスのマネジメント……。

    一方で、日本を含むコーヒー器具類をも販売するなど、そのディスプレイも上品かつ心地よい。一隅にはライブラリーもあるなど、たいへんな読書家でもあるマノージのセンスが随所に鏤(ちりば)められている。

    夫とマノージとは、グローバル組織であるアスペン・インスティテュートを通して出会った。マノージは、夫が属していたグループのモデレーターだったこともあり、夫は彼の人柄や生き様はもちろん、バイタリティ溢れる行動力に、強い敬意を抱いている。

    🌱The Aspen Institute
    https://www.aspeninstitute.org/

    ARAKUは、そのビジネスモデルそのものが特筆すべきで、Social Enterprise(社会問題解決を目的として収益事業に取り組む事業体)としても知られており、インドのメディアでもしばしば取り上げられている。

    なお、ボードメンバーには、バンガロール拠点IT大手インフォシスの創業メンバーの一人だったセナパティ・ゴパラクリシュナン(通称クリス・ゴパラクリシュナン)や、マヒンドラ・グループ(財閥)会長のアナンド・マヒンドラらも名を連ねる。

    ビジネスモデルに関心のある方には、ぜひARAKU COFFEEサイトのEXPLOREの項目を見てほしい。また、複数メディアに紹介されているので、以下、リンクをはっておく。もちろん、コーヒーの味も試してほしい。個人的にはMICRO CLIMATEが好きだが、いろいろ試されることをお勧めする。

    ❤️Naandi Foundation
    https://www.naandi.org/

    ❤️ARAKU COFFEE
    https://www.arakucoffee.in/

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    📚First look: All you need to know about Araku’s first café in India
    お店の紹介は、このVOGUE INDIA にて、とてもすてきに紹介されている。ビジネスモデル含め、関心のある方は、ぜひご覧ください。
    https://www.vogue.in/culture-and-living/content/araku-coffee-first-cafe-in-india-bengaluru

    📚New in Bengaluru: ARAKU Café raises the bar for coffee shops in the country
    https://www.cntraveller.in/story/new-in-bengaluru-indiranagar-araku-cafe-raises-the-bar-for-coffee-shops-in-the-country/#s-cust0

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    ⬆︎DARK & STORMY/ コールドブリュー・コーヒーに、ほのかなスパイスとシトラスを加え、炭酸水で割ったコールドドリンク。さっぱりと、しかしコーヒーの香りがほどよく、食事にも合う。

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    ⬆︎開店から1週間足らず。すでに若い世代を中心としたゲストで賑わっていた。

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    ⬆︎上階は、コーヒーのテイスティングが楽しめるコーナーがあり、ミーティングルームなど、パーティなど貸切にも対応できるスペースも備えている。

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    ⬆︎つい長居をしてしまいたくなるライブラリーのコーナー。ひとりで外食をすることが多いわたしにとって、このような空間は、本当に幸せ。

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    ⬆︎食事もさることながら、コーヒー専門店につき、コーヒー関連のメニューが非常に充実している。全種類を試してみたくなる。

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    ⬆︎これは1カ月前のソフトオープニングのときの写真。右下の女性は、コーヒーのクオリティの鍵を握っている米国人のコーヒースペシャリスト、シェリー。

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    ⬆︎こちらも1カ月前の写真。料理やスイーツは、ムンバイで、今、最も人気のあるレストランMASQUEを経営する女性起業家、アディティの監修によるもの。ヴォーグのサイトに写っている右端の女性だ。シェフはかつてMASQUEで働いていたラーフル。コーヒー風味のソフトクリームは甘すぎず、ほどよいミルクのコクとコーヒーの香りがいい塩梅。普段はブラックで飲むのだが、甘みとベリーの風味が個性的なBLACK FORESTも、とてもおいしかった。

    🍽Masque Restaurant
    https://www.masquerestaurant.com/

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    ⬆︎こちらは昨夜の写真。一人で訪れたから、あまり食べられないと伝えるのだが、シェフのラーフルが前菜からデザートまで、勧めてくれる。ビーツのサラダとマスカルポーネのムース風。まるでおやつのようでもあり。新鮮なアレギュラ・サラダは独自の近郊農家で栽培しているとのこと。敢えてエビの頭をつけているというグリルも、わたし好みの味。なにより印象的だったのは、この中東のデザート。ぜひ試してみて欲しい。

    【ARAKU COFFEEのプレ・オープニングに招待されたときの記録/2021年2月24日の記録を転載】

    スタッフの女性に誘われ、店舗奥の、ライブラリーにて。タイプライターを前に、一人の男性が座っている。なんというのだろう、彼のような人を。

    人の言葉から、詩を紡ぐ人。

    「あなたの人生で大切なことと、そのエピソードを話してください」と尋ねられたので、コーヒーのソフトクリームを試食しながら、

    「旅」

    と答えた。

    20歳のときに初めてロサンゼルス空港に降り立った時に人生が変わったこと、その後ニューヨークに渡って夫と出会ったこと。これまで無数の土地を旅してきたけれど、インドにたどりついたこと。そして今もまだ、毎日が旅の途中なのだということを、話した。

    そうしたら、彼は丁寧に、ポストカードをタイプライターに挟み込んで、パチパチと一文字ずつを、打ち始めた。

    そして、この詩をくれたのだった。

    ソフトクリームを食べながら、思わず泣きそうになった。なんだかもう、いろいろなことが、ツボすぎる。

    そして毎度おなじみ漢字短冊とミューズ・クリエイションのオリジナルTシャツをお土産に渡したら、ことのほか喜ばれた。なんでもマノージのお嬢さんが、今、日本語を勉強中だとのこと。ARAKUコーヒー自体が日本と深い関わりを持っていることもあり、ご縁は繋がる。

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    ⬆︎我が家のCANDYも、告知に貢献😸

    🇮🇳『教えて! みほ先輩!』 ナマステMayoTV インド系Youtuber眞代さんのバンガロール旅(2:50あたりからARAKU COFFEE)

     

    ☕️ARAKU COFFEE/ 高品質オーガニックコーヒーを生産するソーシャルアントレプレナー。アラク・コーヒー創業者マノージが語る日本との関わり/撮り下ろし

     

    ☕️南インドのコーヒー文化/伝統的なサウスインディアン・コーヒーとその楽しみ方/良質なコーヒーの新潮流/インドで購入できるコーヒー豆や、おすすめのカフェなど

     

    ☕️通販を賑わせるおしゃれな手工芸&天然素材のマスク/農家支援のワールドクラス高品質コーヒー ARAKU COFFEE

     

    【追記】

    「人助け」に対する考え方は、国や周辺環境、個人によって異なるだろう。ところで先日、目にしたこの「世界人助けランキング」の統計を見て、諸々、納得することがあった。

    統計の取り方に問題がある。調査対象に偏りがある。異論も多々あるだろう。しかし過去25年。一時帰国のたびに深まる違和感が、数字に現れているようで納得する。ミューズ・クリエイションをはじめ、わたしの行動をして、日本人から、「お節介」と言われたり。あるいは慈善活動をする人に対して「偽善」という言葉を投げつける人をしても。

    それに加えて、他者が施す大金に対して「〇〇円をポンと寄付」という書き方をするメディア。ポンと。って、なんですか? それを寄付するに際して、その人の背景にある何かを知っていたら、「ポンと」などという表現はできないはずだ。寄付をしている人に対して、ひどく失礼な表現だと思う。

    不快に思い、「人は損得感情だけでは生きていけぬものぞ!」と叫びたくなることもしばしばだ。しかし、日本の趨勢がこうであれば、言われても仕方がないのだな……という気さえする。

    114カ国中114位。この圧倒的な、日本の低さ……。ちなみにインドは14位だ。

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    *人助けランキング、日本は大差で世界最下位 アメリカは首位陥落、中国は順位上昇 トップは?
    ➡︎https://news.yahoo.co.jp/byline/iizukamakiko/20211022-00264181?fbclid=IwAR0um1hpYOPtPjd4z6fVilEnHmXLjFqx2nV0e9TI_iF_maap3dpnI5hYcwM

    *World Giving Index 2021/ A Grobal Pandemic Special Report
    ➡︎https://www.cafonline.org/docs/default-source/about-us-research/cafworldgivingindex2021_report_web2_100621.pdf

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    今月末でちょうど勤続10年となる我が家のドライヴァー、アンソニー。我々夫婦のバンガロールでの暮らしは、車の運転だけにはとどまらない、彼のサポートによっても、ずいぶん助けられている。今日、彼は休みを取り、家族で教会へと赴いている。

    今から4年前の今日、キリスト教の聖地の海で他界した長男をしのぶ礼拝のために。

    どんなに歳月が流れても、痛みが和らぐことなどないだろう。あの日のことを思い出すと、胸が迫る。訃報の電話に動揺し、頭が廻らず、当時、熱中していたゼンタングルを、ひたすら描いた。

    以下、4年前の記録を転載する。最下部には、日本在外企業協会刊『月刊グローバル経営』に寄稿した記事の写真も載せている。インドにおけるキリスト教についての概要が、おわかりいただけるかと思う。

    訃報を聞いた後、わたしはアンソニーがすぐに仕事に戻れるとは思わなかった。しかし、翌週から、彼は勤務を再開した。何かをしていなければ、耐え難かったのだろう。しばらくは、彼が運転に集中できるだろうかと心配でもあった。しかし、そもそも非常に運転がうまく、決してホーンを鳴らさず、危険なことはしない人である。杞憂に終わったが、しかしその後、折に触れて話をするたび、彼がどれほど、自分を責めているかということが、わかった。

    毎年この時期、家族や親戚全員で、お隣タミル・ナドゥ州の海辺にあるキリスト教の聖地へ赴いていた。それを取りまとめるのは、アンソニーの役目だった。しかし、その年、長男は試験があるからと旅に行くことを拒んだ。行きたくないと何度も言った。しかしアンソニーは、長男だけを残して行くことはできない。勉強道具を持参して同行しなさいと息子に同行を強制した。

    その挙句の、長男の死。

    アンソニーと結婚するためにキリスト教に改宗したそもそもヒンドゥー教徒だった妻は、神を責めた。夫をなじった。

    周囲からの憐憫も苦痛で、責められることにも慣れ、アンソニーは相当に苦しい日々を送っていた。わたしはただ、

    「決して自分を責めないで。あなたは悪くない」

    とだけを、繰り返し告げることしかできなかった。折に触れての、長男を巡る会話は、兎にも角にも遣瀬なかった。途轍もない苦しみを抱えながら、まさに十字架を背負いながらも、日々努めて明るく過ごしている彼を尊敬する。

    ……ともあれ、以下の記録、お読みいただければ幸甚だ。

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    ◎インド生活で学んだ、使用人と雇い主との関係性。

    10年に亘る米国生活を経て南インドのバンガロールに移住して12年が過ぎた。夫の故郷ニューデリーで2001年に結婚したときには、まさか自分がこの国に「住みに来る」ことになろうとは思わなかった。

    2003年ごろから徐々に、インドの経済やライフスタイルが変貌を遂げているニュースを見るにつけ、住んでみたいと思うようになった。投資関係の仕事をしていた夫は、当初に抵抗を示していたが、「半年はお試し期間」などといいつつ2005年11月に移住したのだった。

    先日、11月10日で、ちょうど12周年を迎えた。

    わたしがインド移住を希望した理由はいくつかあった。その一つが、使用人のいるライフスタイルである。北インド、パンジャブ地方出身の男性は一般に甘やかされて育ち、勉強や仕事ができても自分の身の回りのことができない人が少なくないらしい。

    我が夫も例にもれず。仕事をする傍ら、料理や掃除などの家事ばかりか、日曜大工的なことまでもわたし一人が担うことに、淡い懸念を抱いたわたしは、インドであれば使用人のいる暮らしができる、自分一人が抱え込む必要がなくなると判断した。

    最近でこそ、若い世代は核家族が増え、使用人のいない家庭も増えたが、一昔前までは、富裕層の家庭が複数の使用人を抱えるのは一般的なことであった。デリーの夫の実家には、もはや「執事」のような存在の勤続数十年のドライヴァーがいる。

    彼なしでは、義理両親の生活は成り立たないほどだ。親戚の家にしてもしかり。買い物だけでなく、銀行振り込みなど金銭に関わることまでも、任せている。一方で、義理両親は彼らの生活を保障している。子供達の学費は全面的に支援してきた。数年前には、長女が大学に進学。サイエンティストを目指しているという。

    翻って我が家。現在、勤続6年のドライヴァーとメイド、そして庭師が出入りしている。ドライヴァーは、運転だけでなく、日常の買い物やちょっとした日曜大工など、家の雑事を引き受けてくれる。家の鍵を託しているので、我々の不在時には猫の面倒を見に来てもくれる。

    安全で的確な運転をしてくれるだけでなく、非常に誠実な人柄だということもあり、我々夫婦は信頼を寄せている。娘が1人、息子が2人、そして妻の5人家族。ドライヴァーの平均的給与よりは多めを渡しているとはいえ、3人の子供を育てるには厳しい。

    ゆえに、彼らの学費支援は6年前から続けている。

    昨年、長女が美容学校を卒業して、ビューティーサロンで働き始めた。次は長男が、来年、大学進学か就職かを決める時期だった。大学進学ならば、長男ともきちんと話をした上で、学費支援をすることにしていた。

    ところが、それが叶わなくなってしまった。いや、その必要が、なくなってしまったのだ。

    ◎我が家のドライヴァー、アレキサンダー一家のこと。

    年に一度、我が家のドライヴァー、アンソニー・アレキサンダー(重厚感あふれる名前!)とその一家は、1週間ほどの休暇を取り、故郷タミル・ナドゥ州の海辺の町、ヴェランカニへ赴くのが恒例だ。

    我々夫婦がNORAを飼い始めた当初、アンソニーはわたしに苦笑しながら言った。

    「マダム。僕は悪魔には対応できても、猫はダメです。苦手なんです。ひっかくから」

    ところがROCKY、JACKと、我が家の飼い猫が増えるにつれ、彼もまた、いつしか「猫煩悩」になっていた。そしてついには数カ月前、野良猫インヤンが生んだ4匹の子猫のうち、2匹を引き取って行った。猫らは家族5人に溺愛されている。

    旅行を前にして、アレキサンダー一家の懸念は、「不在時の猫の世話」だった。妻は心配のあまり「旅行に連れていく」とまで言っていた。

    我が家のNORAが友好的な性格であれば、サンルームで預かってもいいのだが、なにしろ彼女は外部に対して極度に厳しい。「抗議の粗相」をされる可能性が高かったので、申し出なかった。結局は、ペットホテルに預けることになった。

    猫のワクチン代や手術代などを我々がサポートすることは、あらかじめ決めていた。日常の餌代などは、彼らが出している。しかし、わたしに影響されたのか、

    「キャットフードだけでは猫にとってよくないので、妻がチキンや魚を料理しているんです。猫の食費がかかりすぎて困ります」と嘆いていた。

    「過保護にしすぎる必要はないからね。普通は市販のキャットフードだけでも十分なんだから。そこいらの野良猫は、チャパティとかダルとか食べてるよ。我が家は特殊なの。過保護なの。真似しなくていいから!」

    という話をしたこともある。

    *   *   *

    彼の妻は、そもそもヒンドゥー教徒の生まれであった。しかし敬虔なクリスチャンのアンソニーと出会い、恋に落ちた。「異教徒結婚」をしたことにより、彼女は自分の家族との縁を絶たれた。思慮深くおとなしく、とてもやさしげな女性である。

    初めて会った時から印象はほとんど変わらず、子供達はどんどん大きくなっている一方で、少女のような雰囲気を残している。長女とは姉妹のようにさえ見える。

    彼女は他人と関わるのが極度に苦手だとのことで、友達がいないという。家を守り、家族のために働くことが彼女の生き甲斐でもあるようだ。一度、我が家のメイドがいなくなった時期に、彼女に来てもらえないかとアンソニーに頼んだが、外で働くのは無理だとの返事が返ってきた。

    前述の通り、彼ら夫婦には3人の子供がいる。長女アリス19歳、長男アンソン17歳、そして次男アルウィン15歳。

    妻が次男のアルウィンを身ごもった時の話を、以前、聞いたことがある。

    第三子の懐妊に、彼ら夫婦は動揺した。経済的にも、子供は2人で十分だと思っていたのに、図らずも妊娠してしまったからだ。彼は行きつけのドクター(クリスチャン)に中絶を依頼した。しかしドクターは、母体の体調がよくないのですぐには手術できないという。

    結果、彼女は中絶のタイミングを逃した。

    後日、ドクターが故意に搔爬を避けさせたと知った夫婦は憤慨し、ドクターに詰め寄るも、出産する以外、道はなかった。

    生まれてきた子は、色白で(インド人にしては)、とてもかわいらしい男の子であった。夫婦はこの命を殺そうとしたことを、深く悔いたという。

    ドクターが「もしも本当にこの子を望まないのなら、わたしが引き取ります」と言ったそうだが、もちろん、そんなことはしなかった。

    このドクターの行動の善し悪しはさておいて、そのような経緯で、アルウィンはこの世に生を受けたのだった。確かに一般のドライヴァーとしての給与だけでは、とても3人の学費や生活費を賄えない。

    子供のいない我々夫婦にとっては、次の世代を「間接的に」育てるという意味において、ドライヴァーだけでなく、過去のメイドの子供、庭師の子供も含め、学費支援を続けてきたのだった。

    学費支援だけではない。使用人との間には、適度な距離感を保たねばならないと心得てはいるものの、移動の車中、世間話をすることも、たまにある。彼から相談とも悩みともつかない子供の話を聞くことも少なくない。

    子供たちが中学生になったあとの数年間は、反抗的な息子らに手を焼いていた。わたしには子供がいないが、そこそこの知識があるし、何より自分が子供の時のことをよく覚えているから、彼らの心理は理解できる。

    折に触れて、自分にわかる範囲での提言をしてきた。直接の関わり合いがなくとも、3人の子供たちは、わたしにとって、姪や甥のような距離感なのかもしれない。

    ◎理不尽で、むごすぎる、死の知らせ。

    水曜の夕方、猫らをペットホテルに預けたあと、アンソニーは我が家に立ち寄った。ちょうど年に一度の健康保険の更新時期だったので、その小切手を渡していたのだが、「小切手を現金化できました。ありがとうございます」と知らせに来てくれた。

    そして、その日の夜の列車で、彼ら家族5人とアンソニーの母親、総勢6人はヴェランカニに赴いたのだった。

    「気をつけて。よい旅を!」

    と言いながら、最後に彼の顔を見た時、一抹の「寂しい感情」が、胸の底に波打った。あとからの、こじつけではない。旅行前の楽しい感じが、漂っていなかったのだ。

    のちになって、メイドのマニが同じことを言っていた。

    「マダム、わたしは最後に駐車場でアンソニーに会った時、なんだかとても嫌な感じがしたんです。胸がざわざわするような。まさかこんなことになるなんて……」

    *   *   *

    彼らがヴェランカニに到着した翌朝、長女アリスから電話があった。

    「上の弟のアンソンが、波に飲まれて行方不明になりました。5人の従兄弟たちと遊んでいて、みんな波に飲み込まれました。4人は戻ってきましたが、アンソンだけが、もう2時間以上探しているけど、見つかりません。父や親戚がみんなで探していますが、見つかりません。発見までに2、3日かかるかもしれません」

    要約すれば、このような内容だった。

    彼女は努めて冷静に話していたが、どれほど動揺していたことだろう。

    遺体が見つかったわけではない。どこか浜辺にでも打ち上げられて助かる可能性もあるかもしれないと、続報を待った。

    正直なところ、彼らが毎年訪れている場所が、海辺だとは知らなかった。出発前には「今はサイクロンの時期だから気をつけてね」などと話をしていたのだが、まさか海で泳ぐとは思いもよらなかった。

    この時期の海、危険だから泳いではいけないと誰も言わなかったのだろうか、そもそもスマトラ沖大地震の時、南インドの東側沿岸部は甚大な被害を被っているはずで、海への畏怖はあったのではないか……。

    いろいろな思いが巡った。

    昨日、歯医者を訪れた時に、やはりクリスチャンであるドクターにこの話をした際に知ったのだが、ヴェランカニはインドのクリスチャンにとって聖地ともいえる場所らしい。海に面して、有名な聖母教会があり、多くの巡礼者が訪れるのだという。

    2004年のスマトラ沖地震のときには、津波で多数の巡礼者が死亡、インドでは最も被害の大きかった町だったとのこと。

    「僕の家族は敬虔なシリア正教の信者だけれど、僕はそもそもから宗教を信じてないよ。母を喜ばせるために、子供の頃から教会に行ったりしていたけれど。今回のことだって、そうでしょう? 巡礼に行った先で子供が死ぬなんて! 津波で大勢が死んだ時、犠牲者の大半は巡礼者だった。それをして、司教は言ったんだよ。その死には、意味があるって。たとえば子供の死に、どんな意味があると思う?」

    自分の子供を喪った時に、そこに意味があったとして、喪失を埋めてあまりあるものなど、なにひとつないはずだ。

    この巡礼地の海では、以降も毎年、多くの人々が溺死しているという。地元の人たちは耐えかねて、標識を立てかけたり、ヴォランティアでライフガードをしているとの話もあるようだ。

    こんな時期の、そんな海で、なぜ? 一緒に遊んでいた従兄弟には、地元の子がいたはずなのに、なぜ止めなかった? 親だってもっと注意すべきだったのでは……? 

    腹立たしくなるまでに浮かんでくる疑念さえも、虚しい。アンソニーはじめ、周りの人たちはもう、防げたはずの死を防げなかったことを、とてつもなく悔いているはずだから。

    そして翌金曜日の朝。

    電話の着信画面に、「Antony」の文字。息も詰まるような思いで電話をとれば、電話の向こうで、彼が号泣している。長男アンソンの遺体が上がったという。そのことだけを絞り出すような声で伝えて、あとは大きな泣き声。そして唐突に、電話は切れた。

    その直後、わたしのWhatsAppに、遺体の写真が送られてきた。砂浜に横たえられた遺体は、うっすら鼻血が出ていたものの、そのときはまだ、眠っているかのように穏やかだった。

    水死体ほど悲惨なものはないと聞く。遺体がひどく傷む前に見つかったのは、せめてもの救いだったかと思う。

    金曜の夜、再びアンソニーから電話があった。今夜、柩と共に、列車でバンガロールに戻るという。明日の午後、教会で葬儀をし、その後、墓地に埋葬するとのこと。涙を堪えつつ報告してくれる。

    もう、かける言葉がない。

    そして土曜の午後、夫と二人、葬儀の行われる教会へ赴いた。棺の中に花に埋もれて横たわるアンソンの、しかし露出した顔の部分が、遠目にどす黒く変化しているのを認めて、とても正視できない。最後のお別れの献花のときには、棺を直視せず、傍に花を置くので精一杯だった。

    昨日、メイドのマニに聞いたところによると、彼女は葬儀の前、土曜の朝に彼らの家を訪問したという。遺体は全身に黒ずみ、顔も傷だらけで、後頭部からは血が流れ続けていたという。

    とてもアンソンとは思えず、誰か別の人の遺体じゃないかとアンソニーに問うたとのこと。

    たとえきれいな状況で打ち上げられても、時間と共に遺体はひどく変化するものらしい。きちんとした病院ならば、きっと身体を包帯でぐるぐるに巻いてくれたはずだ。いやインドでは、そういうことはしないのだろうか。

    愛すべき家族の、悲惨な姿を目にすること。いかばかりの、苦痛か。

    ◎果たして、これから先、いったいどうなるのだろう。

    使用人を抱える習慣がない日本人に、「雇用主と使用人」の人間関係を理解するのは少し困難かもしれない。他人でありながら、他人にあらず。場合によっては、家族や親戚以上に、相手のことを知っている。なにしろ6年間も毎日顔を合わせていれば、相手のことが身近になって当然である。

    もはや、他人とは呼べない縁で繋がっているドライヴァー一家と、我々はこれからどのように関わっていくべきなのか。

    こんな悲劇を前にしては、金銭的支援など、どうにも軽すぎる。軽すぎるがしかし、最低限できることは、まずそれだ。

    しかしそれ以外にできることを、あまり思いつかない。

    アンソニーはどんなに辛くても、仕事がある。仕事をしているときには、他に注意を向けられる。アリスにも仕事があり、アルウィンには学校がある。

    懸念は専業主婦で家にいつづける妻だ。せめて2匹の猫らが、彼女の心を少しでも、慰めてくれればいいのだが……。

    ただただ、静かに見守ることしかできそうにない。

    わたし自身の悲しみではないのだから、考えすぎたり、ため息をついたりするのはよそうと思いつつも、昨夜までは本当に、打ちのめされていた。今朝になって、少し、気持ちが持ち直したので、今、こうして記録を残している。

    やるべき仕事も待っている。わたしがあれこれと思い患ったところで仕方ない。ただ、悲しみというのではない、「気の毒すぎてたまらない」という心情に、ずっしりと引きずられてしまった。

    葬儀のとき、アリスに「どんなに食欲がなくても、とにかく、ちゃんとご飯を作って、食べなきゃだめだよ」と言ったのが、唯一、意味のある言葉だったように思う。

    一度、おすそ分けをしたら、とても喜ばれたケーキやプリンなどを作って、これからはときどき、渡そうと思う。

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    以下、Instagram/ Facebookに残した記録を転載。

    ●11月9日(木)午後

    我が家に勤続6年の頼りになるドライヴァー、アンソニー。昨日の夜から、妻と子供たち(女1人男2人)を連れてタミル・ナドゥの故郷へ休暇に出かけた。

    1時間ほど前、長女から悲痛な電話が入った。家族みんなでビーチで遊んでいたところ、長男が高波に飲み込まれ、もう何時間も行方不明だとのこと。アンソニーとは直接、話をしていないが、捜索してもらえている様子はない。警察からは、2、3日待たないと……と言われたとのこと。

    なんということだろう。気の毒すぎる。

    天候が不安定なこの時期の海は、危険だ。日本であれば「お盆過ぎの海は入ってはならない」といわれるが、タミル・ナドゥにはそういう言い伝えのようなものは、ないのだろうか……。一昨日、「サイクロンの影響で天候が不安定だから気をつけて」という話をしたばかりだったのに。周りの人は、海へ行くことを止めなかったのだろうか……などと、思い煩ったところで、やりきれないだけだ。

    あまりのことに、どうしていいのかわからない。どこか浜辺に打ち上げられて助かるということは、ないのだろうか。そう願いたい。生きていて欲しい。

    ●11月10日(金)朝

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    ドライヴァーのアンソニーは休暇を取り、一昨日から家族5人で故郷のタミル・ナドゥへ赴いていた。昨日、海辺で長男が行方不明になったとの知らせを受けた。そして今朝、遺体が見つかったとの電話。アンソニーが、電話の向こうで泣き崩れている。大声で泣いていて、もう何を言っているのかもわからない。

    17歳。来年は大学進学か、就職か、考えていた矢先。

    奥さんは、大丈夫だろうか。長女は、次男は……。

    アンソニーは、家族思いで、心配性で、ときどき感情が乱れるけれど、妻は、いつも安定のやさしさで夫と子供らを見守っている、そんな家族だ。猫嫌いだったアンソニーが、慈愛深くなり、2匹の子猫を引き受けた。今回の旅も、不在時の猫を人に任せるのは心配だからと、ペットホテルに預けに行っていた。

    信心深く、「善良」を絵に描いたような、いい家族なのだ。もちろん、ちょっとしたあれこれはあったけれど、そういうことを補ってあまりある、本当に善き人たち、なのだ。

    どうして、こんなことになってしまったのだろう。今はちょっともう、言葉がない。どうしていいのかもわからない。どうして彼らに、こんなにも地獄みたいな試練が与えられなければならないのだろう。

    ●11月10日(金)夜

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    メメント・モリ。死を思え。

    ポルトガルのエヴォラの、サン・フランシスコ教会の納骨堂は、壁面が人骨で覆われていた。あの教会を訪れたのは、まだ30歳を過ぎたばかりのころだった。

    死を思えども、死はまだ、遠いところにあった。不意に訪れる若き死が、至るところに在ることを、知っていてなお、「肌身には」感じられなかった。

    しかし、生きていくにつれ、身近での火災、大小のテロ、身内の病死、友人の事故死、抗いようのない天災……。歳月を重ねるごとに、生き死にの関わりも増えていった。

    そして思う。

    生きている人は「紙一重」の違いで生きている。死んだ人は「紙一重」の違いで、死んでいる。

    思慮浅く、冒険心が勝る若いころには、危険を危険とも思わずに、無謀なこともしてきたものだ。だから、若い人たちに、無茶をするなとは言いたくない。けれど、こうして若い死を目の当たりにすると、浅はかな好奇心が、一瞬の揺らぎが、致命的になることを、案ぜずにはいられない。

    人の命の、強さ儚さ。激戦地で生き延びる命。難病を克服する命。漂流から生還する命。無数の強い命がある一方で、突然、ストンと暗幕が落ちるみたいに、消える命。

    *   *   *

    死を詳らかに人に示す国は、多分、インド以外にもあるだろう。しかし、その露骨さという意味で、この国は極めて特異かもしれない。新聞に遺体の写真が掲載されることも、珍しくない。最近は少し減った気がするが……。無論、ヒンドゥー教、イスラム教、キリスト教、スィク教と数多くの宗教が混在するこの国では、多数派や平均値を語りにくい。一概にはいえない。

    それでも、たとえばまるで祝祭のように、派手に太鼓をかき鳴らし、遺体を神輿に乗せて練り歩くヒンドゥー教徒の葬儀の様子を初めて見たときには、呆然と言葉を失した。

    そんな精神世界が根付いているせいなのか。

    今朝、アンソニーから「遺体が見つかった」との連絡があったあと、WhatsAppで、長男の写真が、届いた。遺体が翌朝に見つかることは、かなり稀なことだと聞く。遺体がすぐに戻ってきたのは、せめてもの、救いだったか。

    彼はただ、泳ぎ疲れて眠っているようかのように、静かに、海辺に横たわっていた。上の写真は、遺体の向こうに広がる砂浜と、水平線だ。

    今日は週に一度の、ミューズ・クリエイションの集いの日だった。お茶の時間に、メンバーにこのことを話しつつ、みなで、生死の狭間の出来事などを語りつつ、申し訳なくも、少し重い午後。なにしろアンソニーは、ミューズ・クリエイションのあれこれを、サポートしてくれている大切な助っ人でもあり。

    夕刻、アンソニーから電話があった。これから列車で、遺体をバンガロールまで運ぶという。そして明日の午後、教会で葬礼を営む。

    心の底から気泡のように、いろいろな言葉が浮かんで、漂っては、消え、漂っては、消え、を繰り返している。

    ●11月11日(土)午後

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    [Sad News 別れの礼拝]

    Antony, who is working for us as a driver about 7 years, and his family (wife, daughter and two sons) took the holiday to go to his hometown in Tamil Nadu on this Wednesday.

    I got phone call from his daughter, who is 19 years old, around noon on Thursday. According to her, one of her brothers, Anson 17 years old is missing in the sea. We are very confused and upset, but we couldn’t do anything.

    Antony called me yesterday morning. He was crying over the phone. He just told me that they found Anson’s body. He could not speak anything other than that.

    When five relatives’ boys were playing in the beach together, suddenly huge wave caught them, and they were washed away. Four people were exhaled from the sea, but only Anson had been swallowed.

    The family came back to Bangalore late last night. Arvind and I went to the mass which was held in the Holy Ghost Church in Richards Park this afternoon.

    They are truly a wonderful family. Why was such a cruel fate given to them? I have no words to say.

    石造りの、簡素ながらも厳かに麗しい教会で、アンソンの葬儀は行われた。祭壇には、白い花が飾られている。紫色の法衣を纏った神父は、夫にもわたしにもわからないこの土地の言語、カンナダ語で、参列者に語り続ける。

    カラフルなサリーや、シャツを身につけた参列者は、何度か立ち上がり、賛美歌を歌う。耳覚えのない、朗らかに長調の、カンナダ語の賛美歌。「ハレルヤ」という言葉だけが、ぽつぽつと、浮かび上がってくる。

    最前列の、頭を丸めたアンソニーと、妻と、長女と、次男の姿が、揺らいで見える。

    高い天井を仰ぎ見ながら、この国に遥か遠い昔から息づいているこの宗教への、篤い信仰心を持つ人々に囲まれながら、この理不尽な事態を呑み込めない。

    なぜ、こんな季節の海に入ったのか。

    未然に防げたはずの死。ゆえに、後悔や、罪悪感が渦巻いて、一層の苦しみとなっていることだろう。

    時計を巻き戻したいと、絶望的に念じているだろう。強く念ずれば、巻き戻せるような気さえする。けれど、決して、巻き戻すことはできない。

    多分、190センチ前後はあったに違いない、アンソンは細身で長身の青年だった。長い棺に横たわり、花に埋もれて、しかし正視するに難く。

    最後のお別れをして、墓地へ向かう彼らを見送る。

    この6年間。わたしたちにできる限りの支援を、彼らにはしてきたつもりだ。それはもちろん、アンソニーが誠意を持って、わたしたちのために働いてくれていて、彼の働きが、とても大切であるからに他ならない。

    インドにおいて、久しく使用人(ドライヴァーであれ、メイドであれ)と関わり続けるに際しては、多くの日本人にはきっと、俄かに想像しがたい、特殊な人間関係がある。家の鍵を預け、家のさまざまを、任せる。夫の実家や親戚の家には、勤続20年、30年を超える使用人が、彼らの暮らしを支えている。

    我々夫婦とアンソニーの家族とはまた、主従関係でありつつも、「持ちつ持たれつ」なのだ。他人と割り切れる存在ではない。

    書棚にある、アンソニーの子供たち記録ファイルを開く。この6年間。それぞれの子らの学費の内訳や、向こう5年の予算表などを眺めつつ、「2018年:アンソンは大学進学か就職」と書かれたメモが、胸に刺さる。

    これから先しばらくは、違う意味での支えが、必要になるだろう。時間が解決してくれるような類いの悲劇ではない。決して癒えることのない痛み。

    わたしたちにできることを、丁寧に考えていかねばと、思う。

    *   *   *

    今、アンソニーのWhatsAppを見たら、プロフィール写真がアンソンの写真に差し替えられていた。添えられている言葉に、絶句する。

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    I am proud of my son. Thank you God.

    ……神様!!!!

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    ●継続しているドライヴァーを巡る熱い旅路。
    (過去、我が家が見舞われたドライヴァーを巡るトラブルの歴史)

    ●日米印スタッフ共作。バイクCMの撮影を巡って。
    (アンソニーがいたからこそ、引き受けられた仕事の記録)

    ●大停電/初潮/泣く庭師/ゴアまで「0km」探検
    (使用人にまつわるエピソードなど)

    ◉日本在外企業協会刊『月刊グローバル経営』に寄稿した記事(2018年4月号)

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    ヒンディー語教師のYoutuber、眞代さんと始めたコラボ企画。2回目の今回は、ディワリの話題をレポートした。まずはA面、眞代さんの動画をご覧の上、坂田のB面をご覧ください。しゃべりまくるみほ先輩の言いたいポイントを、巧みに編集する眞代さんに敬服。どちらもお見逃しなく!

    【ナマステMayoTV】 『教えて! みほ先輩!/A面』
    インドのディワリはどんなお祭り?

    【インド発、世界】 『教えて! みほ先輩! /B面』
    ダイナミックな打ち上げ花火の体験動画など

    【関連情報のリンク】

    ◉光あふれるヒンドゥー教の新年 HAPPY DIWALI!
    ➡︎ https://museindia.typepad.jp/2021/2021/11/diwali.html

    ◉日本から来ました! 欧州発、日本経由インド。旅するマジョリカ・タイル。
    ➡︎ https://museindia.typepad.jp/2021/2021/09/tile.html

    ◉義父ロメイシュの急逝から1年。アルバムに滲むインドの歴史。家族の肖像。
    ➡︎ https://youtu.be/OtNgrijDOa4

    ◉2004年。インド移住前に訪れたバンガロールで、家族揃ってディワリを過ごした
    ➡︎ http://www.museny.com/2004/india1004-55.htm

    ◉インドで製造されているCOVID-19ワクチンについて(ラグヴァン博士の話)
    ➡︎ https://museindia.typepad.jp/2021/2021/01/covid.html

    『インドのファッション&ビューティ』ブログ(サリーの情報も満載)
    ➡︎ https://museindia.typepad.jp/fashion/

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    ☕️ARAKU COFFEE/ 高品質オーガニックコーヒーを生産するソーシャルアントレプレナー。アラク・コーヒー創業者マノージが語る日本との関わり/撮り下ろし

    💝アラクの谷で育まれた最高品質のコーヒー。その背景には23年に亘っての偉大なる支援の歳月がある 

    ARAKU COFFEEのオーナーであり、その母体となる慈善団体、ナーンディ・ファウンデーションの創始者でもある友人のマノージからのコーヒー・テイスティング&ディナーの招待を受け、先週の金曜夜、インディラナガールのARAKU COFFEEへ足を運んだ。

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    折しも、金曜の午後、ここカルナータカ州の言語「カンナダ語」によるカンナダ映画の俳優が急逝。暴動を懸念する当局から、即、金曜から週末にかけて、夜間のアルコール販売禁止や集団での行動に規制が入った。

    人気俳優の他界がなぜ暴動につながるのか、ピンとこない人が多数だろうが、かつても大俳優が亡くなり、悲しみのあまりに荒れ狂った庶民が、店のショーウインドーを叩き割るなどの暴挙に出たケースがあるなど、インドはなにかと計り知れないので、注意しておくにこしたことはない。

    季節外れの大雨の中、正面玄関が閉ざされたARAKU COFFEEの、裏口から回って店内、2階へと案内される。

    プレ・オープニングで会って以来のマノージはじめ、関係者に出迎えられ、さっそく、特筆すべき「限定500パック販売」の高品質なマイクロロット「LOT 58」を味わう。深いアロマ、ほんのりフルーティ、しかし酸味がほどよく、とてもおいしい。

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    この写真は、パーティの当日に自宅へ届けられた「LOT 58」。こればかりは丁寧に挽いて、ゆっくり丁寧に煎れ、しみじみと飲む予定。

    さて、わたしはしばしば、ARAKU COFFEEを訪れ、ソーシャル・メディアを通して料理やコーヒーを紹介しているが、それは「飲食店として関心があるから」だけではない。ARAKU COFFEEの母体であるナーンディ・ファウンデーション、ひいてはマノージの生き様、彼の行う「貧困に苦しむ人たちの救済方法とその尽力」に、強い感銘を受けているからだ。

    今日はそのあたりの背景についても、長くなるが書き残しておこうと思う。

    💝インドが一つの国で在り続ける「奇跡」の背景には、このような無数の助け合いがある 

    1947年のインド・パキスタン分離独立以来、この巨大国家インドが一つの国として存在し続けていることは奇跡である……ということは、これまでも幾度となく記してきた。インドで生まれ育ったインド人ですら、インドの全容を見晴るかすことができる人は稀有であろう。

    複雑で多様性に富んだ国インド。この国が、さまざまにネガティヴな側面を抱えながらも、「民主主義国家」としての体裁を維持し、存続できている大きな理由のひとつに、「人々の助け合う力」が挙げられるだろう。宗教団体、コミュニティ、自治体、企業、個人……。

    わたしは、インド移住から一年余りたった2007年に、個人的に慈善活動を始めた。東京時代、ニューヨーク時代は、自分の仕事で精一杯、社会への貢献を考える余地がなかったわたしが、思うところあり、活動を始めた。以来、この国で学んだことの多さは、挙げればきりがない。

    ⬇︎ミューズ・クリエイション8周年記念動画 ①創設背景 ②慈善団体訪問 ③イヴェント

    2012年にミューズ・クリエイションを創設した後も、社会貢献に身を投じている多くの人々を目の当たりにしてきた。わたしが訪問し、記録に残してきた人々は、その氷山の一角にすぎない。パンデミックの第二波をインドで経験した人ならば、インドの人々の助け合う力の強さに、感銘を受けた人も少なくないだろう。

    山積する社会問題に対して、看過するだけでなく、自ら動いて状況を変えようとする人が身近に多いことは、わたしにとっては大きな心の支えであり、希望でもある。

    💝「奇跡」といっても過言ではない。インドが一つの国家として存続し続けている現実 

    人口13億人。数々の宗教、複数の言語、異なる気候、文化、習慣、食生活……。インドの多様性は、他のどの国にも該当しない、桁外れの存在で、一つの国として在り続けていることは奇跡のようだと、この国に暮らし初めてまもないころから、感じ始めてきた。

    それは、単にわたしの「皮膚感覚」による印象ではない。この国が1947年にインド・パキスタンと分離独立して以来、いや独立する以前から、識者たちは「インドが一つに国であり続けることの、ありえなさ」について、語り、綴ってきた。

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    わたしがセミナーの際にもしばしば引用しているラーマチャンドラ・グハの著書『インド現代史』の引用が、わかりやすいかと思う。インドに関わる方には、ぜひ目を通して欲しい。以下、プロローグのわずかな文章を目にするだけで、インドという国の存在が奇跡的かが、おわかりいただけるだろう。

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    ◉インドのさまざまな「国々(カントリーズ)」の差異に比べれば、ヨーロッパ諸国間の差異などはるかに小さなものであり、「ベンガルとパンジャーブの違いに比べれば、スコットランドとスペインははるかに似通っている。」インドでは人種、言語、宗教の際ははるかに大きい。……「一つのインドというものは、いまもかつても存在しない。(1888年/インドの英国統治整備に関わった人物、サー・ジョン・ストレイチーの言葉)

    ◉(印パが分離独立した1947年以降)注目すべきなのは、インドという存在が、その場限りの観察者や通り一遍のジャーナリストにとって謎だっただけでなく、アカデミックな政治学者にとっても例外的存在であったことである。なぜなら、かれらの定理によれば、文化的な異質性と貧困は、国民を、ましてや民主主義を育成しないからであった。インドが「民主主義制度を維持できるという可能性は、外見上きわめて低いようにおもわれる」と政治学者ロバート・ダールは言い、「そのための有利な条件にすべて欠けている」とも言う。

    ◉(すでにインドが20年以上統一を維持していた1969年、英国人ジャーナリスト、ドン・テイラー曰く)核心にある問題は同じだ。インドは一体として存在し続けるのか、分裂するかだ。この広大な国、五億二四〇〇万人の人口、一五の主要な言語、相対立する宗教、多数の人種、これらを見るだけでも、一つの国民が生まれるとは信じがたい。この国は、心のなかに収めきることすら難しいのだ。威容を誇るヒマラヤ、太陽にやきごがされ、強烈なモンスーンに叩かれた広大なインダス・ガンジス平原、東部デルタの緑の洪水、カルカッタ、ボンベイ、マドラースの大都会、とても、ひとつの国とは思えない。にもかかわらずインドには、その存続を保証するかに見える強靭さがある。インドの精神としか予備用のない何ものかがある。アジアの運命はその存続にかかっているといっても過言ではない。私はそう信じている。

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    💝【参考資料】 インドにおけるフィランソロピー(社会貢献型ビジネスなど)の一端を知る 

    カルナータカ州フブリを拠点とするデッシュパンデ・ファウンデーション。創業者はインド系米国人のヴェンチャー・キャピタリスト、Gururaj Deshpande。彼とは9年前にフブリでお会いしたが、先日もオンラインのイヴェントでお話を聞く機会があった。その件は別の機会に改めて記すつもりだが、ともあれ、インドにおけるソーシャル・アントレプレナーシップなどに関心のある方は、ぜひ以下のリンク先に目を通されることを勧める。

    🌿Deshpande Foundation/ INNOVATION FOR SCALABLE IMPACT
    The Deshpande Foundation, founded by Jaishree and Gururaj ‘Desh’ Deshpande, has supported sustainable, scalable social and economic impact through innovation and entrepreneurship in the United States, Canada, and India.
    ➡︎ https://www.deshpandefoundation.org/

    🌿社会のために、英知を。労力を。フブリのカンファレンスを訪れた際の記録 (2012/1)
    [Hubli] Ecosystem/ Social Entrepreneurship/ NGO/ BOP/ Development….
    ➡︎ https://museindia.typepad.jp/2012/2012/01/deshpande.html

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    💝ARAKU COFFEEの母体、ナーンディ・ファウンデーションとは 

    折しも今日、11月2日、創設23周年を迎えたナーンディ・ファウンデーション。「フィランソロピー」とか「ソーシャル・アントレプレナー」と記しても、その言葉から内容がピンとくる人は少ないだろう。彼らの指針に目を通すだけでも、彼らの活動の主旨がわかるかと思う。

    ARAKU COFFEEの創業者、マノージが、ナーンディ・ファウンデーション (Naandi Foundation/ サンスクリット語で「はじまり」を意味する)を創設したのは1998年のこと。彼らの指針をホームページから抜粋する。

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    ◎ナーンディは、インフォシスの創業メンバーの一人であるクリス・ゴパラクリシュナンや、マヒンドラ&マヒンドラのCEOであるアナンド・マヒンドラをはじめ、著名なビジネスリーダーたちと協調。専門的に運営される非営利団体をとして誕生した。州政府や企業、国際的な開発組織と提携し、貧困村への生活インフラの公共サーヴィスの供給に成功。

    ◎ナーンディはこれまで以下17州において、700万人以上の恵まれない人々の生活に貢献してきた(テランガナ、アンドラ・プラデシュ、グジャラート、マディヤ・プラデシュ、ビハール、デリー、タミル・ナドゥ、ジャンムー・カシミール、カルナータカ、西ベンガル、オディシャ、ケララ、パンジャブ、ハリヤナ、マハラシュトラ、ジャールカンド、ウッタル・プラデシュ)。

    ◎ナーンディは、350人以上のフルタイムの専門家チームと、6000人以上の第一線の開発作業員を擁する。大半がコミュニティ内で採用、訓練されている。

    ◎女子を優先させた初等教育安全な飲料水と衛生設備、乾燥地での大規模な協同灌漑農業、部族地域での持続可能な農業、若者のスキルアップと雇用、安全な母子家庭と幼児教育(子供の栄養失調への取り組みを含む)、その他効率的な解決策を求めている社会経済的な問題など。

    ◎現在、ナーンディは、従来の助成金による活動よりもさらに効率的でコミュニティのニーズに対応した、「ソーシャル・ビジネス」の創設に着眼。新たな社会起業家を生み出す試みを続け、実績をあげている。

    ◉ビジョン 
    貧困の根絶

    ◉使命 
    ・あらゆる活動において、説明責任と透明性の価値を守る、信頼できる組織の構築。
    ・州政府、企業、市民社会の協調、官民パートナーシップを促進すること。
    ・インド国内の貧困撲滅に貢献する、再現/持続可能な成果重視の革新的技術を創造。
    ・インフラ不全、教育不全などにより社会的に疎外された人々の生活の質を高める。

    ◉価値観 
    ・ナーンディと共に、ナーンディのために働くことを喜びにしたいというチームの意図から発展。
    ・誠実さを重視。資金の活用、情報の共有、仕事の提供など、すべての透明性、説明責任を果たす。

    ◉チームワークとプロフェッショナリズム 
    国内の2億5600万人の恵まれない人々が貧困から脱するため、チームワークが不可欠と考える。既成概念に囚われぬ自由な発想を得るべく、プログラムの設計や実施について、幹部や部門を超えたフィードバックとコンセンサスを奨励。また、各分野においては、プロフェッショナルな人材を起用、活動に際して、客観性とプロフェッショナリズムは重要。

    ◉情熱 
    分かち合いと思いやりの精神、人間の尊厳を尊重する価値観、知識を共有する必要性を認識。多くの人を巻き込みながら、平等な世界の実現を目指したいと考える。

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    この日、ディナーの前に、ARAKU COFFEEの足跡に関するプレゼンテーションが行われた。マノージをはじめ、関わる人々のレポートはどれも極めて興味深い。メモしたことをすべて記載したいくらいだが、膨大な量になるので要点だけでも記しておこう。

    アラク・ヴァレーはカルナータカ州のお隣、アンドラ・プラデーシュ州のヴィシャカパトナムから西へ110キロほどの山間にある避暑地。風光明媚なその山間の村では、10を超える先住民族の村人たちが、コーヒーやスパイスを育て、細々と暮らしていた。学校はなく、生活インフラも整っておらず、農民たちの暮らしは困窮していた。

    アラクの村に住む先住民たちの暮らしを向上させるため、23年前、マノージは立ち上がった。当時、学校がなかったその土地で、彼は自ら、木の下で教鞭を取り始めるところから始めた。今では、1万を超えるコーヒー農家、2万を超える他の農作物を育む農家を支え、学校、特に女子の教育に力を入れた支援を行っている。

    ワールドクラスの高品質な農作物を作り上げ、同時に、全ての農民に利益が行き渡るよう、さまざまな試みがなされている。このあたりは、ARAKU COFFEEのホームページに詳細が記されているので、関心のある方はぜひご覧いただきたい。

    【必見動画/TED INDIA】
    シャールク・カーンがホストのTED INDIA。マノージによるプレゼンテーション。彼の活動内容を理解するのに好適な動画。
    ➡︎ https://www.ted.com/talks/manoj_kumar_how_coffee_enriches_india_s_indigenous_peoples

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    以前は、人前でスポーツをすることも恥じらっていた女子たちが、今ではスポーツウエアに身を包んで、バレーボールの試合に出るまでになった。農民たちのライフを、トータルに前向きに、改善している。

    同時に、コーヒー農園の向上、特に「土壌の育成」に際しては、驚くほどの専門的な技術の投入と、試行錯誤が行われており、これに関わる専門家スタッフの話にも感銘を受けるばかり。一人一人を紹介したいところだが、今日のところは割愛。

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    青いシャツを着ているのがマノージ。

    赤いシャツを着ている男性は、1971年に渡印したニュージーランド人のデイヴィッド。ポンディシェリのシュリー・オーロビンドにて、シュタイナー教育やアグリカルチャーの専門家として活動していた彼は、2004年、マノージに誘われてARAKUの活動に参加、以来、アラク・ヴァレーで農民たちとのコーヒー作りをしながら生活している。

    わたしの隣に立っているのは、ムンバイの名レストランMasqueのオーナーであるアディティ。彼女のことは、過去の記録を以下に転載している。彼女もまたマノージに(ほぼ強引に)誘われ、当時MasqueのシェフだったグレイのTシャツ姿のシェフ、ラーフルと共に、アラク・ヴァレーを訪れた。

    最初は、「アラク・ヴァレー?」「コーヒー?」……と、さほど関心がなかったが、そこを訪れて思いが一変したという。結果、バンガロールのARAKU COFFEEのメニュー構築に全面的に貢献、ラーフルはムンバイからバンガロールへと拠点を移して、シェフとなった。

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    この夜の、独創性に富んだ料理の数々! 特にスモークド・チキンの味わいが格別だった。

    ☕️Araku coffee’s make in India push | Co-Founder Manoj Kumar EXCLUSIVE | India Revival Mission

    💝これまで坂田のブログに記載した、ARAKU COFFEEに関する記録 

    ☕️久々に、夫と出かける土曜日🌿家具店巡りや美味ランチなど (2021/8/2)
    ➡︎ https://museindia.typepad.jp/eat/2021/08/araku.html

    ☕️お好み焼きではありません。ARAKU COFFEEで、日本男児2名とランチ(2021/4/19)
    ➡︎ https://museindia.typepad.jp/eat/2021/04/araku-1.html

    ☕️ I had lovely lunch at ARAKU COFFEE again. (2021/4/3)
    ➡︎ https://museindia.typepad.jp/2021/2021/04/araku.html

    ☕️ARAKU COFFEEのすてきなカフェレストラン、遂にオープン (2021/3/26) 
    この日の記録は、店のコンセプトほか、店内の様子など写真でも紹介しているので、以下、丸ごと転載している。
    ➡︎ https://museindia.typepad.jp/2021/2021/03/araku.html

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    【ARAKU COFFEEのすてきなカフェレストラン、遂にオープン/2021年3月26日の記録を転載】 

    わたしにとって、バンガロールで最もお気に入りの場所が、またひとつ増えた。ここは間違いなく、これからもしばしば、訪れることになるだろう。

    貧困層支援の慈善団体創設者であり、実業家であり、ソーシャル・アントレプレナーでもある友人マノージ。彼が20年以上に亘って構築しているソーシャル・エンタープライズのARAKU COFFEEが、パリのマレ地区に次いで、インド1号店を、バンガロールのインディラナガールにオープンした。

    先月、身近な関係者だけが招待されてのソフト・オープニングのパーティに足を運んだことはすでに記したが、昨日、オープン後、初めて訪れた。

    マノージが手掛けるビジネスのひとつ、ARAKU COFFEEについては、昨年から何度か紹介してきた。『ミューズ・チャリティフェスト2020』のために、マノージが撮り下ろしてくれた動画をご覧になった方もいるだろう。

    南インドのアンドラ・プラデーシュ州、ヴィシャカパトナムにほど近い「アラク・ヴァレー」という風光明媚な場所にて、コーヒー農家を支援しつつ、極めて良質なコーヒーを生産するARAKU COFFEE。

    良質のコーヒーの生産、農家支援、職業訓練、雇用機会の提供、環境保護、オーガニックの食材、国産品によるインテリア、グローバル・スタンダードの品質管理、トップクラスのマネジメント……。

    一方で、日本を含むコーヒー器具類をも販売するなど、そのディスプレイも上品かつ心地よい。一隅にはライブラリーもあるなど、たいへんな読書家でもあるマノージのセンスが随所に鏤(ちりば)められている。

    夫とマノージとは、グローバル組織であるアスペン・インスティテュートを通して出会った。マノージは、夫が属していたグループのモデレーターだったこともあり、夫は彼の人柄や生き様はもちろん、バイタリティ溢れる行動力に、強い敬意を抱いている。

    🌱The Aspen Institute
    https://www.aspeninstitute.org/

    ARAKUは、そのビジネスモデルそのものが特筆すべきで、Social Enterprise(社会問題解決を目的として収益事業に取り組む事業体)としても知られており、インドのメディアでもしばしば取り上げられている。

    なお、ボードメンバーには、バンガロール拠点IT大手インフォシスの創業メンバーの一人だったセナパティ・ゴパラクリシュナン(通称クリス・ゴパラクリシュナン)や、マヒンドラ・グループ(財閥)会長のアナンド・マヒンドラらも名を連ねる。

    ビジネスモデルに関心のある方には、ぜひARAKU COFFEEサイトのEXPLOREの項目を見てほしい。また、複数メディアに紹介されているので、以下、リンクをはっておく。もちろん、コーヒーの味も試してほしい。個人的にはMICRO CLIMATEが好きだが、いろいろ試されることをお勧めする。

    ❤️Naandi Foundation
    https://www.naandi.org/

    ❤️ARAKU COFFEE
    https://www.arakucoffee.in/

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    📚First look: All you need to know about Araku’s first café in India
    お店の紹介は、このVOGUE INDIA にて、とてもすてきに紹介されている。ビジネスモデル含め、関心のある方は、ぜひご覧ください。
    https://www.vogue.in/culture-and-living/content/araku-coffee-first-cafe-in-india-bengaluru

    📚New in Bengaluru: ARAKU Café raises the bar for coffee shops in the country
    https://www.cntraveller.in/story/new-in-bengaluru-indiranagar-araku-cafe-raises-the-bar-for-coffee-shops-in-the-country/#s-cust0

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    ⬆︎DARK & STORMY/ コールドブリュー・コーヒーに、ほのかなスパイスとシトラスを加え、炭酸水で割ったコールドドリンク。さっぱりと、しかしコーヒーの香りがほどよく、食事にも合う。

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    ⬆︎開店から1週間足らず。すでに若い世代を中心としたゲストで賑わっていた。

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    ⬆︎上階は、コーヒーのテイスティングが楽しめるコーナーがあり、ミーティングルームなど、パーティなど貸切にも対応できるスペースも備えている。

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    ⬆︎つい長居をしてしまいたくなるライブラリーのコーナー。ひとりで外食をすることが多いわたしにとって、このような空間は、本当に幸せ。

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    ⬆︎食事もさることながら、コーヒー専門店につき、コーヒー関連のメニューが非常に充実している。全種類を試してみたくなる。

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    ⬆︎これは1カ月前のソフトオープニングのときの写真。右下の女性は、コーヒーのクオリティの鍵を握っている米国人のコーヒースペシャリスト、シェリー。

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    ⬆︎こちらも1カ月前の写真。料理やスイーツは、ムンバイで、今、最も人気のあるレストランMASQUEを経営する女性起業家、アディティの監修によるもの。ヴォーグのサイトに写っている右端の女性だ。シェフはかつてMASQUEで働いていたラーフル。コーヒー風味のソフトクリームは甘すぎず、ほどよいミルクのコクとコーヒーの香りがいい塩梅。普段はブラックで飲むのだが、甘みとベリーの風味が個性的なBLACK FORESTも、とてもおいしかった。

    🍽Masque Restaurant
    https://www.masquerestaurant.com/

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    ⬆︎こちらは昨夜の写真。一人で訪れたから、あまり食べられないと伝えるのだが、シェフのラーフルが前菜からデザートまで、勧めてくれる。ビーツのサラダとマスカルポーネのムース風。まるでおやつのようでもあり。新鮮なアレギュラ・サラダは独自の近郊農家で栽培しているとのこと。敢えてエビの頭をつけているというグリルも、わたし好みの味。なにより印象的だったのは、この中東のデザート。ぜひ試してみて欲しい。

    【ARAKU COFFEEのプレ・オープニングに招待されたときの記録/2021年2月24日の記録を転載】 

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    スタッフの女性に誘われ、店舗奥の、ライブラリーにて。タイプライターを前に、一人の男性が座っている。なんというのだろう、彼のような人を。

    人の言葉から、詩を紡ぐ人。

    「あなたの人生で大切なことと、そのエピソードを話してください」と尋ねられたので、コーヒーのソフトクリームを試食しながら、

    「旅」

    と答えた。

    20歳のときに初めてロサンゼルス空港に降り立った時に人生が変わったこと、その後ニューヨークに渡って夫と出会ったこと。これまで無数の土地を旅してきたけれど、インドにたどりついたこと。そして今もまだ、毎日が旅の途中なのだということを、話した。

    そうしたら、彼は丁寧に、ポストカードをタイプライターに挟み込んで、パチパチと一文字ずつを、打ち始めた。

    そして、この詩をくれたのだった。

    ソフトクリームを食べながら、思わず泣きそうになった。なんだかもう、いろいろなことが、ツボすぎる。

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    そして毎度おなじみ漢字短冊とミューズ・クリエイションのオリジナルTシャツをお土産に渡したら、ことのほか喜ばれた。なんでもマノージのお嬢さんが、今、日本語を勉強中だとのこと。ARAKUコーヒー自体が日本と深い関わりを持っていることもあり、ご縁は繋がる。

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    ⬆︎我が家のCANDYも、告知に貢献😸

    ☕️ARAKU COFFEE/ 高品質オーガニックコーヒーを生産するソーシャルアントレプレナー。アラク・コーヒー創業者マノージが語る日本との関わり/撮り下ろし

    ☕️南インドのコーヒー文化/伝統的なサウスインディアン・コーヒーとその楽しみ方/良質なコーヒーの新潮流/インドで購入できるコーヒー豆や、おすすめのカフェなど

    ☕️通販を賑わせるおしゃれな手工芸&天然素材のマスク/農家支援のワールドクラス高品質コーヒー ARAKU COFFEE

    🇮🇳『教えて! みほ先輩!』 ナマステMayoTV インド系Youtuber眞代さんのバンガロール旅(2:50あたりからARAKU COFFEE)

    【追記】

    「人助け」に対する考え方は、国や周辺環境、個人によって異なるだろう。ところで先日、目にしたこの「世界人助けランキング」の統計を見て、諸々、納得することがあった。

    統計の取り方に問題がある。調査対象に偏りがある。異論も多々あるだろう。しかし過去25年。一時帰国のたびに深まる違和感が、数字に現れているようで納得する。ミューズ・クリエイションをはじめ、わたしの行動をして、日本人から、「お節介」と言われたり。あるいは慈善活動をする人に対して「偽善」という言葉を投げつける人をしても。

    それに加えて、他者が施す大金に対して「〇〇円をポンと寄付」という書き方をするメディア。ポンと。って、なんですか? それを寄付するに際して、その人の背景にある何かを知っていたら、「ポンと」などという表現はできないはずだ。寄付をしている人に対して、ひどく失礼な表現だと思う。

    不快に思い、「人は損得感情だけでは生きていけぬものぞ!」と叫びたくなることもしばしばだ。しかし、日本の趨勢がこうであれば、言われても仕方がないのだな……という気さえする。

    114カ国中114位。この圧倒的な、日本の低さ……。ちなみにインドは14位だ。

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    *人助けランキング、日本は大差で世界最下位 アメリカは首位陥落、中国は順位上昇 トップは? 
    ➡︎https://news.yahoo.co.jp/byline/iizukamakiko/20211022-00264181?fbclid=IwAR0um1hpYOPtPjd4z6fVilEnHmXLjFqx2nV0e9TI_iF_maap3dpnI5hYcwM

    *World Giving Index 2021/ A Grobal Pandemic Special Report 
    ➡︎https://www.cafonline.org/docs/default-source/about-us-research/cafworldgivingindex2021_report_web2_100621.pdf

  • 250438673_10223888309932798_7333472474734788500_n

    Yesterday, I went to JP Nagar. Coincidentally, Puneeth Rajkumar had passed away around the time I took the photo of Dr. Rajkumar. RIP.🙏

    昨日、家具工房の帰り道。JPナガール界隈は、昔ながらの南インド軽食店が多いこともあり、本来は朝食のドーサなどをランチで出している店を探して、食べて帰ることにした。

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    Google Mapのおかげで、界隈の「高評価」の店をすぐに探し出せる。大通りを外れ、昔ながらのコテコテな映画館の横を通り過ぎ、込み入った街路を通過して、たどりついたその店。おすすめのバター・マサラ・ドーサにはじまり、ワダを2種類、そしてサウスインディアン・コーヒーを注文(←食べ過ぎ)。

    これだけ頼んで、100ルピーもしない。街中の小洒落た店での食事とは桁が違う。同じバンガロールにいてなお、別の国を旅しているような錯覚に陥る。

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    もっちりどっしりのドーサがおいしく、もりもり立ち食いしていると、急に大雨が降り始めた。直後、夫から電話。ここカルナータカ州のカンナダ(カンナダ語)映画の名俳優Puneeth Rajkumarが急逝したから、帰路、気をつけるようにと。

    WhatsAppを開けば、友人らから関連情報がシェアされている。彼が入院していたカニンガムロード近くのヴィクラム・ホスピタル界隈が、大勢の人々で埋め尽くされている映像など。

    かつてもバンガロールは、大スターの死に伴って、悲しみが高じて暴動に走る意味不明の輩が発生したケースもあり。今日は、市街中心部のKanteerava Stadiumにて葬送の儀式が執り行われたようで、交通規制や酒類の販売禁止などの措置が取られた。本日土曜の夜に参加予定だったホテルでの大規模なディワリ・パーティも延期となった。

    さて46歳の若さで急逝したPuneeth Rajkumarのことを、わたしはよく知らなかった。彼の死に伴い、明るみになる偉業。関連記事に目を通しながら、心を打たれる。26の孤児院、45の学校、16の老人ホーム、1800人の子供の養育など枚挙に暇なく。彼の両眼は寄付された。

    彼の妻と同じ血族である我が友人も、彼の死に強い衝撃を受けている。彼ら夫妻の人柄を称えるメッセージをシェアしてくれた。

    わたしは2005年11月にインドへ移住し、その1年あまりたったあとから、慈善団体を訪れるようになった。この15年間に、いったいどれほどの篤志家の献身を目の当たりにしてきただろう。宗教関係者、実業家、教育関係者、一個人……。バックグラウンドを問わず、多くの人たちが、「人知れず」社会貢献をしている。

    この「一つの国として存在していること自体が奇跡」と思えるインドが、インドたり得ているのは、国や政治に頼るのではない、自分たちの助け合いがあるからなのだということを、パンデミックを経ても、しみじみ、つくづく、心の底から実感する。

    🙏1枚目の写真。左上&中央花輪の男性は、他界したPuneeth Rajkumarの父で、息子を凌いでの大人気俳優だったDr. Rajkumar。彼の息子が息を引き取った、まさにそのころ、たまたま、わたしはこの写真を撮影していた。

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    3カ月前、ネットで検索していて見つけた天然木家具のカーペーンターのアニールが経営するPermanent Objects。インスタグラムでのやりとりで、翌日には工房を訪問し、テーブルに机、合計5つを発注した。

    その後、パーツ選びなどはZOOMのミーティングで詰めて行き、今日は最終確認のため、再度、工房を訪れた。同じバンガロール市内でも、我が家は北東、工房は南西。距離的には20数キロ程度なのだが、途中、混雑するエリアを通過することもあり、1時間以上かけての訪問だ。

    細長く、少し背の高いテーブルは、リヴィングルームに面したメザニンフロアに設けるライブラリー用。本を広げたり、お茶を飲んだり……と、楽しめるように。

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    双子のコーヒーテーブルはリヴングルーム用。脚の部分は、ジョージ・ナカシマ(George Nakashima)という、建築家であり家具職人だった日系米国人の作品に着想を得た。ZOOMミーティングをしているとき、アニールが「脚の部分はジョージ・ナカシマの作品のようにしませんか」と持ちかけてくれて初めて、彼の存在を知った。

    これまで幾度となく記してきたが、新居はフランク・ロイド・ライトの意匠を意識している。調べたところ、フランク・ロイド・ライトが帝国ホテルを建設する際に同行していた弟子のアントニン・レーモンドは、そのまま日本にとどまり活動していたらしい。そのレーモンドの事務所で、ジョージ・ナカシマは建築の仕事を学んだのだという。

    香川県の高松市には、「ジョージ・ナカシマ記念館&桜製作所」があるらしい。極めて興味深い。
    ➡︎ https://www.onestory-media.jp/post/?id=3490

    彼の手掛けた内装や家具の写真を見ていると、フランク・ロイド・ライトの写真集を眺めているときと同じように、引き込まれる。

    ソファーに腰かけて、テーブルを使うつもりだったが、これは床に座ってテーブルに触れ合うのが気持ちいい。パンデミックが落ち着いて、輸送が通常に戻ったら日本から畳ほか、調度品なども取り寄せるつもりでいる。このテーブルの下には、厚手のカーペットを敷くつもりだったが、畳にも似合いそうな風合いだ。

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    そしてわたしと夫の机。最初、大きい方のデスクを自分用に決めていたのだが、やや小さめの夫のデスクの方が、今になっては魅力的。年輪の柄もダイナミックですてきなのだ。穴の部分はコード用として敢えて開けたままにしてもらっている。

    磨き、ニスなどを塗り、艶を出して……仕上がりを見るのが、とても楽しみだ。

    木目の風合いを捉えた動画、撮りました。IMG_2641 2をダウンロード

    先ほど、自宅に戻って夫に写真を見せた。覚えていなかったら、自分の机にしようかとも思ったが(こんなやつ)、夫は珍しく記憶しており「この穴があるほうの机、かっこいい。僕のだからね」と牽制された。ちっ。

    来月に入ったら、新居へ少しずつ、家具を運び入れる。年内には完成しそうだが、しばらくは「別荘」扱いで行き来しつつ、家を育てていこうと思っている。

    さっき、前回訪問した7月24日の記録を見て目を見張る。今日の自分と同じ服。同じ寿司柄マスク&鼈甲風マスクチェーン。意図せずして、わたしにとってこれが、家具工房へ向かう時のファッションだったか。てか、なぜ寿司マスク🍣
    ➡︎ https://www.instagram.com/p/CRszY8atmbU/

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    🌳PERMANENT OBJECTS
    ➡︎ https://permanentobjects.com/

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    上記の記事をFacebookに投稿していたら、友人のデヴィカがコメントを寄せてくれた。インドにも、ジョージ・ナカシマとゆかりがあったのだ。

    Nakashima was instrumental in designing a lot of the furniture for the design school I studied in NID*. All of us who studied there have had the good fortune to sit on his chairs while working or watching films in the auditorium. I love his simplicity in design. But the most emotive and effective experience of Nakashima’s style can be had at the ashram in Pondicherry. It’s got very strict rules though so you need to be thoroughly prepared to take up a short residence there. It’s meditative.

    *NID/ National Institute of Design
    ➡︎ https://www.nid.edu/home

    ➡︎ https://www.architecturaldigest.in/story/a-look-at-indias-first-modernist-building-golconde-in-pondicherry/

    One of my favourite teachers from NID passed away last morning. He was instrumental in bringing Design to India and every qualified furniture designer in the country today has studied under him. In fact, till the 90s every industrial design (product, furniture, ceramics) student has had him as their guide and faculty at some point or the other. The most generous, humble and loving teacher on campus. A true father figure to so many of us there. I thought since you like architecture and furniture, I’d share this student’s tribute to him. He worked with George Nakashima.

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    インドがロックダウンに入り、引きこもりの日々が続いていた昨年4月。Youtubeからの情報発信を始めた。なにがなんだかよくわからない中、編集方法などを学んだ。

    毎年開催していた「ミューズ・チャリティバザール&コンサート」を、オンラインイヴェントとして開催すべく、8月にはミューズ・クリエイションを発信源とする、「スタジオ・ミューズ」を開設。周囲の協力を得ながら、ヴァラエティ豊かに、多くの動画をアップロードした。

    今年に入ってからは、若干モチヴェーションが落ちて、投稿回数は減ったが、それでも動画で発信することの意義深さは実感している。

    ただ、「チャンネル登録者数を増やす」とか、「話題性を狙う」といった、一般的なYoutuber的スタンスからの発信は、わたしには向かない。利益のためではなく、自分自身の思う「有意義」を最優先にしている。

    中でも、セミナー動画やインドの現状を伝える動画は、仕事関係者からの問い合わせが来た際にも、参考資料として見てもらえるので、非常に役立っている。予備知識を備えてもらっていると、限られた打ち合わせの時間、踏み込んだ話ができ、互いにとって無駄がない。

    ゆえに、セミナー関係の動画をもっと拡充したいとも思っているのだが、COVID-19共生世界が進み、仕事や外出が増えるに伴い、動画作成の優先順位が低くなっていた。

    そんな中、かつてデリーの大学でヒンディー語を学ばれ、Youtubeにヒンディー語の人気チャンネルを持っている眞代さんの、日本人向けチャンネルで、インドの今を語る「新企画」に取り組むこととなった。

    早速、1本目が「ナマステMayoTV」にアップロードされている。また、折しもちょうど100本目となる「スタジオ・ミューズ」の動画で、コラボレーション実現の経緯や今後の展望などについても言及している。ぜひ、ご覧いただければと思う。

    【ナマステMayoTV】 『教えて! みほ先輩!/A面』
    みほ先輩の自己紹介&激カワ❤️インドのマスクグッズを紹介!

    【インド発、世界】 『教えて! みほ先輩!/B面』
    スタジオ・ミューズ動画100本目記念🌸ごあいさつ&新企画のご紹介

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    (日本語は下部にあります)

    I was planning to buy “furniture” for my new house, but these days, I am more interested in “furnishings and accessories”. I bought this plate along with the majolica tiles I mentioned the other day.

    When I first saw it in a photo, I thought it was made in China. However, upon closer inspection, it seems to be Satsuma-yaki from Japan. On the back of the plate, it says “恒暉窯 Kohki Kiln. It seems that it was made for export during the Meiji era.

    My hometown Fukuoka is located in Kyushu. The history of famous kilns in Kyushu is linked to the forced removal of Korean potters by Toyotomi Hideyoshi.

    The clay, in which a lot of history is kneaded, is fired, colored, sent to India, and after a hundred years or so, arrives at my house.

    Incidentally, this is a wall clock I found on Commercial Street in 2005. It was also made by SEIKO in the Meiji era (1868-1912). The Kamakura carved frame, named Himawari (Sunflower), is unique and beautiful.

    🇯🇵日本から来ました! 欧州発、日本経由インド。旅するマジョリカ・タイル。 Made in Japan. From Europe, India via Japan. Traveling majolica tiles.
    ➡︎ https://museindia.typepad.jp/2021/2021/09/tile.html

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    今朝は月に一度のFM熊本収録日につき早朝起床。本日の話題は、先日訪れたハンピの旅だ。記録を残したいと思いつつ、日々の用事で時が流れる。そんな中、またしても日本由来の骨董品に心を奪われる。

    先日「和製マジョリカタイル」について記した際に言及した骨董品店。彼から日々、What’sAppで流れてきた写真の一枚。彼は「明治時代の薩摩焼」と記していたが、わたしには、日本製には見えなかった。

    特に裏面の刻印「恒暉窯(こうきよう?)」の名前からして、中国っぽい。とはいえ、製造国や時代が不確かだとしても、なんとなく心を惹かれたので、購入したのだった。

    一昨日届いた実物を見て、写真よりも遥かに質感や風合いがよくて、とても気に入った。「恒暉窯」で調べると、ヤフオクのサイトがヒットし、類似の商品が出てくる。しかし、肝心の恒暉窯のものは、すでにオークション終了なのか、該当するものが見当たらない。

    「和製マジョリカタイル」同様、陶磁器もまた、明治時代に「海外輸出用」として作られたものが少なからずあるようで、「薩摩焼」「里帰り」で検索すると、似たようなものがいろいろ出てきた。

    薩摩焼、有田焼、唐津焼……。九州の名窯を語るときに切り離せないのは、豊臣秀吉が朝鮮半島出兵の際に強制連行してきた朝鮮の陶工たちの凄惨な物語。
    この話になると、我が愛すべきドレスデンにも心が飛んで、話が異様に長くなるので割愛する。ともあれ、さまざまな歴史が練り込まれた土と彩色によって誕生した皿がインドへ渡り、百年以上の歳月を経て、我が家に到着した、という物語が味わい深い。

    ちなみに我が家の掛け時計は、移住当初の2005年に近所の商店街にて購入した、精工舎 (SEIKO)製。修理に出したら動き出した。鎌倉彫の「ひまわり」と呼ばれるシリーズだ。

    2021年の年初、「不易流行」をライフのテーマに加えたが、こんなにも明らかに、自分の周囲が不易流行に包まれるとは思わなかった。日々是発見。

    🇯🇵日本から来ました! 欧州発、日本経由インド。旅するマジョリカ・タイル。 Made in Japan. From Europe, India via Japan. Traveling majolica tiles.
    ➡︎ https://museindia.typepad.jp/2021/2021/09/tile.html