深海ライブラリ📕
深海の底に眠る過去の記録に光を当てる。揺り起こす。
- 【EARTH】原発事故と地球環境
- 【HEAVEN】亡き人を思う
- 【HOME】家を創る
- 【HOTEL】TAJ MAHAL PALACE / MUMBAI
- 【INTERVIEW】インドの人々
- 【LIFE】Asha-san
- 【LIFE】インドのステキなもの
- 【LIFE】インドの仏教
- 【LIFE】猫、ほか動物
- 【LIFE】異国に暮らす
- 【LIFE】美容/健康
- 【LIFE】芸術/音楽
- 【LIFE】食を巡る物語
- 【LIFE】農業/工芸/環境
- 【LIFE】Wedding in India 2001
- 【LIFE】囚われちゃだめだ
- 【LIFE】教育/道徳/学び
- 【LIFE】歴史/伝統/文化
- 【SOCIAL】血縁/友/社交
- 【SOCIAL】奉仕/慈善/貢献
- 【TERRORISM】ムンバイ同時多発テロ
- 【USA】メールマガジン(2000~2005)
- 【USA】米国時代の記録
- 【WAR】米国911の経験/アフガニスタン
- 【YOUTUBE】教えて! みほ先輩!
- 【娯楽】映画/音楽/スポーツ
- 【旅】インド
- 【旅】インド時代/ 2005~
- 【旅】ムンバイ
- 【旅】異郷の食
- 【旅】米国時代/ 1996~2005
- 【旅】日本時代/ 1985~1995
- 【旅】欧州
- ◎シンガポール
- ◎U.S.A.
- ◎台湾
- ✈︎Airport_Kempegouda
- 🇯🇵天皇皇后両陛下御拝謁
- Uncategorized
- 2026年3月
- 2024年10月
- 2024年8月
- 2023年11月
- 2023年10月
- 2023年8月
- 2023年7月
- 2023年6月
- 2023年5月
- 2023年4月
- 2023年3月
- 2023年2月
- 2023年1月
- 2022年12月
- 2022年11月
- 2022年10月
- 2022年9月
- 2022年8月
- 2022年7月
- 2022年6月
- 2022年5月
- 2022年4月
- 2022年3月
- 2022年2月
- 2022年1月
- 2021年12月
- 2021年11月
- 2021年10月
- 2021年9月
- 2021年8月
- 2021年7月
- 2021年6月
- 2021年5月
- 2021年4月
- 2021年3月
- 2021年2月
- 2020年2月
- 2019年5月
- 2019年1月
- 2018年12月
- 2018年3月
- 2018年2月
- 2017年6月
- 2014年8月
- 2014年6月
- 2014年5月
- 2013年12月
- 2013年11月
- 2013年9月
- 2013年5月
- 2013年3月
- 2012年9月
- 2012年5月
- 2012年3月
- 2012年2月
- 2011年7月
- 2011年6月
- 2011年5月
- 2011年4月
- 2011年3月
- 2010年6月
- 2006年7月
- 2004年6月
- 2003年12月
- 2003年8月
- 2001年7月
- 2001年6月
- 2001年1月
- 2000年2月
recent posts
about
-
年を重ねるほどに、偶然の頻度は高まってきた。以前は、「このごろは、勘が冴えているな」と考えることもあった。しかし、最近は、これもひとつの「年の功」だと感じる。
それは、「偶然」という、あたかも外部から与えられた機会ではなく、経験の蓄積による直感や嗅覚、衝動などの潜在意識が誘引するものでもあるのだ、ということを。
ふと、ひらめいて、書棚から引っ張り出し、カバンに詰め込んで持ってきた11年前に出版された雑誌。
開くなり、梅棹忠夫が語るインド。
「インドが東洋なら、日本は東洋ではない。
日本が東洋なら、インドはもう、ぜんぜん東洋と違う。」インドと日本との、果てしない距離を思わせる一文。
感銘を受けたことすら、忘れていた。
「分類するな。配列せよ。機械的に配列や。大事なのは検索。」
の、言葉に、はっとする。早速、分類をせずに今月のTo do Listを作ってみた。これが意外によくて、驚く。
パラパラとページをめくりながら、最後の記事に目が釘付けに。
ジョージ・ナカシマ。1905年に米国ワシントン州に生まれた日系米国人の建築家。わたしが彼のことを知ったのは、新居の書斎やコーヒーテーブルを作ってくれたアニルを通してだった。コーヒーテーブルの脚の部分をどういうデザインにするか……を相談していたときに、このジョージ・ナカシマのデザイン風にしようと提案してくれたのだ。それを機に、ジョージ・ナカシマの作品が気になり、書籍を購入したのだった。
彼の人生の転機もまた、インドだった。ポンディシェリでSri Aurobindoと出会い、弟子として修行したのだという。
つくづく、どこまでも、インドが滲む。
-
💐七夕の出会い記念日に買った花。
ようやくメインの百合が開き始めたので、週末を過ごす新居に連れてきた。
バンガロールには、上質の花を届けてくれる、すてきなフラワーアレンジメントの店がある。
ひとつは、わたしがバンガロールに移住した当初からあるOHANA fine flowers.
もうひとつは、MEGHAA flowerbox.
どちらもそれぞれに、すてきな花々。
夫婦揃ってCOVID-19に感染し、地味に迎えた記念日の朝。せめて、花でも買おうと思い立ち、今回はOHANAへ注文のメッセージ。
今回は、予算を伝えて、花の種類も色合いも、お任せすることにした。
テーマは、「Love and Affection」とだけ、伝えて。
百合の花、金魚草、トルコキキョウ……どれもわたしの好きな花。
失われていた嗅覚も少しずつ戻り、今日は百合の甘酸っぱい香りを確かめられた。
穏やかな日曜日が、ゆっくりと過ぎていく。
-
*過去、眞代さんのYoutubeチャンネルで公開した『教えて! みほ先輩!』のからゆきさんに関する動画2本を、STUDIO MUSEでもアップロードした。前編/後編の関連情報を、ここにまとめたので、参考にしていただければと思う。
昨年、ヒンディー語教師&インド系Youtuberの眞代さんとのコラボレーションで開始した『教えて! みほ先輩!』のシリーズ。動画は眞代さんの日本語チャンネルでアップロードされることから、主には彼女のリクエストを受けて相談しつつ、テーマを決めている。
今回のテーマは、「からゆきさん」。眞代さんがわたしのライフスタイル・セミナーを見てその存在を知り、ぜひとも取り上げたいということで、今回取り組んだ。比較的、重い内容であり、簡単にさらっと流せる内容でもない。わたしの方でも下調べをして、可能な限りの資料を整え、2時間近くかけて収録した。
それを眞代さんが、前編、後編の2本、それぞれ30分ほどの動画に編集して公開する。動画の編集というのは、その内容にもよるけれど、決して簡単なものではない。この動画を整理するのも、ずいぶんエネルギーと時間を要したはずだ。おかげで、からゆきさんを知らない人たちにも、関心を持って見てもらえる内容になっていると思う。
わたしは、そもそも旅行ガイドブックや雑誌など「紙媒体」の編集者だったこともあり、プレゼンテーションの資料作りや動画作りの編集作業に抵抗はないが、それでも試行錯誤は尽きない。尤もそれは、楽しい試行錯誤。これからも表現方法を変えつつも、シェアしたいテーマを共有していければと思う。
さて、今回は前編。からゆきさんの概要や時代背景、情報を得た媒体の紹介などをしている。かなり見応えのある内容。日清、日露と大国を相手に戦勝していた日本は、しかし一方で国民の暮らしは苦しく、特に九州の熊本や長崎からは、多くの女性たちが「外貨の稼ぎ手」として海外に売り飛ばされていた。
歴史の表舞台からは消されてきた彼女たちの人生の片鱗を、理解してもらえるかと思う。
以下、動画内で使っている資料をシェアするので、確認しつつ、ご覧ください。また、関連動画も下部に添付している。
💝前編の動画👇
💝後編の動画👇
【インド・ライフスタイルセミナー】パラレルワールドが共在するインドを紐解く
①多様性の坩堝インド/多宗教と複雑なコミュニティ/IT産業を中心とした経済成長の背景/現在に息づくガンディの理念
②「広く浅く」インドの歴史(インド・パキスタン分離独立)/インドの二大政党と特筆すべき人物/テロが起こる理由とその背景
③明治維新以降、日本とインドの近代交流史〈前編〉人物から辿る日印航路と綿貿易/からゆきさん/ムンバイ日本人墓地/日本山妙法寺
④明治維新以降、日本とインドの近代交流史〈後編〉第二次世界大戦での日印協調/東京裁判とパール判事/インドから贈られた象/夏目漱石
⑤インド国憲法の草案者、アンベードカルとインド仏教、そして日本人僧侶、佐々井秀嶺上人
🇯🇵神戸で生まれ育ったムンバイ在住のインド人女性たち/日本唯一のジャイナ教寺院を神戸に建立/おいしい豆腐が食べたいあまり、ムンバイで防腐剤不使用の豆腐を販売
-
日曜の午後。まだまだ工事中のご近所を散策する。約200余りのヴィラが連なる、ゲーテッドコミュニティ。完成しているのは10%余りで、生活を始めているのは20数家族。数年のうちには、クラブハウスや商業施設も完成するはずで、そのころには賑やかになるだろう。
Total Environment。この不動産開発会社は、CEO夫婦の志向、趣向を反映した、極めて独特なコンセプトに基づいた家づくりをしている。芸術、音楽、環境、地球……。人々が、生きる上において望まれる要素を、丁寧な「手作り」で満たした空間づくり。
同社の物件を見た当初からそれが感じられ、選んだ。その後、CEOのカマルと会い、話をし、建築に関する趣味の一致を見た。家に対する愛着や情熱をも、理解した。「終の住処」に、この物件を選んで間違いはなかったと、確信もした。
……しかしながら!
工程の遅れは尋常ならない。まだ、開発が始まるまえの2013年。周辺が荒野だったころに購入した。当然のように、竣工が遅れた。さらには工事も遅れた。さらにはCOVID-19も来た。厳密に何年遅れたのか、よくわからないほどに遅れて、かれこれ9年の歳月が流れた。
結果的に、少なくとも我々夫婦にとっては、今がいいタイミング、であったが、だからって、看過できる遅れではなかった。
そもそも急ぎ引っ越す必要がなかった我々でさえ、最後の数年は問題視し始めた。最後の数カ月業を煮やしっぱなしだった。ここに至るまでのドラマがあるからこそ、「いい物件ですよ」と、安易に人に勧める気にはなれない。無論、完成した物件を購入するのであれば、話は別だが。
それでも、物語性が高いこの開発会社や、そこから生まれる家々のことについては、いつかきちんと記しておこうと思う。
🏘
インドに限らず、遍く世界中「住まい」には、その国の地理的条件や気候などの環境をはじめ、文化や伝統、宗教といった各家庭のライフスタイルが色濃く反映される。ゆえに、「家庭訪問」はその国を知る上で、極めて有意義でもある。
わたしは、インド移住直後の2006年から10年余りの長きに亘り、日本の大手広告代理店の研究開発局に在籍されていたクライアント女史に依頼され、実に多様な調査の仕事をさせてもらった。大半の仕事は、クライアント女史がインド出張をされ、デリー、ムンバイ、バンガロール、チェンナイ、コルカタと、各都市にて視察を行ってきた。
町や店舗などを巡る視察をはじめ、そのときどきの調査目的に合わせた企業や団体の訪問なども行った。
中でも、強く印象に残ってるのは、富裕層、中間層、貧困層……と、それぞれの「家庭訪問」による調査だ。対象となる家庭の写真を撮らせていただき、話を聞く。アンケートに答えてもらう。あるいは、世代別のグループ・インタヴューなども。若い世代の意識の変化などには、驚かされることしきりだった。
わたしの役割は、調査の動向とレポートのまとめ。毎度、気が遠くなるほどの膨大な資料をまとめてきたが、まるで「1000本ノック」のようなその仕事は、わたしにとってかけがえのない、貴重な経験だった。無論、そのクライアント以外の仕事もさまざまに受けてきたから、「ただ住んでいる」だけではわからない、この国の側面を見てきた。
だからこそ、知れば知るほどに、この国の深さ広さを思い知らされ、何につけても断言できない事情や背景に思いを馳せることにもなる。逐一、調べる習慣がつく。
話がそれたが、住まい。住まいを見れば、ライフスタイルが垣間見られる。一般にソーシャルライフを重視するインドにおいては特に、住空間は人々との交流を映す鏡のようでもある。
我が家の記録にさえも、ビジネスの着想を得られる人は、きっといるはずだ。というわけで、家の記録はのちのち、「ホーム」というカテゴリーで、ブログにまとめて残そうと思う。
……本題を記すのを忘れていた。
夏は涼しく、冬は暖かく……環境への負担を軽減すべく考えられた建築。屋根の上の、空中庭園。実はここ、住民は登れない場所。危ないからな。しかし、我が家はまだ未完成ということもあり、梯子が放置されている。ということで、登ってみた。
住人からは見えない場所さえ、花が咲いている……。なんという愛らしさ。
-
-
日本旅の余韻、冷めやらぬうちに、週末は別邸へ小旅行。
家具や調度品、キッチン周り……。
まだこれから、調える必要があるけれど。
お湯も出るし、ガスもきた。Wifiも繋がった。取り敢えずは、住める。
昨日は初めて「ガス」を使い、料理をした。
その前に大切な儀礼を行う。
「牛乳を噴きこぼれるまで沸騰させる」。
これは、新居で初めてガスコンロを使う際の、ヒンドゥー教の儀礼。
新たな住まいでの食生活を祝福し、暮らしの繁栄を願う。
温めた牛乳を少し飲み、そうして、初めての夕食を調理する。
ようやく、この家が、呼吸を始めたような気がした。
この家の様子については、これから少しずつ、紹介していこうと思う。
しばしば尋ねられる、家具などの調達先についても、また。
まずは、わたしのお気に入りの場所「月光ライブラリ」。
まだ、少しの本しか運び込んでいないけれど。
Jaipur Rugsで購入した、まるで月のような、カーペット。
店舗には置かれていなかったが、ネットで調べているときに見つけた。
見た瞬間、「これだ」と思い、店舗に取り寄せてもらったのだった。
天窓からの陽光を、あるいは月光を受けながら。
座って、立って、寝転んで……。本に触れ合える場所。
-
昨日、バンガロール西部郊外へ赴いた。開店翌日のIKEAを訪れるためだ。本来、開店間際の場所は混雑するから、避けたいところ。商品はオンラインでも購入できる。しかし、新居のための「実用的な」収納家具など、買う前に見ておきたかった。
インド最大のスケールだという、途轍もなく広大な店舗に入るには、セキュリティチェックやマスクを着用が必須。館内は、平日にも関わらず、大勢の家族連れで賑わっている。今から15年ほど前、インドの各地でショッピングモールが誕生し始めたころは、「観光気分」で訪れる人たちが多かった。しかし、昨日のIKEAは明らかに違った。
ここに来れば、とりあえずの家具調度品がすべて調達できるとあって、真剣に商品を吟味する人たちが多く見られた。インドの家づくりは、極めて困難。分散する業者をまとめて、諸々を手配する労力はかなりのものだから、インテリアデザイナーにコーディネーションを託す富裕層も多い。
中流層が利用する街中の家具店なども、家族経営など小規模のビジネスが多い。キラナ(街中の小さな便利商店)と同様、品揃えも対応も悪くないところが多いが、いかんせん、複数の店を「東奔西走」せねばならず、時間と労力が必要だ。
そんなインドにあって、IKEAの在り方は画期的だと、改めて思う。かなり手頃な予算から、そこそこいいお値段まで、広めの価格設定がされている商品。また、インド製の商品もアピールされ、インドの住宅事情を鑑みた商品のアプローチがなされている。
カスタムメイドの収納棚、キッチンの棚の機能性、エンターテインメント用の設備、子供部屋用の家具など……。
驚くほどに広いフードコートは、学食か社食を思わせる賑わい。それでなくても「人手過剰」なインドにおいて、ここで働くスタッフは軽く1000人を超えているだろうと思われる。
家具店……とは、即ち暮らし。ライフ。地元の小売店への影響。雇用機会の発生……。その背景にも、関心が広がる。インドの人々の「ライフ」の断片を語るべく、昨日感じた諸々をレポートしたいところだが、とめどないので割愛。
ちなみに「街中を東奔西走」する必要はなかったが、店内の広さを身を以って実感。気付かぬうちに、次々と別のコーナーに入り込んでいて、迷宮状態。ここでの買い物もまた、かなりの労力と根気を要すると実感した。
……というわけで、最後は、個人的な思い出話で締めくくろう。
わたしが初めてIKEAを訪れたのは、忘れもしない1997年のニューヨーク。結婚前、夫と一緒に暮らし始めたときに、家具を揃えにきたのだ。すべての家具をわたしが組み立てる羽目に陥った遠いあの日。当時のことを、ちょうど去年のロックダウンの時期、Clubhouseで語りつつ録音し、ポッドキャストに残していた。「54分」のあたりで、夫と暮らし始めた当初の、引っ越しやIKEAで家具を購入した際のエピソードを語っている。自分で聞き直しつつ、だいぶ面白い。
🇮🇳国際結婚、我が家の場合① 出会いは25年前のNY。なぜわたしはインドへ住みに来たのだろう。
➡︎https://anchor.fm/museindia/episodes/002-25NY-ev7hk8 -
思い返せば、目まぐるしい数カ月だった。
COVID-19オミクロン株の感染が落ち着きをみせ、世の中が再び動き始めた3月ごろから、日本への一時帰国の前に、なるたけ新居(別邸)を整えようと、動き続けた。
インテリア・コーディネータがやるような仕事は、個人的には好きだし、現場監督をするのも得意な方だ。とはいえ、振り返れば、たいへんな労力を要した。遅れに遅れに遅れていた工程を、なんとか5月下旬からの日本出発までにひと段落させたくて奔走した。
それにしても、出発の3日前に引っ越しのプージャー(儀礼)をし、「お試しステイ」をするなど、なにもかもがぎりぎりだった。
ぎりぎりだったが、8割方を調えることができて、よかったと思う。今後は、自分に負担をかけることなく、少しずつゆっくりと時間をかけて家を育てよう。
来週あたり、様子を見に行こう……。
と思っていたのだが!
世界はわたしを、じっとさせてはくれない。なんなんですかもう。
諸事情あって、昨日は新居へ。折しもモディ首相がバンガロールへご来訪。首相が通過する道が、驚くべき突貫工事で麗しく舗装されている様子などが各所で報告されると同時に、「モディ、うちの近所も通過してくれ!」的な声が上がっている。
なにしろ人手過剰なインド。適切なイニシアティヴと相応の技術、働き手のモチヴェーションなどが揃ったうえで本気を出せば、びっくりするような速度とクオリティで物事を成し遂げてくれる。
ただ、滅多に(ほとんど)本気を出してくれないのが、玉に瑕。そんなにもがんばる理由が、特にないんだろうね。かくなる次第で、空港へのハイウェイが閉鎖されており、一般道を通過せねばならず、無駄に時間が流れる。ランチ前に予定されていた打ち合わせに間に合わず、結局、夫と二人、先日も紹介した一大スポーツセンター、THE PADUKONE-DRAVID CENTRE FOR SPORTS EXCELLENCE (CSE)へ。この施設内にあるカフェレストランAmiel Gourmetの料理は本当においしいのだ。
昨日はサラダに「本日のおすすめ」な、マッシュルームのラビオリ、そしてチキンバーガーをシェア。ラビオリはあまり好みではなく、普段はあまり注文しないのだが、これはトリュフオイルの風味もよく、とてもおいしかった。3匹の子猫たちもいて、かわいかった。
予定より遥かに時間がかかったあげく、夕暮れ時。帰路はハイウェイも開通していて速やかに戻れた。
3週間の旅の記録を整理したり、思うところをまとめたり、動画を作ったり……。ひとつひとつ、丁寧に片付けよう。記録は財産だと、わたしにとってだけでなく、わたしに関わってくれた人たちにとっても……ということを、今回の旅でも痛感したから。
ところで本日は、モディ首相が国連に提唱し、採択されたところの「国際ヨガの日」。詳細は以下のブログに記している。今日は少し、ヨガをやろうかな。
◎今こそ古来の叡智を見直そう。インド政府「AYUSH省」サイトが役立つ
➡︎https://museindia.typepad.jp/bangalorenote/2020/04/ayush.html -
Subhas Chandra Bose devoted his life to the Indian independence movement. Why is he still waiting in a corner of Tokyo, unable to return to his home country India?
He is said to have died in an accident at the airport in Taipei on August 18, 1945. His remains were then entrusted to this Renko-ji Temple via Asha’s (Asako’s) mother.
To this day, there has been no verification as to whether or not they are really Bose’s remains. Even though the Presidents and Prime Ministers of India have visited here.
There may be various political circumstances. But already, an immense amount of time has passed. Please let him go back to India!!
インドの独立を獲得するために戦った、スバス・チャンドラ・ボース。第二次世界大戦中、彼が率いるインド国民軍と日本軍との結びつきは深かった。
彼は、1945年8月18日、台北の空港で事故死したとされている。その後、彼の遺骨は朝子(アーシャ)の母親を経て、この蓮光寺に託された。
本当にボースの遺骨なのかどうか、検証がされないまま、今日に至る。インドの大統領や総理大臣が、ここに参拝してきたにもかかわらず。
どうして、いまだに、インドへ帰ることができないのか。諸々の政治的な事情もあるのだろう。しかしもう、絶大なる歳月が流れた。
彼をインドへ、お連れしたい。
⬇︎日本旅3週間を詰め込んだ動画。どうぞお楽しみください💝
⬇︎パラレルワールドが共在するインドを紐解く/セミナー動画 ④明治維新以降、日本とインドの近代交流史〈後編〉第二次世界大戦での日印協調/東京裁判とパール判事/インドから贈られた象/夏目漱石




















































































































