深海ライブラリ📕

深海の底に眠る過去の記録に光を当てる。揺り起こす。

MUSE INDIA / HOMEPAG

✈︎ 過去ブログ/2005〜2025

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    日本家族を見送った日から、わたしは胃痛・腹痛・下痢に見舞われる。精神的な食欲はあるのだが、お腹が痛いから何も食べられず、それからの1週間、地味な食生活だった。

    翌日から3泊4日、新婚旅行と称して、わたしたちはウダイプールという都市に出かけた。ニューデリーから飛行機で1時間ほど南西へ飛んだところにある町だ。

    ここには人工湖があり、その中心に、かつてマハラジャの夏の離宮だったゴージャスなホテルがある。たまたま披露宴に来ていた人が、このホテルのマネージャーだったらしく、スタンダードルームを予約していたのに、スイートルームに変えてくれた。

    まさに「姫」気分で過ごした3泊4日だった……といいたいところだが、お腹の調子が治らず、地元の病院に行って薬をもらったりして、今ひとつ冴えない新婚旅行だった。

    3泊もした割に記憶が浅く、万全の体調で望みたかった。返す返すも悔やまれる。

    ニューデリーへ戻り、アルヴィンドの家族と最後の夜を過ごし、長く濃密だった2週間のインド滞在を終え、ニューヨークへ戻った。ニューヨークに戻ってきて、心底ほっとした。

    初めてインドを訪れ、インドという国の断片を垣間見て、アルヴィンドの「人となり」も、少し理解できる気がした。出会った当初は、一人で服も畳めず、家具を組み立てることもできず、料理も何一つできない彼を見て、唖然とするばかりだったが、この環境では、それも仕方なかったかもしれないと、ちょっとだけ、寛大になった。

    朝、目が覚めれば、使用人がお茶を部屋に運んできてくれる。脱ぎ散らかした服はメイドが洗濯し、夕方にはきれいにアイロンをかけて部屋に届けてくれる。ベッドも部屋も、毎日きれいに掃除してくれるから、自分で家事をする必要は一切ない。

    外出から買って来れば、「お水になさいますか? お茶になさいますか?」と尋ねられ、夕食の献立も、リクエストに応じて作ってくれる。

    何もかもお膳立てされることは、とても楽だけれど、それはイコール豊かではない、ということも実感した。

    披露宴に来ていた女性たちにも見受けられたが、裕福な人たちの肥満ぶりも印象に残った。アメリカの肥満とは違う意味で、考えものである。街に溢れかえる貧しい人々との落差が激しすぎて、なんだかよくわからなくなる。

    ちなみにウマやスジャータはスリムだ。彼女らは、あえて自分たちで家事をしている。インドに到着した日、ウマが自分の部屋をわたしに案内しながら「わたしは自分の部屋の掃除や洗濯は自分でするのよ」とむしろ誇らしげに言っていたその理由が、今になってよくわかる。

    同じ環境に育っていながら、スジャータは非常にシンプルな生活を好む一方、アルヴィンドはどちらかといえば、贅沢で楽な生活が大好きだから、インドでの2週間が本当に心地よかったようだ。

    ある意味、甘やかされて育った彼が、18歳にして初めてアメリカを訪れ、一人で生活を始めたというのは、たいしたものだとも思う。

    ともかく、わたしたちの旅は、こうして無事に終わった。

    それにしても、なんと大変な結婚式だったろう。2週間の間に勃発した「アルヴィンドとの戦い」は、史上最高のすさまじさだった。わたしは、何もかもが行き当たりばったりの事態が受け入れられず、気候の悪さも手伝って、ストレスも最大級だった。しかし、それもまた、試練であった。

    無論、自分たちで式の準備することはほとんどなく、2週間だけの混沌だったから、むしろ一般の人たちよりは総合的に考えると、ある意味では「楽」な結婚式だったかもしれない。

    何もかもを準備してくれたインドの家族には感謝する限りだ。聞くところによると、一般に、インドの結婚式は、嫁の方が莫大な「結納金」や「貢ぎの品」を婿の家族に贈呈しなければならないなど、非常に封建的な側面があるようだ。

    そもそも、外国人との婚姻などは許さないという家庭も多く、更には、「年上の女性など御法度」という場合もあるなど、ともかくいろいろ大変らしい。

    しかし、アルヴィンドの家族や親族はまったく囚われがなく、非常にインターナショナルで自由な気風が漂っていたのは幸いだった。大勢のインドの親戚らに歓迎され、異国に自分の家族を持ったということは、なかなか味わい深いものである。

    インドでの結婚式。タフだったが、いい経験だった。

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    ウダイプールの人造湖、ピチョーラー湖に浮かぶレイク・パレス・ホテル。マハラジャの夏の離宮をホテルに改装したらしい、007の舞台にもなったことのあるホテルで、映画では湖にワニが登場していた。湖畔からホテルまでは専用のボートに揺られて行き来する。

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    ホテルからは湖畔の宮殿が見える。ラジャスターン州最大の宮殿らしい。今思えば見学しておくべきだったと後悔の念が立つが、当時のわたしはともかく体調が悪く、目前にしながら行かなかった。ちなみに湖では、少年たちが泳いでいた。

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    ホテルのロビーでオイルランプを灯す女性。

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    湖を見下ろすカフェで朝食。アルヴィンドはすこぶる体調がよく、食欲も旺盛。出される料理、何もかもおいしいらしく、非常に幸せそうである。悔しい……。

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    ウダイプールの町へ出る。この町でも牛が主役。ニューデリーにも牛がいっぱいいたのよ~。写真は載せなかったけれど。道路の中央分離帯とかにも牛がいて、牛が突然動き出すと、車が急ブレーキかけたりして、危ないのなんの。

    それだけではない。わたしとアルヴィンドが「病院に行くべきか否か」と、立ち話をしていたら、二人の間を引き裂くように1頭の牛が通過し、その直後、いきなり放尿! 我々の足許に飛沫を飛び散らして立ち去っていった。い、いったい、どういうこと!?

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    結局、お腹の調子があまりに悪いので、オート・リクショーに揺られて、町で一番大きい病院に連れていってもらう。

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    案の定、病院は長蛇の列で、いつになったら診てもらえるのかわからない。しかし、アルヴィンドが受付でうまく交渉してくれて、数十分待っただけでドクターに会えた。なんだかよくわからないが、いくつかの薬を処方してもらう。これで、なんとなく、一安心。

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    全く食欲がないわたしに比べ、夫は久々のインド料理がおいしいらしい。妻には「キチディ」という米と豆のお粥を注文。自分はタンドーリチキンはじめ、豪勢な料理を「おいしい」「おいしい」と食す。わなわなする。

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    かつて訪れたことのあるアルヴィンドは、「どうしても美穂に見せたい寺院があるから行こう」と誘う。タージ・マハルの件もあり、もうどこにも遠出したくないというのに、強引にタクシーをチャーターする。100キロの道のりをひたすら走る。苦行を超えて拷問である。

    ほとんどがボロボロの舗装路か、未舗装路のため、案の定、車は激しく上下して、具合が悪くなることこの上ない。瞬間的に舗装したての道路が現れ、正気を取り戻す。窓の外には家畜の群。

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    2時間以上のドライブを経て、ようやくたどりついたラナクプール寺院。15世紀に建立された建築物で、全てが大理石でできている。ジャイナ教の古代太陽寺院だという。

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    寺院内には29の空間がある。柱は全部で1444本。すべてが大理石の彫刻。……そんなすべてをまったく堪能できない、体調の悪さ。

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    瞑想にぴったり。な空間を見つけたので、瞑想をする。ランチは寺院に併設の食堂で。簡素ながらも清潔で、お腹にやさしいベジタリアン料理が供された。※注/体調が悪いながらも、寺院で食事をしたようである。今のわたしには無理。やはり若かったのね。(20年後のコメント)

    💝💝💝

    2009年。新婚旅行、やりなおし。再び、ウダイプールのレイクパレス・ホテルへ。
    ➡︎https://museindia.typepad.jp/2009/travel_udaipur_1/index.html

    💝💝💝

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    ◉結婚のイベントを終えて、一段落の一日。

    披露宴の翌日は、午前中、ホテルでゆっくりとくつろいだ。結婚式にまつわる一連のイヴェントを終え、肩の荷が少々下りた。なぜ「少々」かといえば、まだほかにイヴェントが残っているからだ。それは、「タージ・マハル」へのドライヴ旅行である。

    もう、観光はいい。しかし、タージ・マハル、見ておくべきかもしれない。そんな葛藤が、日本勢の脳裏をよぎる。それはともかく、午後、日本勢は、日本の親戚らへのお土産を買いに出かけた。

    銀製品やシルク製品、精緻な伝統絵画などを購入。なにしろ、町中の人混みは、想像を絶するものがあるため、「ふらふらと散歩」できないのが難。相当に旅行慣れしているわたしだが、両親を保護せねばならぬ。という気負いもあり、疲労の色濃く。明日の観光は、どうなるのだろうと一抹の不安を抱きつつ、眠りにつく夜。

    ◉苦行のタージ・マハル観光。そして日本勢、無事、帰国。

    両家そろってアグラという街にあるタージ・マハル日帰り観光に行った。そのドライブルートたるや、片道わずか200キロにも関わらず、それはそれはひどい道路だった。

    ※注/当時、米国に暮らしていたわたしは、200キロ、300キロを日常的に軽く走っていたことから、「わずか200キロ」と表現している(20年後のコメント)

    想像を絶する悪路、交通ルール、観光用ミニバスの乗り心地の悪さ。あゆみ妹はぐったりし、両親も疲労の色を隠せない。しかし、乗りかかった船。どうすることもできない。わたしとて相当に疲れている。

    しかしながら、マックス、スジャータ、アルヴィンド3人のまあ、元気なこと。道中はひたすら、しゃべり続けている。ウマとロメイシュは別の車で移動だから、我々の観光用ミニバスよりは、はるかに乗り心地がよかったはずだ。

    だいたい、インドのドライヴァーは四六時中、ホーンを鳴らしている。あれはいったいなんなんだ。トラックのうしろにも「ホーン・プリーズ」とか書いてある。もう、全然、意味がわからない。

    ともかく、周辺からは、常時、ホーンの響きが溢れている。わけがわからない。

    ※注/当時に比べると現在は、ホーンを鳴らす人は激減している。はず。(20年後のコメント)

    しかもハイウエイとは名ばかりで、道路はボコボコガタガタ、たまに逆送してくる車がいたりして度肝を抜かれる。

    ともかく、片道に5時間以上もかかった。たった200キロなのに5時間。いったいどういうことなんだ。

    タージ・マハルに到着してからも、蒸し暑さと、物売りのしつこさで、辟易辟易疲労困憊。タージ・マハルがどうした! 世界遺産がどうした! と言うくらいに疲れ切っており、まるで拷問のようだとさえ思った。

    日本勢はタージ・マハルを見たあと、精根尽き果てたため、高級ホテルのラウンジで休憩・待機することにする。他の面々は、他の観光地巡りに出かけた。さすがインド人、インドの気候になれていらっしゃる。タフの一言に尽きる。

    帰り道は、行きにも増して、辛かった。だいたい、周辺が真っ暗闇なのに、車が際どく抜きつ抜かれつ走っている。見るからに、怖い。

    さらには暗闇で、突如大きなトラックが方向変換して道路を塞ぎ、すんでのところで我々の車と激突するところだった。まじで、死ぬかと思った。こんなところで死んでたまるかとも思った。叫び声さえ上がらないほどの、強烈な恐怖だった。

    そして、深夜、ニューデリーにたどり着いたときには、安堵感で溶けそうだった。

    翌日、日本の家族がいよいよ帰国の途についた。思うところはさまざまあったが、書き連ねればきりがない。ともかく、みな、特に具合が悪くなることもなく(タージ・マハル観光旅行を除き)、日本食を恋しがることもなく、1週間の滞在を終えたことは、ある種「奇跡的」でもあった。

    なにより、肺がんを病んでいるはずの父が、全く不調なくすべてのイベントをクリアできたことがよかった。むしろ、母や妹の方を心配したが、帰国後は、速やかに日常生活に復帰した模様だった。

    こんな猛烈な国へ、よくもまあ来てくれたものだと、心の底から感謝した。

    空港で彼らを見送った直後より、わたしの体調は激変し、トイレへ駆け込む。その日から残り約1週間、胃痛・腹痛との戦いが始まるのである。我がことながら、気の毒。

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    ついに、日本の家族が帰国する日。ホテルのロビーで全員集合する。みんな真剣な顔をして、さも何か相談しているように見えますがね、わたしが通訳しないと、日印家族、全く会話が成立しないのよね~。カメラ目線、やってる場合じゃないのよね~。

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    もう、ボロボロの姫。最早、姫ではなく。この直後より、猛烈な腹痛に襲われ、苦悩の新婚旅行へ旅立つことになるのである。

  • 🌏当記録は、結婚20周年を記念して、2001年7月の記録を発掘/転載するものです。(2021年7月)

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    この日の昼間は日本勢とマックスとで市内観光。アルヴィンドは、米国の就労ヴィザ関係の資料を整えるため、一日、役所巡りだった。

    ヒンドゥー寺院や、ガンジーの墓地などを巡って、夕方戻る。披露宴は、わたしの家族とマックスが滞在しているホテルのバンケットルームで開かれる。ロメイシュが、この夜はわたしとアルヴィンドにもホテルの部屋を予約しておいてくれた。

    さて、この披露宴が、この一連のイベントの中でも最大規模のものとなる。300名近くの来客があるそうで、わたしが着るサリーも、昨日のものよりはゴージャスだ。オレンジ色と金色の、何とも言えず美しい色合いのサリー。昨日のもそうだが、わたしに似合う色を考えて選んでくれたウマとスジャータに感謝する。

    さて、披露宴の開始は7時半と聞いていたが、なんだかんだでわたしとアルヴィンドが会場に到着したのは8時頃。しかしお客は2割程度しかいない。「何、これだけしか来ないの?」と思っている先から、次々にゲストが登場する。わたしたちは両親も含め、入り口付近でご挨拶。

    わたしは見知らぬインドの人々から、握手され、ハグされ、プレゼントや祝い金の入った封筒を渡され、息を付く間もないという感じだ。ふと気づけば、会場は埋め尽くされていた。

    なんとまあ、都合よく、だらだらーっと人がやって来ることか。会場に配されている円卓に、皆好き勝手に座ったり、あるいは立ったまま、あちこちで会話に花が咲いている。9時ぐらいになったところで、一画に用意されていた、ゴージャスなビュッフェの蓋が開いた。すると、来賓一同、慌ただしく席を立ち、料理を目指す。列までできている。

    わたしも料理が気になるのだが、まだ、だらだらとお客さんがやってくるものだから、入り口付近で満面の笑顔を振りまかねばならない。

    皆から、「まあ、すてき」「サリーがよくお似合いだわ」と褒められて、とてもいい気分ではあった。同じインド人でも、肌の色はさまざまで、肌の色が浅い方が美しいとされているらしい。確かにテレビを見ていても、肌の色が濃い女優は少ない。

    インド人に比べれば、日本人の肌色は浅いから、たとえ顔の彫りが浅くても、ひとまずは美しいと評価されるようだ。

    何百人ものインド人と、握手し、抱擁し合いながら、自分がインド人の家に嫁いだのだと言うことを、なんとか自分に認識させようとするのだが、やはり今ひとつピンと来なくて、他人事のような気さえする。

    それしても、この披露宴の在り方は、これでいいのか? 

    挨拶して、飲んで、食べて、しゃべるだけなのか?

    どうもそうらしい。

    皆と一通り挨拶をしたところで、わたしたちも食事をする。今日の料理もまたバラエティ豊かでおいしいこと。特にラムの煮込みはほどよくこってりとしていてやみつきになる味。デザートのマンゴームースも、こりゃたまらん、というおいしさだった。

    そしてふと気づけば、いつしか会場はガランとしていて、披露宴終了。

    司会もなれければ挨拶もなく、祝電の読み上げも、新郎新婦の友人たちによるカラオケももちろんない。なにしろ、だらだらーっと始まって、だらだらーっと終わった。

    しかしながら、色々な人たちと、たとえ浅い内容だとはいえ、会話をし、「お近づきになれた」という意味では、とても意義深い夜だった。

    ということにしておこう。

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    デリー市内のヒンドゥー寺院やガンディー廟を巡るが、蒸し暑い上に喧騒で、ほぼ、苦行状態。披露宴の前に、こんなに疲労していいものだろうかと自問しつつもなされるがまま、巡る。

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    暑さにやられたわけではなく、平時も概(おおむ)ねこの調子の父、泰弘。ちなみにこのヤンキースのTシャツは、もと野球選手(ノンプロだったが相当真剣にやっていたようだ)の父へ、ニューヨークに住む娘美穂からの贈り物。

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    どの観光地にも物売りがたいそういて、日本人は格好のターゲット。物売りをかわすのも辛く、もう観光はいいよ、という気分。

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    新郎新婦。スジャータとウマが選んでくれたサリーはとても美しくて、とても気に入った。ちなみに、一般的なインドの結婚式の写真を見ると、頭の上にもペンダントのようなアクセサリーをつけたり、ショールを被ったりと、ひどくごてごて派手派手しているが、わたしの衣装は「ミニマム」と言う感じ。ピアスホールを開けていないから、イヤリングもできないし……。インドの女性はほとんどピアスホールをあけているからな。少々、物足りないでもないが、贅沢を言っては罰が当たると言うものだ。

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    入り口に立って、ゲストを出迎えなければならない。しかし、なぜ、みんなダラダラと三々五々、やってくるのだろう。それにしてもアルヴィンドと母、二人に共通言語はないはずなのに、いかにも談笑して見えるところがミステリー。

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    花籠を持ってきてくださるゲストも多かった。あと、小さな封筒に入ったご祝儀やカードなど、小物や工芸品などをいただく。最もうれしかったのは、白檀でできたガネーシャ(象の神様)の置物や、銀のティーポットセット。

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    円卓なども用意されていて、着座して談笑する人々も。しかし、なにか、「催し」らしきものはないのだろうか。マイクで挨拶するとかさあ……。※注/インドの結婚式に、日本的な「式次第」などは、ありません(20年後のコメント)

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    ※注/右はロメイシュ・パパの母、ダディマ。このときはまだ、とてもお元気だったなあ。(20年後のコメント)

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    座っているのは、主にはご高齢の方々。

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    ※注/右の男性は、アルヴィンドが子どものころから、マルハン実家のドライヴァーとして働いているテージビール(若い😭)。2020年1月、ロメイシュ・パパを看取ったあと、現在、我々夫婦が管理しているデリー実家を引き続き、マネジメントしてくれている。彼の子どもたちは、ロメイシュ・パパが学業支援をしてきた。聡明な長女はムンバイの大学院で医療の博士号を取得中。(20年後のコメント)

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    そして、延々と、ご挨拶が続くのである。

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    ※注/当時は、インドのテキスタイルのことなど全く知らず、サリーのことも何もわからず、ゲストのサリーを吟味する余裕など一切なかったのだが、今こうして見るに、みなさん、夏にふさわしい、上質で上品なサリーを着ていらっしゃるということがわかり、感慨深い。(20年後のコメント)

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    ずっと笑顔を維持せねばならず、頬が不自然に硬直中。

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    途中で記念撮影などを挟みつつも、延々と、ゲストがやってきて、延々と立ちっぱなしで挨拶だ。おっと、前菜が回ってきた。もうお腹ぺこぺこ。食べずにはいられません。と、食べているところへウマがやって来て、「美穂、食べてる場合じゃなくて、挨拶しなきゃ!」と戒められる。だって、ずーっと入り口で挨拶してばかりで、疲れたんだもん。

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    ブッフェの蓋がぱっか〜んと開くやいなや、すかさず写真撮影をする花嫁。花嫁は結局、最後まで食事にありつけないのだが、とりあえず、料理の内容を確認しておきたく!

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    非常にいい香りが会場に漂う。……とゲストがどっと集まってくる。結局、わたしはパーティーの終盤に少ししか食べられなかった。全種類を試せなかったことが、本当に悔やまれた。

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    みなさま、食欲旺盛なご様子。

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    結婚式とは社交の場でもあり。食事をしながら語り合うゲスト……。

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    ※注/……ん? なんで新郎は食事してるの? 新婦はお客様対応で、食べられませんでしたけど?(20年後のコメント)

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    こちらはデザート。季節のマンゴーをふんだんに使ったマンゴープリン。

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    氷に埋もれているのは「クルフィ」と呼ばれるアイスキャンディー。

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    このそうめん的なものとクルフィを一緒に食べる。アイスクリームとウエハース、みたいな組み合わせか。

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    ミルク系のインドデザート。

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    通訳を介してむしろ、会話がなりたたない、ひどい日本語能力を発揮されていた通訳青年を中央に、談笑する我が両親とインドの伯母ら。

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    従兄弟アディティヤの妻、タヌー。淡いグリーンのサリーは、彼女の目の色とマッチして、本当に美しかった。

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    マックスと、アルヴィンドの遠縁の女性たち。

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    こちらがインドのご祝儀袋。1ルピー玉をくっつけているのは「割り切れない数」にするため。

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    すでに残り少なかったマンゴープリン。たっぷりと「取りだめ」していたアルヴィンドからもらう。ぬかりのない男だ。

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    ◉結婚式を夜に控え、昼間は市内観光など

    結婚式は夕方から行われるので、マックスとアルヴィンド、妹夫婦とわたしは市内観光に出かけることにした。両親には、疲れが出ないよう、ホテルでくつろいでもらうことにする。

    インドが最も暑いのは5月6月で、気温は40度を超えるという。この時期は35度前後だったのだが、何しろ湿気が多いのと、街がごみごみしているせいもあり、やたらと暑苦しい。寺院などの観光地を歩くのだが、わたしも妹夫婦も、かなりうなだれ気味。

    マックスはシャワーを浴びたかのようにシャツが汗でびっしょりだ。しかし、北欧からイタリアまで自転車旅行をしたことのあるスポーツマンだけあり、細身ながらも体力はありそう。今度はイタリアからインドまで自転車旅行をしたいと張り切っている。たいそうなことだ。っていうか、無茶やろう、それは。

    驚いたのは、アルヴィンドがちっとも汗をかいていないこと。ニューヨークではちょっと暑いだけで「ああ、暑い、冷房入れよう」などという癖に、わたしたちがうだっているのに涼しい顔をしている。やはり、母国の気候に身体が合っているのだろうか。

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    身長2メートル超のマックス。圧倒的な存在感。

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    ◉火に油を注いで暑さ倍増! 燃える結婚式

    夕方近くになり、家へ戻る。数日前から家のバルコニーに結婚式用のやぐらが準備されていた。結婚式では火を焚くため、バルコニーで式を行わねばならないのだ。
    家のゲートには、花が暖簾のように下げられ、通りや階段の両脇に、花びらが美しく施されている。家の外壁にはクリスマスのように色とりどりのネオンが光る。

    結婚式は外で行われるから、気合いをいれて化粧をしても汗で流れ落ちるだろうと踏んで、いつもと変わらぬあっさりとしたメイクをし、親戚のお姉さんにサリーを着付けてもらう。

    そのうち、日本の家族もホテルからやってきた。一応、父と義弟はスーツを着ているが、バルコニーは暑いので、早速、上着を脱ぐ。

    スジャータがお母さんの形見だと言って、ゴールドの6連のバングル(腕輪)をくれた。わたしの手首にギリギリでちょうどいいサイズだった。わたしは身体に対して手が小さめなので入ったけれど、入らなかったら洒落にならんな、と思う。

    妹に髪をまとめてもらい、結婚式用のバングルを更に何連も腕に付け(これも全部、入ってよかった)、祖母にもらった金のネックレスを付けて、わたしの準備は終わり。

    式は6時半に開始、と聞いていたが、7時になっても、なんだか場のまとまりがない。結婚式はごく身近な親戚が50名ほど集うことになっているが、皆、三々五々やって来る。

    男性の参加者は「ターバン巻き職人」から、ピンク色のターバンを巻いてもらう。もちろん、我が父も、義弟も巻いてもらう。

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    「で、式はいつ始まるの?」 とアルヴィンドに聞けば、「今、段取りを考え中」とのこと。なんとまあ、いい加減なこと。伝統的なインドの結婚式だと、長時間、あるいは数日間かけて、ヒンドゥーの儀式をせねばならないらしいが、今回は思い切り端折って肝心の部分だけを執り行うらしい。が、どれが肝心な部分かは、わたしにはさっぱりわからない。

    ひとまず、「喜びの踊り」をすることになり、一同、わらわらと庭に下りる。ホラ貝の合図と共に、楽団の演奏が始まり、皆、人差し指を天に突き立てるようにして、阿波踊りっぽく踊る。我が母も、妹夫婦も、誘われて踊る。わたしは一応、花嫁なので、踊りには参加せず、2階のバルコニーから様子を眺める。

    踊りを終え、ほどなくしてから、我が父と、ロメイシュが花輪(レイ)の交換をする。そしていよいよ、花で美しく飾り立てられたやぐらで式が始まった。

    父は(本人いわく)、「抗ガン剤と放射線治療のせいで、体温の調整ができず、とにかく暑いのはだめだ」と言っていた。

    「火の前で儀式をするのはわたしとアルヴィンドだけだから、涼しい部屋にいてもいいんだよ」とあらかじめ言っていたにも関わらず、いきなりわが両親もやぐらに駆り出される。

    段取りとか、あらかじめの打ち合わせ、というのが、全くない。どういうこっちゃ! インド全体がこうなのか、ただマルハン家が杜撰(ずさん)なのか、知る術もない。※注/インド全体が、概ね、こうです。(20年後のコメント)

    一家の精神的な大黒柱だったアルヴィンドの実母が生存していれば、もっと整然としていたのではないかと予測される。※注/そんなことは、ありません。(20年後のコメント)

    さて、いよいよ、式の開始である。

    わたしたちの正面に、ヒンドゥー教の祭司が座り、右側にわたしの両親、左側にアルヴィンドの両親が座る。祭司がサンスクリット語(梵語)で読経をはじめる。アルヴィンドも、そして通訳のお兄さんも、正確に、いやほとんど理解できない様子。

    そこから、行き当たりばったりの儀式が開始された。わたしの父が、アルヴィンドの額に赤い粉で印を入れたり、わたしたち二人が水を酌み交わしたり……。そのうち、司祭の合図に従い、中央の釜に二人して薪を一本ずつ入れる。

    何度か、ヒンディー語の読経を、祭司の真似をして口にしなければならない。必ず最後に「オーム」とつぶやく。ちなみに「オームom」とは「絶対的真理」という意味のサンスクリット語で、世界一切の調和などを表す神聖なる言葉だという。キリスト教で「アーメン」と唱えるのと同様に、「オーム」と唱えるのだ。

    ギーと呼ばれる精製バターの油を、わたしとアルヴィンドがそれぞれが杓子ですくって、同時に薪にかける。ついに火が焚かれ、しばらくは、「読経→合図→火に油を注ぐ→読経→合図→火に油を注ぐ」の繰り返し。もう、暑い、油はもういい、勘弁してくれ! という感じだ。

    ともかく熱気ムンムンのやぐら周辺。父親の具合が心配だが、この期に及んでは、どうしようもできない。我慢してもらうしかないだろう。何しろ「地の果て」だからね。

    暑いし煙たいし、段取りはいい加減だし、厳粛な気分などかけらもなく、折に触れ、おかしさの波が襲って来て、笑いがこみあげてくる。

    「だいたい花嫁は、こういうとき涙ぐむものなのに、美穂は何、笑ってるの?」

    とアルヴィンドが耳打ちする。いったいこの状況で、どう感極まって、泣けというのだ!

    両家の親からお菓子を口に入れてもらったり、二人の頭をコツンとくっつけてもらったりと、謎めいた儀式を次々にこなす。やっぱり、笑わずにはいられない。

    終盤、二人は日本の子供の浴衣の帯のような紐で結ばれ、火の周りを7回まわる。そのあと、親戚の人たちに花びらを投げつけられるようにまき散らしてもらい、約1時間ほどの儀式は終了した。

    「式次第」は「気分次第」だし、ともかく暑いしで、わけがわからない式だったが、楽しめたひとときだった。

    そのあとは、お待ちかねのディナータイム。先日よりも増員した「タンドーリ屋」によるタンドーリ・チキンやラム、ナンに加え、ビュッフェのコーナーも設けられて、またしても、参加者は皆、食に走る。暑くったって、食欲旺盛!

    この日の食事も、実においしかった。

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    式の2日前より、バルコニーにてテント作りが始まった。本来はモンスーンの時季につき、雨が降ることを想定してのテントだったが、実際には雨が降ることなく、従ってテントは不要だった。

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    玄関の一画に、花びらであしらわれた文様。「オーム」と書かれている。

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    家のゲートも、花の暖簾で彩られている。とても美しい。本来は、結婚式は嫁の実家が執り行うもので、場所なども嫁の実家が手配するという。式の日、花婿は「白馬に乗って」その式場に向かうのがならわしだとか。しかし嫁の実家が日本だから今回はしょうがない、ということで「白馬」は省略された模様。白馬、見てみたかった気もする……。残念。

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    家の随所に花びらがデコレーションされている。

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    日本の家族がホテルから到着。楽団がお出迎え! この写真は「ロマンティック」なぼかしの加工を入れているのではなく、冷房の入った車から蒸し暑い外に出たため、レンズが曇ったせいでぼけている。 タンドーリ・ケータリングのお兄さんたちもムードある演出。暑い中、熱い釜を前にしての作業は格別にたいへんなことであろう。暑苦しさが伝わってくる一枚。

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    姫は冷房の効いた部屋で着付け。親戚のお姉さんが、サリーを着付けてくれる。髪は妹がきれいにまとめてくれた。どこかから持ってきた花(ジャスミン?)を頭につけてくれる。いい感じ。

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    式が始まる前の、着崩れていない、爽やかな一枚。ピンクのターバンが妙な感じだが、ヒンドゥー教の結婚式でも、ピンクのターバンを、こうしてリボンのように巻くのが一般的らしい。他の人の結婚式の写真を見ていると、花婿だけは特別の大げさなターバンを巻いているものが多いが、アルヴィンドの場合、ゲストと同じ。つまり、一見したところ、誰が花婿かわからない。ロメイシュとは双子状態のファッションだし……。※注/最低限、地味な結婚式で。と頼んでおきながら、結構、いろいろ言ってるな(20年後のコメント)

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    3階からバルコニーを見下ろした様子。この四角いやぐらで「挙式」が執り行われる。

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    挙式で用いる道具。薪のほかに、スパイスなどが器に入っている。

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    とても末期癌から一時的に復活していたとは思えない、体格のいい父。当時63歳。

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    親戚のおじさんが、ホラ貝を吹く。これが「ダンスをはじめますよ!」の合図らしい。え? 躍るの? という感じで、日本の家族も玄関先に駆り出される。

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    大げさなヴィデオ・カメラも回っていたが、この時撮られた動画はたいへん質が悪く、観ていると具合が悪くなるのだった。

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    我が母も、流れで踊る。

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    ラグヴァンもノリノリで踊る。マックスのシャツはこのあと、水浸し、ならぬ汗浸しになっていた。※注/結婚式の序盤でこの状態。気の毒なことをしたと思う。暑かったろうな。(20年後のコメント)

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    彼がタイから来てくれたスジャータ&ラグヴァンの友人。父の「前方」を歩く母をほめたたえた人物。一見「日本の家族?」と思わせる顔立ちに、親近感を覚える。

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    妹夫婦も踊る。暑いけど踊る。

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    さて。踊りが終わったら、花輪の交換。間に祭司が立ち、日本父とインド父が花輪を互いの首に掛け合う。花輪の交換のあと、感激するインド父、日本父に抱きつく。祭司、「うわっ、抱き合う必要はないんだが……」という顔。

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    満面の笑みをたたえるインド父、ロメイシュ。非常にうれしそうである。

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    式が始まる前に、軽く記念撮影。

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    だいたい、両家の両親が、こうやってやぐらの下で式に参加せねばならないなど、一言も聞いていなかった。わたしとアルヴィンドだけが何かをやるのだろうと思っていたのだが、突然両親が駆り出されてしまい、なんてこった、と思う。知ってたんだったら、早めに教えてよ。

    「父は病気だから、暑いところはだめなんです」って何度も言っていたのに、全然、聞いてないし。っていうか、誰も父を病気だとは思わないし。っていうか、あれだけ食べてりゃ、誰も病人とは思わないだろうけど。暑いのが苦手な父も、こうなったら乗りかかった船である。辛抱していただこう。

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    早くも謎めいた儀式が始まる。互いの手のひらに水を注ぎ、それを手から直接飲む。という儀式。言葉が古典的なサンスクリット語で、アルヴィンドもいまいちよく理解できないから、何をやってるのかさっぱりわからない。「いいなり」になって、何かをやっている、という感じ。意志なし。

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    式が執り行われている間、参加者は周辺でうだ~っと座っている。特に式に集中する必要はなく、雑談可。緊張感皆無。

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    さ~て、いよいよ、火が焚かれる。より一層、暑くなります!

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    サンスクリット語を日本語に訳そうとして、混乱の極みに陥る通訳のお兄さん。わっけわからんこと言ってまっせ~。と、込み上げる笑いを抑えられない姫。

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    汗だくで、まるで風呂上りのような風情のK夫。

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    燃えさからないでほしいと願う心とは裏腹に、ギー(バターの製油)を杓子ですくい、何度も火に注がねばならない。杓子にたっぷりギーをすくうアルヴィンドに、「ギーは少なめに」と耳打ちするわたし。両親はスパイスを撒いている。

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    「これでいいの?」という感じで、いちいち、確信のないまま進行する儀式。ところでアルヴィンド、参加者は「靴下を脱がねばならない」のではなかったか? なぜ、あなたは靴下を履いているのか?

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    祭司「わしだって、暑いんじゃよ。夏に結婚式をするとは、どういうことなんじゃ」
    マックス「ターバンが…頭が蒸れる…」
    ラグヴァン父「上着を脱ぐべきだったか」
    通訳「実は僕、まだ日本語、あまりできないんだ」

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    突然、式への参加を命じられたK夫。姫の足許に石を置いたり、米菓子のようなものを分配したり、謎めいていながらも、それなりに重要そうな役割を担当する。

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    「こうやって手を握るんですか?」
    「違う違う、手を挟むんだ」
    「挟むって、どういう風に?」
    「両手で、彼女の手を挟むんだ」
    「こうですか?」
    「そうそう」
    もう、なにやってるんだか、わかりません。

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    今度は義姉のスジャータ登場。二人の首に、まるで日本の子供の浴衣の帯のようなものを巻き、それを結びつける。ちなみに、この絞りの布は「SHIBORI」とも、「ジャパニ(ジャパン)」とも呼ばれているらしい。

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    火の周りを7周回る。5周しか回っていない時点で、「もう7周回った」と言い張るアルヴィンド。だれも数えておらず。結局、もう2周、ちゃんと回ってもらったけど。いいのか? こういうことで。

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    それぞれの両親から、甘いミルクの菓子を食べさせられる。

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    式の前、ここでお菓子をたっぷり口に押し込まれるとの情報を得ていたため、口に合わないお菓子で過剰なカロリーを摂取するのはいやだなあと思っていたのだが、大した量を食べずにすみ、安心した。

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    「髪の生え際に、染料をぬりなさい」
    「ここですね!」
    「あ~っ! 違う、そこは額だ!」

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    なんか、全然違うところに、なんか塗られたみたいなんですけど。早く拭きとって!

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    ほのかにオレンジ色に染まった額。すでに化粧は剥がれ落ち、全身がベタベタ状態。写真で見る限りだと、あまり暑さが伝わらないのが残念。これはなんだか、頭をゴツンとさせられている。何が何だかもうわかりません。

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    最後に参加者の皆様からバラの花びらやマリーゴールドの花(宙に浮かんでいる!)を投げつけられて(本当に「投げつける」という感じ)、式が終了。あ~、やっと終わった! お疲れさまでした!

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    式が終わり、抱き合う新郎新婦。ではなく、抱き合うロメイシュ・パパとわたし。お父さんのハグ、強烈。

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    最後に記念撮影。これは式の前に撮影するべき一枚だった。みんな消耗しきっている。両父もラグヴァンも速攻でターバンは外しているし、わたしのサリーもなんだか着崩れているし。額はそこはかとなくオレンジだし。

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  • 🌏当記録は、結婚20周年を記念して、2001年7月の記録を発掘/転載するものです。(2021年7月)

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    この日、アルヴィンドとわたしたち日本勢はインドの工芸品店の一大コンプレックスへ行き、日本へのお土産などを下調べする。パシュミナのショールや絹製品、銀の食器など美しい品々をあれこれと見る。

    さて、ニューデリーは、首都とはいうものの、近代的な建物がほとんどない。インド最大の都市、ボンベイ(ムンバイ)に行けば、高層ビルなどが立ち並んでいるらしいが、この街を見る限り、「混沌」という言葉以外、的確に言い表す形容が見つからない。

    妹夫婦は工芸品のコンプレックスを離れ、界隈を散策し、マクドナルドに行った。ジャガイモそのものがおいしいせいか、フライドポテトがとてもおいしかったという。後日わたしも行ってみたが、マクドナルドに一般庶民の姿はなく、海外からの旅行者や、富裕層が出入りする「気取った場所」だった。

    さて、遅めの昼食を取ろうと、英国統治下時代に立てられたインペリアル・ホテルのレストランへ。白亜の建物は、イギリスとインドの建築文化が融合して成った独特のコロニアル建築。優雅な空間に、わが母はご満悦。ゆったりとランチを楽しんだ。

    さて、この日のメインイベントは、アルヴィンドの叔父ランジートが主催するカクテルパーティーだ。「両家の顔合わせお」を兼ねて、近い親戚ばかり100名近くを招いた欧米スタイルのパーティーということで、わたしは黒いイブニングドレス、アルヴィンドはスーツ姿で参加する。

    親戚の大半は、海外に留学経験を持つ人ばかりで、学者や政府の高官などが多い。日本を訪れたことのある人も少なくなく、日本に対する理解を持つ人たちが多かった。義兄ラグヴァンの父は、ラグヴァンと同様に科学者で、日本にも何度か訪れたことがあり、天皇陛下(平成天皇)や森(元)総理とも何度か会談したことがあるという。

    ※注/ラグヴァンの父はまた、インド国際センター(IIC)の理事を務めていた。この礎石は1960年、新婚旅行で来印されていた明仁天皇によって築かれたこともあり、日本とも縁が深い。そんな経緯もあり、最初の1泊は、日本家族が滞在したのだった。しかし建築物が古く、冷房が不完全だったこともあり、翌日から別のホテルに移動した。(20年後のコメント)

    🇮🇳India International Centre
    https://iicdelhi.in/

    外交官だという遠縁の女性は、日本へ出張した際、外務省に、京都、大阪などに連れていってもらったという。おいしい日本料理もたくさん食べたと言っていた。

    妹は日本の着物を着て参加していたのだが、予想していたほど珍しがられなかったのも、本場日本で着物姿の女性たちを見たことがある人たちが多かったからかもしれない。

    欧米では、立食のカクテルパーティーは一般的だが、このような場が初めての両親や妹夫婦は、その新鮮な環境を大いに楽しんでいる様子。父はもっぱら通訳を介して話しているが、母は英語を話せないにも関わらず、強引に日本語と和製英語を駆使して、誰彼となく楽しげに話をしている。

    そんな母の姿を見た、タイのバンコックから祝いに駆けつけてくれた初老の学者がわたしに向かって言う。

    「あなたのお母さんはとてもエレガントですね。それに、普通、日本の女性は、夫の後ろにくっついて、ほとんど何も話さないのに、あなたのお母さんは、お父さんの前を歩いている。すばらしい」

    と、しきりに褒めてくれる。

    パーティーの中盤になると、ホールの一画でインド料理のブッフェが用意され、参加者は一同、どやどやと食べ物の周囲に集まる。欧米のパーティーの場合、比較的控えめにに料理に向かうのが常だが、インドの場合、食べ物に向かって一直線、という感じ。食に対して、一切の気取りがない。

    山盛りに料理を載せた皿を持ち、ばくばく食べながら、おしゃべりに興ずる。

    パーティーを終え、日本の家族をホテルに送ったあと、わたしとアルヴィンドは家に戻って服を着替え、空港へ向かった。アルヴィンドの大学時代の親友、マックスが、深夜到着の便でやって来るのだ。

    彼はイタリア出身の好青年。マサチューセッツ工科大学の大学院まで進んだ後、ボストンで友人たちとIT関連の会社を興している。深夜のデリー国際空港は、到着便が重なっているようで、昼間とはうってかわって、たいへんな喧噪である。でも、マックスを見つけるのは簡単だった。

    なにしろ身長が2メートル7センチもあるからだ。

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    蒸し暑くてごちゃごちゃ汚いニューデリーの街。高級ホテルこそが、まさにオアシス! 外の喧騒がまるで幻のように、ホテル内には涼しげな静寂が漂っていた。

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    ホテルロビーの一画。ショップやレストランも優雅。しばらくここでくつろぎたいと思うが、そうも言っていられず、ランチだけ食べる。ここでも父はカレーにナン。「ナンがおいしい! 小麦が違うんやね!」

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    アルヴィンドの伯父、ランジート主催の本日のメインイベント、カクテルパーティー。社交クラブの一室で行われた。主に近い親戚を招いての顔会わせ的なイベント。昼間とはうってかわって、気取る一家。

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    こちらがランジート。亡母アンジナのお兄さんだ。彼らは二人だけの兄妹だったため、数少ない「近い親戚」だ。ちなみにロメイシュは一人っ子なので、近い親戚は非常に少ない。アルヴィンドは遠い親戚をまとめて「いとこ」と呼ぶ。大ざっぱである。※注/インドでは近い世代の血縁をまとめて「いとこ」と呼ぶ傾向あり(20年後のコメント)

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    義父ロメイシュとその隣はアルヴィンドの従兄弟アディティヤ。このパーティーを主催してくれたランジートの一人息子で、アルヴィンドにとっては「唯一の」従兄弟でもある。すなわち、兄弟のようにして育った。K夫は、会う人会う人から「いい体格をしている」「なにかスポーツをしているのか?」「かっこいい」とうらやましがられていた。しかも主に男性から。インド人男性が好むタイプなのか??

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    ※注/今は亡き、双方の父(20年後のコメント)

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    アディティヤの妻、タヌー。彼女の着ているサリー、アクセサリーは本当に上品ですてきだ。

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    義姉スジャータ。その隣はスジャータの夫、ラグヴァン。高名な生物学者である。彼の姿を見るや、あゆみ妹がわたしに耳打ち。「ねえ、ラグヴァンの髪型、あれでいいの?」。飾り気のないお方なのだ。※注/SARS、インフルエンザ、HIVのワクチン研究に貢献してきたIIS(インド理科大学院)教授のラグヴァンは、COVID-19のワクチン研究においても、尽力している。(20年後のコメント)

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    義継母ウマも、とてもお洒落。落ち着いた色合いのサリーがお似合いだ。妹は着物で出席。

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    ※注/ダディマ(祖母)は2007年、ロメイシュ・パパは2020年に他界した。(20年後のコメント)

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    ※注/自分で言うが、初々しさのない貫禄ある新婦である。(20年後のコメント)

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    ※注/どうみても、初めてのインドで、しかも自分の結婚式を挙げる女子には見えないな。35歳の我、肝が座っていることよ。(20年後のコメント)

  • 🌏当記録は、結婚20周年を記念して、2001年7月の記録を発掘/転載するものです。(2021年7月)

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    翌日、日本の家族がアルヴィンドの家を訪れた。この日、「メヘンディー」と呼ばれる女性たちのパーティーが、実家で行われていた。結婚式に参加する親類縁者の女性たちが集い、手や足に「ヘナ」と呼ばれる染料で緻密な図柄を施してもらうのだ。

    いよいよ家族の対面。アルヴィンドの姉のスジャータ(義姉だがわたしより年下)も、南インドのバンガロールから到着していた。みな、それぞれにハグ(抱擁)を繰り返し、対面を喜んでいる。わが母は感極まって、目を潤ませている。

    すでにメヘンディー塗りの職人(アーティスト)が二人来ていて、女性たちの手足に模様を描いていた。妹も母も、もちろん花嫁のわたしも、交代で塗ってもらう。その間、父や妹の夫(以降、K夫)は、アルヴィンドの家族が手配してくれた日印通訳のインド人青年を介して、親戚の人たちと話をしている。

    メヘンディーを塗ったら2、3時間はそのままにしておかねばらならない。

    すっかり乾いたところで、泥のような染料をそぎ落とすと、赤茶色に染まった模様が現れる。しっかりと濃く発色させたい場合は、丸1日、塗った手足を濡らさないようにする。

     

    本来は、女性だけがたしなむものだが、妹の夫が腕の目立たないところに「蝶」の柄を施してもらうと、アルヴィンドもうらやましくなったらしく、自分名前の由来である「蓮の花」を描いてもらう。

    それを見ていたスジャータの夫ラグバンもうらやましくなったらしく、メヘンディー職人の前に座る。なんでも「カメ」が好きらしく、職人に頼むのだが、二人ともカメなど描いたことがないらしく、すごく下手くそな仕上がりで、笑ってしまった。

    その夜はタンドーリ・フードの晩餐だった。タンドールと呼ばれる深い土釜に、串刺しにしたチキンやラムを入れて蒸し焼くのだ。バルコニーでは「タンドーリ屋」が3名来ていて、汗を流しながら釜の前で調理している。あたりは、いい匂いでいっぱいだ。

    タンドーリ・フードのほか、料理担当の使用人が作るカリフラワーやオクラ、豆、カッテージチーズなど、多彩なカレー、プーリと呼ばれるクレープ状のパン、それにおなじみのナンなどが食卓を賑わせる。

    それにしても、スパイスがしっかりとしみ込んだ、ジューシーなタンドーリ・チキンのおいしいこと! すでに序盤から、父親をはじめ、日本勢は極めて旺盛な食欲を発揮。スジャータが心配して、「ミホ、これは前菜だからって、家族の人に説明して」と耳打ちするほどだった。

    それにしても、スジャータとラグバンの気配りは大変なもの。わたしたち家族が戸惑うことのないように、ひとつひとつ、こまやかに注意を払ってくれる。

    食事を終え、一息ついたところで、日本からのお土産を家族のそれぞれに渡して、一日をしめくくった。

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    これがメヘンディーと呼ばれる入れ墨。ヘナ(HENNA)というミソハギ科の低木の葉をすりつぶした黄色い染料を水で溶き、肌にペイントする。

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    メヘンディー職人のお兄さん。それぞれの女性に対し、それぞれに異なる精緻なデザインを施していく。ひたすら描く。無口。ちなみにこの写真は義継母ウマの手。手首のあたりがクジャクの頭になっている。クジャクはどの女性にも、同じモチーフとして使われている。スイスイと流れるように描くさまは、実に見事。

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    妹も描いてもらった。

     

    彼女はアルヴィンドの従兄弟アディティヤの妻、タヌー。タヌーはとてもお洒落な女性で、いつも美しいサリーやサルワール・カミーズと呼ばれるワンピースを着ている。3mehen-5hora

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    タヌーの長女。

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    染料が乾くまで、しばらく乾かす。少々乾いたら、ライムの汁に砂糖を加えた物をコットンなどに浸し、メヘンディーを湿らせるようにすると、色が長持ちするらしい。できるだけ長い間、水に濡らさないのがいいらしい。数時間たってすっかり乾いたら、泥状の表面を削ぎ落とす。

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    ほれ。と仕上がりを見せてくれる親戚。それにしても、その額の赤丸は、大きすぎやしまいか。

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    姫は手が乾燥するまで物に触れられないので、アルヴィンドに食べ物を与えてもらう。姫と言うよりは、餌を与えられている犬。

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    本来は男性はやらないメヘンディー。しかし日本男児、恐れることなく挑戦。「蝶々」の図柄を依頼するK夫。それを見て、「男はやっちゃいけないんだよ~」と忠告するアルヴィンド。

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    忠告してはみたものの、うらやましかったのか、自分もしてもらいたくなったアルヴィンド。自分の名前(アルヴィンドはサンスクリット語で「蓮」の意)にちなんで、蓮の花。ちなみに、「蓮」の文字はわたしが紙に書いたのを、職人さんが模倣して書いてくれた。うまい! しかし、蓮の「絵」は、いまいちだな。

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    ライムの絞り汁を浸したりするので、こんなにぎとぎとになった。それにしても、作業はバルコニーで行われ、冷房も利かない状況だから、ともかく蒸し暑くて叶わない。ともかく、全身がベタベタとして、たまらん。

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    近寄るとこんな感じ。はっきりいって、気持ち悪い。というか、ぎょっとする。手首の優美なクジャクにご注目。

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    別のバルコニーでは、タンドーリフードのケータリングサービスのお兄さんたちが来ていた。即席のテーブルで、せっせと料理を作っている。生地が重なりパイ状になって焼き上がるパン(パラタ)のおいしかったこと!

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    こうして材料を見る限りでは、どう贔屓目に見てもおいしそうには見えない。従って調理風景を見ている間は、さほど料理に期待をしていなかった。

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    ラムの挽肉を長い鉄串に巻き付けて、焼く準備をしているお兄さん。「シーク・カバーブ」と呼ばれるポピュラーな料理。

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    このお兄さんは、香辛料につけておいた鶏肉を串に刺している。これをタンドーリ釜で焼くと、「タンドーリ・チキン」となる。食べるときは、もちろん串からはずして食べる。

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    これがタンドールと呼ばれる窯。炭火でじっくりと焼かれたタンドーリチキンは、抜群においしかった。日本勢一同、その味にすっかり魅了され、食欲、とどまることを知らず。あとにも先にも、この時食べたタンドーリチキンが、一番おいしかった。

  • 🌏当記録は、結婚20周年を記念して、2001年7月の記録を発掘/転載するものです。(2021年7月)

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    翌日、いよいよ日本から、わたしの両親と妹夫婦がやってきた。一応、病み上がりの父と、きれい好きの母が、このインド滞在に耐えられるかどうかが今回の一大テーマである。

    これまで何度か父のことは書いたが、母のことを触れたことはなかったように思う。我が母もまた、父を凌ぐユニークな人物である。

    幼い頃から自分は欧州貴族の生まれ変わりと信じていて、ヨーロッパに行ったことがないにも関わらず、彼の地の文化が好きで、ことにインテリアなどに関しては、ヴィクトリア調がお好み。その嗜好はわたしも引き継いでいる。

    長年専業主婦をしていたが、50歳のころ、突如、絵画に目覚め、オランダのアッセンという地方で起こった「アッセンドリュフト」という、家具や調度品に花や果物の図柄を施す絵画を学びはじめ、現在は先生をしている。母の色彩やデザインのセンスは、先天的にすばらしいものがあると、身内のひいき目ではなく、客観的にそう思う。

    ちなみに母は「これからの女性は自立しなければならない」と、わたしが3歳くらいのときから呪文のように言い聞かせていた。

    空港へはアルヴィンドとわたしが二人で迎えに行った。予定よりも早くJALの便が到着。遠くに黄色いシャツを着た、太った男性が見える。お父さんに違いない。アルヴィンドに、

    「ほら、あそこ、お父さんだ!」というと、

    「えーっ、お父さん、がんで痩せたんじゃなかったの? あれは違うよ、スモウ・レスラーみたいだもん」

    4人の人影がだんだん近づいてくる。日本人らしからぬ存在感。やはり我が家族だ。

    去年の3月、父の肺がん発病に伴い帰国したとき、父は80キロ強に減っていたのだが、今はすっかり回復して体重も95キロ前後のよう。ちなみに身長は172センチだから太りすぎである。とても病み上がりには見えない。

    アルヴィンドは空港の花屋で買っていた二つの花束を、母と妹に渡す。色鮮やかなグラジオラスの花束だ。

    その日は、ホテルへチェックインしたあと、お土産などの荷物を整理して、6人で夕食に出かけた。「タージ・パレス」というホテルのインド料理店だ。

    早くも日本勢はインド料理に夢中の様子。特に「ナン」を気に入った父は「小麦粉が違う! おいしい!」とひたすら食べている。その旺盛な食欲には、安心を通り越して、呆れる。

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  • 🌏当記録は、結婚20周年を記念して、2001年7月の記録を発掘/転載するものです。(2021年7月)

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    ニューヨーク発ロンドン経由、ニューデリー行きのヴァージン・アトランティック航空に乗り込む。ロンドンまで約7時間。ロンドンからさらに約8時間の旅だ。ロンドンのヒースロー空港で乗り換えるときから、すでにインドが始まっていた。サリーを着た女性たちや、ターバンを巻いた男性が目に付く。

    長旅を経て、デリー空港に無事着陸。ガランと簡素な空港に降り立つと、湿気を帯びた暑い空気と、独特の匂いに包まれる。アルヴィンドの父親ロメイシュと継母ウマ(アルヴィンドの実母は他界)の満面の笑顔に迎えられ、駐車場に向かう。

    ウマとわたしは今回初対面だが、ロメイシュとは、アメリカで何度か会っていた。アルヴィンドの姉夫婦と5人でイエローストーン国立公園へ旅行に行ったこともある。

    実家のドライバーが手際よく荷物を車に積み込み、わたしたちは家へ向かう。

    どの国を訪れるときもそうだが、空港から目的地までの道のりは、頭と心をその国の環境の中にとけ溶け込ませるための大切な助走の時間となる。車窓からの風景をしっかりと眺めながら車に揺られる。

    想像していた以上に、牛が多い。道路脇だけでなく、中央分離帯にもいる。呑気に道路を横切る牛もいる。道路に車線は引かれているものの、従って走る車はなく、滅茶苦茶なドライヴマナー。むやみにホーンを鳴らすからうるさい。

    アルヴィンドの家はデリーの中心地から南の地区にあった。中流階級以上の人たちが多い地区と本で読んだが、時折、バラックのような家並みが現れる。それにしても道を行く人たちの多いこと。

    交差点で車が止まると、老若男女を問わぬ物売りたちがわっと道脇から現れる。雑誌を抱える少年、窓を拭いて駄賃をもらおうとする少女、風船や玩具を抱えた青年……。汚れた顔をして眠る赤ん坊を抱え、お金を乞う若い母親もいる。

    車窓の内側は、エアーコンディションのきいた快適な空気が流れ、その外側には、埃っぽい暑い空気と、貧しい人々の息吹が満ちている。

    実家に到着。2階の玄関に至る大理石の階段の両脇には、バラとマリーゴールドの花びらが施されている。遠路はるばる訪れたわたしたちを歓迎する証のようだ。

    玄関では、同居しているアルヴィンドの父方の祖母が出迎えてくれた。手には花びらと、お菓子と、そして水が入った器を載せたお盆を持っている。わたしたちの頭上に花びらを散らし、お菓子を口に入れ、「歓待の儀式」をしてくれる。

    わたしたちの部屋がある3階に通され、荷物をほどいて一息ついたところで、昼食。使用人(servant)たちが用意してくれるカレー(煮込み料理)が食卓に並ぶ。レストランで食べるインド料理より、いずれもあっさりしていてお腹にやさしい味付けだ。

    食後に出されたマンゴーのおいしいこと。インドでは「夏は暑くて辛い季節だが、マンゴーが食べられる」という言い回しがあるくらい、この季節はおいしいマンゴーが食べられるのだ。濃厚な甘さのマンゴーをたっぷり食べて、一段落。

    わたしとアルヴィンドは、ウマに連れられて街へ行く。結婚式の衣装を縫製するためだ。わたしが着るサリーは、結婚式用と披露宴用が準備されていたが、いずれもブラウスだけは採寸して身体にぴったりと合ったものを着なければならない。

    アルヴィンドはインド人男性の国民服とも言える、「クルタ・パジャーマ」を採寸に行く。クルタとは、ゆとりのある丈の長いシャツ、パジャーマとはコットン製のズボンのことで、ウエストは紐で調整する。

    普段着のクルタ・パジャーマは上下共にコットンだが、結婚式の衣装はクルタのみシルク製である。それも、光沢のあるシルクではなく、荒い、素のままのシルクだ。

    採寸を終え、商店街をぶらぶらと歩き、わたしは衣料品店で肌触りのよいコットンの寝間着などを購入する。

    それにしても、この喧噪……。人、牛、犬、時々ラクダ。埃っぽい街……。

    途中、アルヴィンドが、インド版ファストフード店の前で立ち止まり、おやつが食べたいという。サモサという揚げ菓子や、彼の好物であるグラブ・ジャムンという丸いスポンジケーキのようなものをシロップに漬けた甘い菓子など……。

    蒸し暑い中、こてこてに甘いお菓子を食べ、べったりとした気分で車に乗り込む。

    その後、デリーの街を車で巡り、軽い「市内観光」をして帰宅。夕食の席で、祖母がわたしの首に、金の首飾りをつけてくれた。自分が嫁入りの時に身につけていた物で、わたしにくれるのだという。

    祖母はヒンディー語しかしゃべれないので、わたしと二人きりでは会話ができないのだが、なんとか身振り手振りでもコミュニケーションがとれる。なんでも、この家の隣には、インド人に嫁いだ日本人の女性が住んでいて、祖母は彼女と仲がよかったのだという。彼女は、夫が他界した後、日本に帰国したが、いまでも息子たち一家は隣に住んでいるという。

    ロメイシュとウマは5年前に出会い、去年再婚し、ウマはこの家の4階で暮らすようになった。しかし祖母とウマの折り合いが悪いことは、初日にしてすぐに察せられ、「どこの国も同じね」と思う。

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    ここがわたしたちに与えられたフロア。普段は誰も使っていないのでガランとしている。このフロアにベッドルームがある。大理石のフロアが涼しげ。に見えるが、実際は、蒸し暑いのなんの。冷房を入れずにはいられない。

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    デリーに到着するやいなや、「婚礼衣装」の採寸のため、街へ出る。この小さなオート三輪車は「オートリキシャ」と呼ばれるタクシー。町中を縦横無尽に走っている。

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    商店街の一画にある衣料品店で、衣装の採寸。大急ぎ(2日)で仕上げてもらう。

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    採寸の帰り道、A男が吸い込まれるように入っていったペイストリーショップ。塩味系のスナックからべったり甘そうなお菓子まで、さまざまな食べ物が並んでいる。興味深くはあるけれど、猛烈に蒸し暑い中、食欲をそそられることもなく、さまざまな菓子類を眺める。それにしても、このべたつく暑さは尋常ならない。

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    これはかき氷の屋台。大きな氷をカンナのようなもので削っている。冷たい氷はおいしそうだが、これを食べてはお腹を壊すこと間違いなしだ。

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    商店街の一画で花を売る人。みんなのんびり気ままに商売をしているように見える。

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    インドの夏はマンゴーの季節。ともかく、暑くても、マンゴーがおいしいのだから辛抱せよ、ということらしい。マンゴーにも種類がさまざまあり、A男が好きなのは小振りで甘みと香りがぎゅっと凝縮された黄色いマンゴーらしい。

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    採寸の帰りにちょっと観光。背後に見えている巨大な建物は「ロータス・テンプル」という寺院で、宗教を問わず、どんな人もここで祈りを捧げることができる場所らしい。

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    【結婚20周年/2021年7月現在の所感】

    25年前、ニューヨークで出会った夫と、20年前、結婚した。わたしにとっては、初めてのインド。当時はインターネットで得られる情報も少なく、インドの結婚式事情はおろか、インドのことさえ、よく知らなかった。

    蒸し暑い7月のニューデリーに、末期の肺癌から一時的に回復していた父、そして母と妹夫婦を招いての、未知なる結婚は、すべてが混沌だった。インドに暮らし始めて、インドの結婚事情やライフスタイルを知るにつけ、よくもインドの家族や親戚が、わたしを歓迎してくれたものだとも思う。

    語るに尽きぬ、しかし、ご縁の一言に尽きる。

    以下は、坂田の米国在住時のホームページの記録から転載するものだ。当時はまだブログなどもなく、限られた写真しか掲載していなかった。今日、古い紙焼きの写真や、CDに焼いていたデータを久しぶりに発掘して、追加で掲載した。

    すでにこの世を去った人たちも多く、しみじみと、懐かしい。

    【CONTENTS】

    【DAY 01】新婦、遂にインド初上陸
    【DAY 02】日本の家族(両親と妹夫婦)もデリーに到着 
    【DAY 03】結婚のイヴェントその①メヘンディー。女性のための、パーティー
    【DAY 04】結婚のイヴェントその②社交クラブでカクテル・パーティーの夜
    【DAY 05】結婚のイヴェントその③夫の実家で炎の結婚式。暑すぎ
    【DAY 06】結婚のイヴェントその④ホテルのバンケットルームで披露宴(レセプション)
    【DAY 07~】悪夢のタージ・マハル観光。そして日本勢、無事、帰国。
    【DAY 10~】インド滞在の終盤。ボロボロ新婚旅行。

    【はじめに】

    インドの結婚シーズンは、基本的には冬だという。

    夫の故郷であるデリーの場合、4月から6月にかけての「夏季」は、平均気温が40℃から50℃に達することもある猛烈な暑さで、空気は乾燥しているものの、ともかく暑い。

    6月~9月になると、少々気温は下がるものの、今度は雨がたっぷり降る。湿度が高く蒸し暑い、一年で最も過ごしにくい季節、つまりモンスーンの季節だ。このモンスーンの時季に結婚する人は、あまりいないという。

    そもそもインドの結婚式は屋外でやらねばならない行事がある。従って、夏季やモンスーンは避けるべきなのである。ではなぜ我々は、よりによってモンスーンの時季に、結婚式を挙げてしまったのだろう。

    結婚を決めたのは、2001年の初旬だった。最初は取りあえず、夏ごろに米国で結婚の申請をするつもりでいた。

    ただ、わたしとしては、「ウエディングドレスが着てみたい」という、ちょっぴりミーハーな願望があったため、ハワイなどで、ごく身近な家族を招いての結婚式とパーティーをするのもいいかなと思っていた。夫はハワイ案を気に入り、「じゃあ、ハワイで結婚式をしよう」ということになった。

    どこか小さな教会で式を挙げたあと、のんびり休暇を楽しむのがよさそうだ。ともかくは情報収集、というわけで、インターネットであれこれとリサーチする。数日後、調べ上げたデータを夫に示したところ、

    「えーっ? どうして僕たちがキリスト教の結婚式をするの? 僕はヒンドゥー教徒でミホは仏教徒でしょ? ウエディングドレスが着たいだなんて、何言ってるの?」

    「何言ってるのって言いたいのはわたしの方でしょ? いったいどこの誰が、ハワイでヒンドゥー式やら仏式の結婚式を挙げるのよ?!」

    「とにかく、僕は結婚式をするなら、ヒンドゥー式でするから。そんなにウエディングドレスが着たければ、一人で着れば?」

    憎々しい限りだが、彼の言うことにも一理ある。確かにヒンドゥー教徒と仏教徒がキリスト教式の結婚式を挙げるのは妙なものである。

    どうせヒンドゥー式でやるなら本場インドがいいだろう。わたしはまだインドに行ったことがないから、これは夫の母国を訪れるいい機会だ。そうだそうだ、インドで式をしよう、という運びになった。

    インドの夏は暑いと聞いているが、冬だとまだ1年近くも先の話。先延ばしにしてお互い気が変わっても厄介だ。それに夏の方が、夫も長期休暇がとりやすい。わたしが暑さを我慢すればいいだけだから、やはり夏にしよう。ということになった。

    インドの家族には、夫から、「あまり大げさではない、身内だけの結婚式にしたい」と連絡を入れた。なにしろ、文化の違う者同士の結婚だから、派手にやるのは無理がある。

    無論、インドの結婚式というものが、いったいどういうものなのか、ほとんど知識がなかったから、そのときは何ともいえなかったのだが……。

    ※注/当時、インターネット上でもインドの結婚事情を入手することは困難だった(20年後のコメント)

    ところでわたしの父は前年、肺がん(しかも末期)を発症し、抗がん剤治療を受けるなどしていたため、両親を招待するつもりはなく、わたし一人で行こうと思っていた。無論、妹夫婦が来てくれるなら、うれしいけれど……。というくらいに考えていた。

    さて、日本の家族にインドで結婚式をする旨、報告せねばと電話をかけた。父は不在だったので、ひとまず母に、この夏結婚することを伝えた。すでに我々は付き合い始めて5年もたっていたし、近々わたしたちが結婚するであろうことは両親も予想していただろうから、母も驚くということはなく、とても喜んでくれた。

    ただ、インドで結婚式をするということに関しては意外だったようで、母は少々残念そうに「ニューヨークでやるんだったらねえ……」とつぶやいた。

    母はニューヨークが好きなのである。

    「もちろん、インドはわたし一人で行くから。日本へは、改めてアルヴィンドと挨拶に行くよ」

    そう言って、電話を切った。

    翌朝、ひどく早い時間に、父が電話をかけてきた。

    「美穂、結婚おめでとう! 幸子(母)が昨日、何て言ったかしらんけどね。式にはぜひ参加させていただきますから! 僕は、美穂の結婚式のためなら、インドでも、地の果てでも、どこへでも、這ってでも行くからね!」

    あいたた~。

    うれしいけど、でも、なんか大変なことになりそうな予感。それはそうと、インドと地の果てを並べては、インドに申し訳ないと思う。

    それでもって、這って来られても、困る。

    そういうわけで、日本から、両親と妹夫婦がインドへやってくることになったのだった。

    基本的には、夫の家族のみが結婚式に関する責任を負担することになるため、イベントは最小限にしたいと夫もわたしも思っていたのだが、インドに電話を入れるたび、「あれもやろう」「これもやっておくべきだ」と、だんだん話が本格的になっていった。結局、結婚関連のイヴェントは4日間に亘って行われた。

    無論、イヴェントそのものはすべて夕方から夜にかけて行われるため、昼間は観光やショッピングなど結婚式とは関係のないことをして過ごした。結婚関連のイヴェントが行われる最初の1週間は日本から家族が訪れ、後半の1週間は新婚旅行というプランである。

    ここでは、インド滞在中の写真に加え、以前、メールマガジンのために書いた日記を併せて紹介した。個人結婚式レポートにとどまらない、インドの人々の暮らしや文化の断片を、少しでも楽しんでいただければ幸いだ。

    ◉西日本新聞に寄稿ていた『激変するインド』結婚関連の記事

    *2007年から5年間に亘り、西日本新聞に月に一度、寄稿していた。以下の記事を書いた2007年と、14年後の2021年現在とでは、結婚事情もまた「激変」している。あくまでも過去のインドの記事としてご一読いただければと思う。

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  • 2002june

    インド未踏時の独身時代、2000年6月の坂田美穂。多分、人生初、デジタルカメラによるセルフィー。

    🍎ニューヨークで働く私のエッセイ&ダイアリー Vol. 48

    今は2001年7月9日の深夜です。ずいぶんと発行しないまま月日が流れてしまい、このままでは、インドで結婚式を挙げて戻ってくるまでタイミングを逸してしまうと、書きかけのものをひとまず仕上げました。以下、すでに時差が生じてしまいましたが、そのまま送ります。
    ——————————————————-
    今日、7月4日はアメリカ合衆国の独立記念日です。1776年の今日、イギリスから独立したのです。一年の祝日でも最も重要度の高い今日、各地でパレードや打ち上げ花火が行われます。

    今は夜の8時。あと1時間もすると、マンハッタンのイーストリバーで、恒例のメイシーズ(デパート)主催による花火大会が始まります。私はビルの屋上から眺めようと思います。

    今日は祝日ながら、集中して仕事をするのにとてもいい一日でした。先週は一週間DCにいて、月曜日にニューヨークに戻ってきました。先週末は、「私的一大イベントその1」が行われましたので、その模様もご紹介します。

    ところで、以前、紹介したジョージタウンのティーハウスの場所を知りたいという問い合わせがあったので、ホームページに掲載しています。写真も載せていますのでご覧ください。

    さて、読者の方からこんなメールをいただきましたので、一部抜粋いたします。
    ——————————————————-
    僕は27年前にネパールヒマラヤの山中にある、ホテル・エベレスト・ビューという所で、ラマ教で結婚式をやりました。まずホテルのある場所にたどり着くまでが大変でしたが、月がさんさんと輝いて、その明かりでヒマラヤの山々を照らし、そして星の輝きを消してしまうほどの夜空は、今思い出しても感動がよみがえります。

    其の事を友人に話をすると、皆感動と驚きを持って聞いてくれ、そんな素晴らしい結婚式を実行した自分を誇らしく思っていましたが、ある時妻とけんかしたときに妻が叫んだのです。

    「私だって皆と同じようにちゃんとした結婚式を挙げたかったわよ」

    一瞬その場が凍りました。その時の事を長男が覚えていて、時々妻をからかっています。坂田さんは、くれぐれも同じせりふをはかないよう気をつけてください。
    ——————————————————-
    心しておきます。

    最近のメールマガジンは、結婚関連のネタが多くて恐縮ですが、あと1カ月ほどはこの話題が続くかと思います。やっぱり、仕事や他の話題より、自分の中での優先順位はさすがに高いですから、書くこともおのずと出てくるのです。というわけで、今回は、結婚式の話題です。
     

    ●結婚式アメリカ編:マリッジライセンスを取りに行く

    以前も書いたが、アメリカで結婚する場合、婚姻届に名前を書いて判を押して届けて完了、というわけにはいかない。州によって法が異なるが、基本的に二人一緒にマリッジライセンス(結婚認可証)を受け取りに行き、しかるべき資格を持っている人物の立ち会いのもとに結婚式を行い、マリッジライセンスに必要事項を記入しサインしてもらった上で、改めて役所に届け出る、という過程を踏まねばならない。

    ニューヨークの場合、結婚式の際、立会人が必要で、DCの場合、血液検査が必要など、何かと面倒だったので、その両方が不要だったヴァージニア州(DCに隣接)で手続きをすることにしたのだ。

    先週の水曜日、会社を早退したA男と共に、ヴァージニア州アーリントンの役所(コートハウス)に、マリッジライセンスを受け取りに行く。二人の名前や住所などを記入した用紙と引き替えに、賞状のような体裁の結婚証明書(名前や日付の部分が空欄のもの)とマリッジライセンスの用紙を受け取る。受け取るとき、二人一緒に右手を掲げての宣誓が要求される。

    インドで結婚式をするのだから、式は簡単に、役所に隣接する施設で挙げるつもりだったのが、それではやはり味気ないと言うことで、予定を変更。週末1泊2日で結婚式を挙げにいくことにする。

    ちなみにインドでは、紙の上での手続きは面倒らしいので、基本的にはやらないつもりだ。当初はヒンズー教など宗教の問題があるのかと思っていたら、A男の家族いわく、日本大使館がややこしいことを言ってきたとのこと。具体的なことは後日聞くとして、もしもそれが本当だとすれば、やはり日本は閉鎖的で、アメリカという国は、開かれた国だと思わざるを得ない。

    アメリカ人でない二人が、この国で難なく結婚することができ、それが法的に認められるのだから。

     
    ●結婚式アメリカ編:シェナンドーのB&Bで結婚式を挙げる

    結局、以前にも紹介したDCから車で2時間ほどの場所にあるシェナンドー国立公園のそばで週末を過ごすことにした。ここにはワシントンと呼ばれる街がある。ワシントンDCに対し、ワシントンVA(ヴァージニア州)とよばれる小さな街は、初代大統領ジョージ・ワシントンゆかりの地らしく、彼がこの街をレイアウトしたという。なんでもDCより20年以上も前にワシントンという地名で誕生していたとか。

    この小さな街には、数軒のアンティークショップと、数軒のB&B(ベッド&ブレックファスト:英米版民宿のようなもの。漫才コンビではない)やインなど小さな宿があるばかりで、あとは豊かな自然が広がっている。シェナンドー国立公園へ出かける人たちの拠点となる街(村)でもある。

    周辺にはいくつかのワイナリーが点在していて、テイスティングを楽しめるほか、この季節はサクランボ狩りやベリー類狩りなどができる。

    ワシントンVAの宿はどこもいっぱいだったので、さらに少し離れた村にあるB&Bに予約を入れた。そこのオーナーが、結婚式を挙げる資格を持っているので、滞在中に式を挙げてもらうことにした。

    土曜日、快晴。午前中出発して、車を西に走らせる。景色を楽しもうと早めにハイウエイを降りて、牧草地帯を走る。オレンジ色の山ユリが咲いているかと思えば、ピンクや白の野の花が一面に広がり、風に揺れている。トウモロコシ畑、ブドウ畑、牛が草を食む小高い丘、取れたての野菜を売る農家の露店などを眺めながら走る。

    ちょうど昼頃、B&Bに到着。2匹の犬が尻尾を振って出迎えてくれる。オーナーはイギリス出身の老夫婦。200年以上前に建てられた家屋を改装して作られた宿は、すべて英国風のアンティーク仕立て。5つある部屋それぞれが、異なる家具、調度品で調えられている。

    私たちはスタンダードの部屋を予約していたのだが、夫妻の計らいで宿一番のスイートルームに通してくれた。

    天蓋付きのレースがかかったベッドには、フワフワのクッションがいっぱい。飾られている調度品はヴィクトリア調。しかし、あまりにアンティークすぎて、ちょっと怖い。なにしろ、リビングの一画に、シマウマの頭の剥製が突き出ていたり、鳥の剥製が棚の上に飾られたりしているのだ。鳥はまだしも、シマウマはやたら大きくて威圧的。

    A男は気味悪がって、「これ作り物だよ」と言い張るが、絶対に本物の剥製である。極力、視界に入れないよう努力した。

    「どこで式を挙げたいか、決めてちょうだいね」と奥さんに言われ、私はすかさず「ガーデンで」と答えた。野の花が咲き、小さな水辺のある、芝生の庭だ。蒸し暑いけれど短時間のことだから、室内よりも外の方がいい。

    私はこの間買ったばかりの裾がヒラヒラのドレスを着、A男はジャケットを着て、庭に出る。庭のベンチでご主人を待つ間、A男がポケットから紙切れを取りだし、イギリスの詩人が書いた愛の詩を読み上げてくれた。ほろっとしているところに、先ほどまで汚れたTシャツを着ていたご主人も、スーツにネクタイ姿で登場した。

    私たち二人を前に、ご主人が婚姻の祝詞のようなものを読み上げる。せっかく大切な瞬間なのに、急に小バエが大量発生して、私たちの周りを飛び交う。うううぅぅ、いまいましい。宿に馬小屋があるのが原因か。小バエも祝福してくれているのだと強引に自らを納得させつつ、最後に私たちそれぞれが誓いの言葉を告げ合う。交換するべき結婚指輪を用意していなかったので、取りあえず、婚約指輪を一度外して、もう一度A男に付けてもらう。誓いのキスをして、式は終了。わずか5分ほどのことだった。式が終わった途端、小バエは去った。

    式の間、私の頭の中に、佐野元春の「天国に続く芝生の丘」という曲がずっと巡っていた。7月の晴れた日に結婚式を挙げた、彼の両親のことを歌った、とてもすてきな曲なのだ。

    ちなみに、私たちが式をしたこの日は6月最後の日。はからずも私はジューンブライドとなった。

    さて、私たちが式そのものよりも心待ちにしているイベントがあった。その日の夕食である。なぜワシントンVAに来たかと言えば、ここには「全米で最もすばらしい」と言われるフランス料理店があるからなのだ。

    その名も「The Inn at Little Washington」。レストランを擁する宿そのものがまた、アメリカでも最高級なのである。最初、料金をよく確かめずここに予約しようとして、結局、満室だったから無理だったのだが、よくよく料金を調べてみて血の気が引いた。猛烈にお高いのである。

    しかし、せっかくの「特別な日」だから、食事ぐらいは奮発しようと、ゴージャスなディナーを実現するべく予約を入れた。

    レストランの予約は9時だったが、6時ごろから街を散策している私たちは、周辺の、あまりの田舎さ(何もなさ)に思い切り退屈し、近所をドライブするにも同じ様な田園風景でだんだん飽きてきて、時間を持て余していた。レストランのバーで食前酒でも飲みながらくつろぎましょう、ということで、早くも7時過ぎに「The Inn at Little Washington」に行く。

    建物の前には何台もの胴の長いリムジンが横付けしている。多分ワシントンDCなどからやってきた人たちだろう。牧歌的な周囲の風景とは似つかわしくない、みな晴れやかに正装をしている。

    「The Inn at Little Washington」の外観は、取り立てて華美でもなんでもない、シンプルな建築物。それが宿だとわかる看板さえない。しかし一歩、建物の中に足を踏み込むと、周囲の環境とはかけ離れた別世界。王侯貴族の邸宅に招かれたようなプライベートな雰囲気が漂っている。

    エントランスでは、匂い立つように美しくアレンジされた花が迎えてくれる。壁紙、天井、家具、カーテン、ランプ、ソファー、絵画、彫刻……と、目に飛び込んでくるすべてが、本物の質感と、気品に満ちている一方で、威圧的な雰囲気がない。非常に心地よい豪華さを演出している。

    「9時に予約を入れているのだけれど、食事の前にバーでくつろぎたい」と告げると、とても丁寧な応対のスタッフに案内され、サロンのようなバーに案内される。ここがまたすてきなムード。座り心地のいいソファーがうれしい。

    私はドライシェリーを、A男は白ワインをオーダー。紹興酒を思わせるシェリー酒をゆっくりと飲みながら、周囲の光景にゆっくりと視線を巡らせる。カップルや家族連れなどが、リラックスしたムードでグラスを片手に談笑している一方、これから食する料理への期待で、場の空気が少しばかり高揚しているように思われる。

    私たちにしても、一昨日から、「結婚式、どうなるかな」という会話は出ず、「夕食、どんな料理が出るかな」とそればかりが気になっていたのだ。

    話がそれるが、メールマガジンの読者から、時々「食事の話題が多いですね」というコメントをいただく。好意的なコメントが大半なので今後も書き続けることになると思うが、改めて訴えるまでもなく、「食」とは、とても大切なことなのである。

    過去の記憶を蘇らせるのに効果のある要素に、「匂い」や「音楽」に並んで「食事」が挙げられるように思う。これらを媒介にして視覚的な記憶や、思考的な記憶がひっぱりだされる。

    たとえば、今から7年前、私は欧州を3カ月間、ひとりで放浪した。その時に、旅の絵日記をつける一方で、食べたものを記録する「食事日記」だけも、別のノートに記していた。

    たとえば、

    朝:ホテルでクロワッサンとコーヒー
    昼:噴水のそばで青菜入りのサンドイッチ、ピザとジュース
    夜:白ワイン、羊肉のグリル、ベリーのシロップ漬け

    この3行を見るだけで、地名を確認しなくても、あ、これはイタリアのアッシジだ、青菜というのはホウレンソウみたいな野菜で、名称不明だったけれど、すごくおいしかったから、数日同じものを食べたのだった。そう、この日、噴水のそばでジュースを飲んでいたとき、名古屋でエアバスが墜落する大惨事があったことを観光客に聞いた。それからベリーのシロップ漬けがおいしくて、同じレストランに翌日も出かけた。窓際の席から見下ろした夕陽に映えるウンブリア平原は、一面黄金色に染まっていた……。と次々に記憶がひっぱりだされるのである。

    A男と私の5年間の記憶も、軸となるのは食である。行ったレストラン、食べていたメニューを思い出して、そのときの会話や服装、その前後のエンターテインメントなどを思い出す。

    話がそれたが、「The Inn at Little Washington」である。

    バーで、ちょうど食前酒を飲み干したころ、ちょうどいい頃合いで、「早めにテーブルが空いたので、よろしければどうぞ」と、窓際の、中庭に続くガラス扉の近くの席に案内された。8時過ぎとはいえ、まだあたりは明るく、窓越しに中庭の風景が見渡せる。池には蓮の花が浮かび、鯉が泳いでいる。

    メニューは、前菜、主菜2品、デザートにいくつかの選択肢がある。どれにしようかと思案していると、私とA男の間に舞い飛ぶ、またもや、こんどは大きなハエ!

    ちょっとちょっと! アメリカで一番のフランス料理店でハエはないでしょう。どうやら、中庭に続く扉を開けたときに、外から舞い込んできたらしい。どんなに気取っていても、この建物を出ればあたりは牧草地帯。近所では牛が放牧されているくらいだから、ハエの一匹や二匹は当たり前なのである。

    静かにウエイターを呼び、ハエをどうにかしてください、と頼むと、彼は静かに、そして真剣に、窓際へハエを追い込み、さっと手づかみで外へ出した。かなり慣れた一連の行動である。彼は小声で「ハエのことは、他のお客様には秘密にしておいてくださいね」とウインクして去っていった。さすがアメリカ。くだけた雰囲気。ヨーロッパの高級レストランだとこうはいくまい。

    さて、気を取り直し、料理を注文する。私は、ロブスターのサラダ、冷製とグリル2種のフォアグラ、ラムチョップのグリルをオーダー。ワインは、カリフォルニア・ナパ産のピノ・ノワール。

    まずテーブルに運ばれてきたのは、デミタスカップに入ったコンソメスープ。これがもう、何とも言えず食欲をそそる序章となる。コンソメスープを一口、飲んだところで、ウエイターが、トレーに盛った見た目にも美しい、おつまみのようなスナック類をサーブする。小さなスコーンに柔らかなコンビーフを挟んだもの、餃子のようなものなど、どことなく点心を思わせる数種類の中から、好みのものを手でつまむ。その手でつまむというカジュアルさもまた、やはりアメリカらしくて肩が凝らない雰囲気を演出している。

    コンソメスープとスナックの味覚のバランスがすばらしく、すでに幸せな心地。思わず頬がゆるみ、A男も私も「おいしいね」とばかり言っている。控えめに2種類だけつまんだが、もう少し取ればよかったとささやかに後悔。

    さて、次はロブスターのサラダ。蒸したロブスターの身だけを取り出し、マヨネーズ風のクリーミーなソースとキャビア、サラダを添えている。新鮮なロブスターは歯ごたえがよく、噛むほどに甘みが増す。キャビアの塩味と絶妙な相性で、マヨネーズソースがまろやかさを添えている。

    次なる皿はフォアグラ。「冷たいフォアグラと温かいフォアグラの結婚」と名付けられたその料理は、その名の通り、2種類のフォアグラが甘みのあるフルーツジャムのようなソースと共に供される。

    私がこのディナーで最も気に入ったのが、この温かいフォアグラだった。ほどよく脂ののったフォアグラが、香ばしくグリルされている。それは霜降りの牛肉に似て、口中で風味豊かにトロリと溶ける。もうたまらん、といった感じである。

    ちなみに今、深夜の12時過ぎだが、猛烈に食欲が沸いてきた。辛い。

    そしてラムチョップ。好みの焼き加減(ミディアム・レア)で供された骨付きのラムは、最早、ナイフとフォームなどを忘れ、手づかみで骨に張り付いた肉もしっかりと食べてしまいたいほど、であった。

    伝統的なフレンチのように、バターソースなどを使った重い料理ではなく、あくまでも新鮮な素材の持ち味を生かし、その風味を引き立てる調理法で出される料理は、ボリュームがあっても胃にもたれることなく、ほどよい加減だった。

    通常、アメリカでフルコースを食すると、途中で満腹になり、とてもデザートまで到達できないのが、この日はデザートも余すところなく楽しんだ。

    ちなみに私はホワイトチョコレートのアイスクリームに、温かくほろ苦いチョコレートソースがかかったもの。A男は5種類のデザートが少量ずつ盛られたサンプル風のデザートをオーダーした。

    満腹度100%でコーヒーで締めくくり、幸せな気持ちで席を立った。

    そういうわけで、幸せな一日だった。

    The Inn at Little Washington
    ➡︎https://theinnatlittlewashington.com/