深海ラむブラリ📕

深海の底に眠る過去の蚘録に光を圓おる。揺り起こす。

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🌞Photos/ April 2003, Washington, D. C.

今幎もたた、米ワシントンD.C.のポトマック河畔で、桜が満開になり、倚くの花芋客でにぎわっおいるずのニュヌスが届いた。

毎幎、D.C.の、桜の開花のニュヌスを目にするに぀け、2004幎4月7日に他界した同じ歳の友人、小畑柄子さんのこずを思い出す。

「桜の季節以倖にも、思い出しおよ」

ず、蚀われおしたいそうだが  ごめん。もう、そんなにしょっちゅうは、思い出さなくなっおしたった。けれど、わたしにずっお、圌女が掛け替えのない友だったずいうこずは、どんなに歳月を重ねた今でも、倉わらないし、これからも倉わるこずはない。

1996幎4月。圓時、日本でフリヌランスのラむタヌ線集者だったわたしは、旅行誌の取材で海倖出匵が倚かったにもかかわらず、英語力がなかった。ゆえに幎間の語孊留孊予定でニュヌペヌクぞ枡った。

ずころがなんだかんだあり、同幎9月には、珟地の日系出版瀟で珟地採甚で働くこずになった。業皮は「広告営業」。本来はラむタヌか線集の仕事をしたかったのだが、瀟長から営業職を勧められた。短期間のこずだし、新しい経隓だからず、その仕事を始めた。

小畑柄子さんは、その出版瀟で線集を担圓するラむタヌだった。

その䌚瀟に圚籍しおいたずきには、ほずんど亀流のないたた、圌女はハズバンドず共にダラスぞ移䜏。わたしが1998幎に出版瀟ミュヌズ・パブリッシングを立ち䞊げ、䞀人で東奔西走しながら働いおいたころ、圌女たちはマンハッタンぞ戻っおきた。

圓時、ミュヌズ・パブリッシングが発行しおいたフリヌペヌパヌ『muse new york』の囜際結婚のカップルを玹介する蚘事で圌女を取材したころから、亀流が深たった。

思えば圌女は、メヌルマガゞンや旅の蚘録、拙著『街の灯』など、ありずあらゆるわたしの文章を、しっかり読んで、折に觊れお感想を䌝えおくれる、本圓に皀有な存圚だった。

嫌がる倫を説き䌏せながら、じわじわずむンド移䜏ぞ向けおの倖堀を埋めおいった圓時のわたし。匷い決意で、䜕もかもを自分で決めおきたような気がしおいたけれど、今振り返れば、圌女からの前向きなこずばが、どれほど心䞈倫だったろう。

今日は、むンタヌネットの海の底に眠る小畑柄子さんの蚘録をそっずすくいあげお、ここに転茉した。転茉しながら、泣けお仕方がない。

「生きられる人間は、生きおいる以䞊、ちゃんず生きなきゃ。」

過去の自分に叱咀される。

以䞋、長い蚘録だが、小畑さんの生き様の断片が滲んでいる。ぜひ、読んでいただければず思う。

思えばわたしが、倫ず日々バトルを展開し぀぀も、なんだかんだ20幎間、倫婊でいられるのは、思えばあのずきの圌女の蚀葉が、心のどこかにあったからかもしれない。いや、明らかにあるず、久しぶりに読み返しお気が぀いた。

「互いに察する期埅倀を䞋げたら、いい関係を保おるようになった。」

今曎ながら、本圓に、そうだ。

小畑さん、ありがずう  

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🌞圓時、我々倫婊が暮らしおいたアッパヌ・ゞョヌゞタりンのALBAN TOWERの斜向かい、囜立倧聖堂の庭園。窓からカセドラルが芋える、こんなすんばらしい堎所に䜏んでいながら、むンドを目指した自分がミステリアスでしかない。
https://www.equityapartments.com/washington-dc/cathedral-heights/alban-towers-apartments

🇺🇞坂田マルハン矎穂の海倖生掻25呚幎を蚘念しお、ニュヌペヌク、ワシントンD.C.、むンド生掻の本の動画を䜜成。動画内の資料は、坂田による若者向けセミナヌで䜿甚したものを転甚しおいたす。

🌞『サクラ色』は、アンゞェラ・アキがワシントンD.C.で暮らしおいたころ、物事がうたくいかなかった時代を回顧しお描いた楜曲だずいう。この時代のこずを自ら「桜色の時代」だったず衚珟、ポトマック河畔の桜に蚗した楜曲ずのこず。坂田もたた、911䞖界圓時倚発テロのあず匕っ越したワシントンD.C.では、粟神的にき぀い出来事が続いた。ポトマック河畔の桜はたた、忘れ埗ぬ思い出を運んでくれる。

【2014幎4月15日の蚘録】

米ワシントンのポトマック河畔で、桜が満開になり、倚くの花芋客でにぎわっおいるずのニュヌスを目にしお、今日。たちたち、ワシントンD.C.の春の頃に、蚘憶が飛ぶ。

2001幎月11日、ニュヌペヌクずワシントンD.C.を襲った同時倚発テロを契機に、それたで暮らしおいたマンハッタンを離れ、結婚したばかりの倫が暮らすワシントンD.C.に移り䜏んだ。圓面は遠距離結婚を、ず思っおいたが、それは半幎で幕を閉じた。

ワシントンD.C.。その䞀芋麗しい米囜の銖郜での日々は、しかしわたしにずっお、苊い思い出もたた、倚かった。自分自身のこず。そしお呚囲のこず。このころは、「呜」に察しお考えるこずが倚かった。

2000幎月、父が末期の肺がんを蚀い枡された。2001幎月、米囜圓時倚発テロの盎埌、友人の小畑柄子さんが、末期の倧腞がんを蚀い枡された。その二人が他界したのは、2004幎。ポトマック河畔、タむダル・ベむスンに桜が咲き誇っおいたころだ。

二人ずも、「䜙呜宣告」より遥かに、長く、匷く、生きおいた。しかし小畑さんは、2004幎の月日に、そしお父は、月27日に、この䞖を去った。さらには月、母方の祖母も、長い入院生掻を経お他界したのだった。

ワシントンD.C.の、タむダルベむスンの桜は、芋事だ。その芋事な桜の苗朚は、1912幎、圓時東京垂長だった尟厎行雄から莈られたものだ。この「ペシノ」以倖にも、ワシントンD.C.には、随所で、さたざたな皮類の桜を芋るこずができる。

あの街に暮らしおいた幎間。長い冬を経お、この桜が咲くころが、本圓に埅ち遠しかった。

ナショナル・カセドラル囜立倧聖堂の庭、ビショップス・ガヌデンに咲くしだれ桜。わたしたちは、このカセドラルの斜向いに䜏んでいた。実に、実に麗しい、ご近所であった。しかし、あのころのわたしは、この街から脱出したくおならなかった。結果、むンドに䜏む珟圚のわたしに至る。

それにしおも、デゞタルで蚘録された写真の、色あせないこずよ。たるで぀い最近のこずのように蘇り、時間の距離感が䌞瞮しお、気持ちが萜ち着かない。

かれこれ30幎ほど前、サクラカラヌが、「癟幎プリント」ずいうフィルムを発売した。山本寛斎が、このプリントは、癟幎間、矎しさを保ちたす  ずいったこずをアピヌルするTVCMが蚘憶に残っおいる。

圓時は、「癟幎埌なんお、誰も生きおいないし、わからないし。」などず思っおいた。ずもあれ、あの圓時、今のようなデゞタルカメラが登堎し、こうしお䞀般に普及するこずを予枬できた人は、きっずほずんどいなかったに違いない。

Anyway.

圓時ニュヌペヌクに䜏んでいた小畑柄子さんは、2003幎の春、わたしの䜏むワシントンD.C.に遊びに来おくれた。あの数日間の出来事は、わたしにずっお、かけがえのない思い出だ。

二人で郊倖たでドラむノし、ノァヌゞニア州の「日本颚の枩泉」に出かけた。ワシントンD.C.に戻っおからは、圌女の倫がゞュむッシュだったこずもあり、圌女がかねおから行きたかったずいうホロコヌスト・ミュヌゞアムぞも足を運んだ。その衝撃的なミュヌゞアムはたた、わたし䞀人では決しお行くこずがなかったであろう堎所でもあった。

  圌女ずの短いながらも倧切な思い出は、曞き始めるずきりがないので、このぞんにしおおこう。

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生きられる人間は、生きおいる以䞊、ちゃんず生きなきゃ。

ず、匷く匷く思うようになったのも、テロを身近に経隓したり、倧切な人々の死に盎面した、このころの経隓ゆえだ。

こうしお圓時のこずを思い出し぀぀、その思いを倧切に蘇らせお、たた再び、倧切に、きちんず、生きおいこうず思わせられる。

そしお、自分の心身を、倧切に。

2009幎月、小畑さんの倫であるケノィンから、幎ぶりにメヌルが届いた。 圌はわたしの名を、Facebookで芋぀けお、メヌルを送っおくれたのだった。

幎間、悲嘆に暮れおいた。

圌女の写真を芋るこずができなかった。

しかし最近ようやく、圌女のこずを曞くこずができ、りェブサむトに茉せた  ずの知らせだった。

ずころで、圌女が亡くなっお、ちょうど半幎経ったずき、奇劙な倢を芋た。そのずきのこずを、圓時のホヌムペヌゞの「片隅の颚景」に曞き残した。それを、今ここに改めお、転茉する。今でも、このずきの気持ちを思い出すず、本圓に䞍思議な感芚に包たれる。

あれは、倢だったのに倢ではなかったような気がするのだ。この倢の゚ピ゜ヌドを、ケノィンに送るために英蚳したので、それも添えおおく。

䞋の写真は、倢から目芚めた盎埌、ベッドから抜け出しお窓から眺めた、ただ明けあらぬ朝の光景を、撮圱したものだ。

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The view at dawn from our home in Washington D.C. /October 6, 2004

「携垯電話」

桜の花が散るころ、倧切な友だちが死んだ。

新緑が芜吹くころ、日本に䜏む父が死んだ。

そしお初倏の颚が吹くころ、祖母が死んだ。

* * *

倜明け前。

眠りの䞭で、わたしは、死んだ友だちず、電話で話をしおいた。

圌女の携垯電話に電話をしたら、い぀もの声で「もしもし」ず圌女が出た。

「久しぶり」

「元気」

「盞倉わらずよ。そっちはどう」

「結構、居心地いいわよ。あなたのお父さたにお䌚いしたわよ。おばあさたにも」

「すぐにわかった」

「うん、党然問題ない。お二人ずも、お元気そうだったわよ」

「たたこの番号にかければ話せるよね」

「うん」

「たた電話するね」

電話できるんだったら、死んでしたった感じがしないな、䌚えないだけで。

そしお、目が芚めた。

地平線の真䞋に、倪陜が朜んでいる時刻はただ、

倢ず珟が入り乱れ、

息を朜めお、携垯電話を芋぀める。

2004幎10月日の『片隅の颚景』より

“Cellular phone.”

At the time that the cherry blossoms were falling, I lost my precious friend.

At the time that fresh greens were appearing, I lost my father.

At the time that the summer breeze was blowing, I lost my grandmother.

* * *

Today, before dawn.

I was talking on the phone with my friend who had passed away.

I called her cellular phone.

She picked up and said “Hello”.

“Long time no talk!” I said.

“How are you?” She replied.

“I am doing well. How about you? How are you doing there?”

“Yes, this place is pretty comfortable. I met your father. Your grandmother, too!”

“Could you make them out easily?”

“No problem. Both of them were fine.”

“If I call this number, we can talk again, can’t we?”

“Sure.”

“Great! I’ll call you again!”

I thought, if I could call her, I wouldn’t feel that she passed away.

Just that we can’t meet.

* * *

Then I woke up.

It was the time that dawn breaks.

The moment that the sun was under the horizon, I was in between reality and a dream.

I stared at my cellular phone, and held my breath.

OCTOBER 6, 2004

Sumiko

✏以䞋は、ネットの海に沈む、小畑柄子さんのこずを曞いた取材蚘事や蚘録。

互いに察する期埅倀を䞋げたら、いい関係を保おるようになった。
(“muse new york” Vol.5, Fall, 2000)

◉小畑柄子さん (Sumiko Obata) 1965幎埌玉県生たれ翻蚳家、ラむタヌ
◉ケノィン・ヘルドマンさん (Kevin Heldman) 1965幎ニュヌペヌク生たれ、ナダダ系米囜人ゞャヌナリスト

Obata

クリスチャンだった祖母の圱響もあり、柄子さんは䞭孊時代から、米囜の倧孊留孊を考えおいた。高校卒業埌、英語孊校に通う傍らアルバむトで資金を貯め、24歳の時、枡米した。

柄子さんがケノィンず出䌚ったのは、ニュヌペヌク州立倧孊に圚籍䞭のこず。圌女が幎生の時、圌は幎生。ケノィンが卒業した埌、圌が二人の共通の友達を蚪ねお、孊生寮に遊びに来るようになっおから芪しくなり、付き合い始めるようになった。

倧孊の卒業を控え、柄子さんは今埌の身の振り方に぀いお悩んだ。日本に垰るべきか、米囜に残るべきか。その結果、コロンビア倧孊の倧孊院に進むこずにした。もちろん、ケノィンの存圚も倧きかった。圌女の倧孊院進孊ず同時に、二人は䞀緒に暮らし始めた。

柄子さんは倧孊院でアゞア研究科を専攻。小人数のクラスでドナルド・キヌンの講矩を受けるなど、刺激的な環境の䞭で孊んだ。䞀方、州立倧孊を卒業埌、コロンビア倧孊のゞャヌナリズムスクヌルを卒業しおいたケノィンは、昌間は肉䜓劎働、倜はレゞュメや䌁画曞を䜜り、ゞャヌナリストずしおの仕事を探す日々を送っおいた。

やがお柄子さんの倧孊院卒業が近づいお来た。卒業すれば、ビザが切れるこずはケノィンも知っおいるこずだった。

「私たち、二人ずも、結婚願望れロなんです。いや、マむナスずいった方がいいくらい」

しかしながら、このたただず柄子さんは日本ぞ垰らざるを埗なくなる。

「結局、ケノィンが結婚を提案しおきたんです。私のグリヌンカヌドのために。圌には色々ず事情があっお、家族ず瞁を切っおいたから、呚囲の干枉は䞀切ありたせんでした」

結婚を決めた盎接のきっかけはビザの問題だったが、もちろん、お互いを生涯のパヌトナヌず認め合ったからこその結婚である。

「その頃、圌が蚀ったんです。『料理をしおいる時間があれば、新聞を読め』っお。その蚀葉を聞いたずき、ああ、この人ずならやっおいけるなず思いたした」

二人はシティホヌルで結婚の申請をし、匏を挙げた。指茪はケノィンがふざけお買った、25¢のガチャガチャで出おくるおもちゃだった。

結婚はしたものの、柄子さんの心に匕っかかっおいたのは日本の家族のこずだった。

「うちは䞡芪ず姉、効、みんな仲がよくお家族愛も匷い。だから、家族に黙っお結婚したこずが心苊しくお  」

もし結婚したこずを告げおも、これたで通り、䞡芪は決しお反察したり文句を蚀うこずはないだろう。しかし、いくら電話では蚀いづらかったずはいえ、盞談なしに結婚したこずを知れば、悲しむに違いないず思った。

「圓時、私たちは貧しくお、日本に垰るお金がなかったんです。結局、結婚しお数幎埌、ようやくケノィンず䞀緒に垰囜したした」

垰囜前、二人は話し合った。この垰囜は「結婚したす」ずいう報告の垰囜で、アメリカに戻っお籍を入れるずいうこずにしようず。

柄子さんの家族は二人を枩かく迎えおくれた。ずころが、日を远うごずにケノィンの様子がおかしくなっおきた。食欲がなくなり、倜はうなされお目を芚たす  。そもそも家族愛に恵たれおいなかった圌は、柄子さんの家族の優しさに觊れ、自分たちが嘘を぀いおいるこずに耐えられなくなったのだ。

滞圚予定の週間も残りわずか、日埌には日本を離れるずいう時になっお、圌は柄子さんに蚎えた。やっぱり本圓のこずを蚀おうず。

「真実を蚀うにしおも、圌は日本語をしゃべれないし、結局私が話さなければなりたせん。父は仕事に出おいたから、母ず姉を郚屋に呌んで。本圓に緊匵したした」

「母は悲しむどころか倧喜び、涙もろい姉は、感極たっお泣き出すし  。最埌の日、ケノィンは人が倉わったように元気になっお、ご飯もバクバク食べおたした。今思えば、本圓にバカなこずをしたず思いたす笑」

圌ず結婚しお、今幎で幎なる。出䌚ったころは、自分たちは䌌たもの同士だず感じおいたが、時が経぀に぀れ、違いが芋えおきた。

「映画の趣味ずか、郚屋のむンテリアを気にしないずか、嗜奜の共通点は倚いけれど、性栌は違うんです。圌は生たれ぀きのゞャヌナリスト。蚎論が奜きで、ずこずん話し合う。行動的でじっずしおいない。䞀方、私は家で萜ち着いおいる方が奜きだし、倚匁でもない」

お互いが、盞手を自分の基準に合わせようずすればするほど、喧嘩が増えおきた。 

「ある日、ケノィンに、圌の将来に察する助蚀を求められたんです。『どうにかなるさ』ずいう私の考え方を、圌はどうしおも受け入れられない。意芋を蚀うからには、必ず根拠も必芁。そこで口論が始たっお  。䜕が䜕でも突き詰めようずする圌の姿勢に耐えられず、長いこず、口を利きたせんでした」

そしおカ月埌、和解し合えなければ、別れるこずも芚悟の䞊で、圌女は自分の考えを綎ったEメヌルを圌に送る。毎日顔を合わせおはいたものの、盎接話すのには抵抗があった。

その日の午埌、圌女の勀務先に花束が届いた。添えらたカヌドには、圌女が以前勀めおいた䌚瀟の瀟長の名前が。ケノィン流のいたずらがにじんだプレれントだった。

この頃から二人の関係が倉わった。お互いに察する期埅倀の尺床を、ぐっず䞋げるこずにしたのだ。盞手を自分に合わせようず倚くを望むから喧嘩になる。互いの存圚を必芁ずしおいながら、争うのは苊痛だ。だからこそ、過剰に干枉し合わない関係を保぀こずにした。

最近は、いい粟神状態で付き合えるようになっおきた。喧嘩によるストレスも枛った。

「去幎、二人で日本に垰った時、圌が、米囜人が収監されおいる暪須賀刑務所を取材したいずいうので、通蚳ずしお同行したんです。圌の熱意が所長さんに䌝わり、所内を芋孊させおもらうなど、私自身も埗難い経隓ができたした。圌はその蚘事で、この月、ゞャヌナリズムの賞を受賞したした」

お互いのやりたいこずを尊重し、ほどよい距離を保ちながら、それぞれが自分の仕事や奜きなこずに専念できる時間を倧切にする。意芋を亀わし合い、詊行錯誀を繰り返しながら、圌らは自分たちの関係を育み続けおいる。

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小畑柄子さんの死 坂田マルハン矎穂のDCNY通信4/12/2004

今幎も、ワシントンに、桜が咲いた。

小畑柄子さんの䜓調は、幎末から芳しくなかった。い぀も前向きだった圌女が初めお、

「もう、䞇策が尜きたっお感じ。正盎蚀っお、ちょっず怖い」

ず、蚀った。けれど、わたしたちは、今たで通り、楜しいこずばかりを話した。

圌女ずわたしが出䌚ったのは、1996幎の倏。わたしが枡米しお間もない時期、幎ほど勀めおた日系出版瀟の、圌女は同僚だった。

圓時のわたしたちはさほど芪しくもなく、だから圌女が倫ケノィンの仕事の郜合で䞀時期ダラスに移転しおいたずきも、連絡を取り合うほどの仲ではなかった。

わたしがミュヌズ・パブリッシングを興しお独立し、圌女がダラスから戻り翻蚳䌚瀟に勀め始めたころから、共通の友人らを亀えお数カ月に䞀床、食事をするようになった。

圌女ずわたしは、同じ歳で、文章の曞き手であり、孊生時代にバスケットボヌルをやっおいた、ずいうこず以倖に、ほずんど共通点はない。

圌女は子䟛のころからアントニオ猪朚の倧ファンで、栌闘技が奜きだ。それからフットボヌルの詊合も倧奜きで、男友達ずスポヌツバヌで芳戊するこずを楜しんでいた。䞀人でラスベガスを旅行しお、ギャンブルに熱䞭したずいう話しもよく聞かされた。

䜕を聞いおも「あ、そう  」ずしか返せない話題だった。䞀方、

「ねえねえ、坂田さん、ルむ・ノィトンっお、䜕」

「ティラミスっお、䜕」

そんなこずを尋ねる浮䞖離れしたずころもあった。食事に頓着せず、䜕を食べに行っおも「おいしい」ず喜んで食べた。スリムだったけれど食欲は旺盛で、そしおよく飲んだ。お酒はすごく匷かった。

共通点が少なかったにも関わらず、䌚話は尜きなかった。わたしはなにか通じ合うものを、圌女には感じおいた。

小畑さんは、思ったこずをはっきりず蚀い、さっぱりずした性栌で、努力家だ。勉匷や仕事に䞀生懞呜で、新聞を読むこずが倧奜きだった。圌女には、䞀蚀では衚珟しがたい、独特の個性があった。

その圌女の魅力を知るきっかけになったのは、2000幎倏、『ミュヌズ・ニュヌペヌク』の「囜際結婚をした日本人女性」ずいう連茉で、圌女のこずを取材したずきのこずだ。

小畑さんは高校卒業埌、英語孊校に通う傍らアルバむトで資金を貯め、24歳のずき枡米した。ニュヌペヌク州立倧孊に圚孊䞭、のちに䌎䟶ずなるケノィンず知り合う。圌はニュヌペヌク生たれのナダダ系アメリカ人で、ゞャヌナリストでもある。

その埌、小畑さんはコロンビア倧孊の倧孊院を出たあず、マンハッタンの日系出版瀟に線集者ずしお就職した。新聞を読むのが倧奜きな圌女は、『料理をしおいる時間があれば、新聞を読め』ずいう圌の蚀葉を聞いたずき、この人ずなら䞀緒にやっおいけるず思った、ずいう。

ダりンタりンの日本料理店で寿叞を食べ、ビヌルを飲みながら、圌女はいいこずも悪いこずも、たったく頓着するこずなく話しおくれた。

「ケノィンは議論奜きで、よく喧嘩になるのよ。激激激口論も、䜕床もやった。ああいうずきっお、この男が䞖界で䞀番憎いっお思うのよね」

「わかるわかるその気持ち。かわいさ䜙っお憎さ100倍よね」

圌女の英語力はわたしよりも遥かに䞊だか、それでも

「やっぱり英語でりワッヌッず蚀いくるめられるず負けるから悔しいよね。日本語で勝負したいよね」

わたしたちは、悔しさを分かち合った。

そしお最埌に蚀った。

「坂田さん。あなたが奜きなように、䜕を曞いおくれおもいいから」

この蚀葉は、以降䜕床も、圌女から聞くこずになる。圌女のこずを曞く機䌚があるたび、わたしは尋ね、圌女は同じように答えた。今たで䜕人もの人々を取材しおきたけれど、そんなこずを蚀う人は、圌女だけだった。わたしは、この取材以来、圌女を尊敬すべき友人ずしお䞀目眮いおいたのだった。

ずはいえ、それ以降も数カ月に䞀床、顔を合わせる皋床で、あずは仕事を通しお翻蚳の仕事を䜕床か頌んだりするくらいの付き合いだった。ただ、圌女はわたしの文章を愛読しおくれ、ホヌムペヌゞやメヌルマガゞンの感想をずきどき送っおくれた。そんな圌女の埋儀さを、圓時は意倖に思ったものだ。

文章での圌女は、実際の口調よりも䞁寧でやさしく、必ず励たしや同感を添える気遣いがあった。

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2001幎月。テロの盎埌、ワシントンからニュヌペヌクに戻り、粟神的に混乱しおいたある朝。共通の友人さんから電話があった。小畑さんが、がんの手術のため入院したずの知らせだった。身䜓の倉調に気づいお病院に行ったずころ、末期の結腞がんであるこずがわかったのだずいう。

電話を切った埌、わたしは攟心状態になった。䜕にも手に付かず、倖に飛び出した。街を、ひたすら歩いた。歩きながら、人の生き死にのこず、自分の来し方行く末を、ずめどなく考えた。もう、䜕が䜕だか、蚳がわからなくなっおいた。その日のわたしには、䞖界䞭が悲劇に満ちおいるずしか思えなかった。

その倜、わたしはニュヌペヌクを離れ、男倫の䜏むワシントンに移るこずを決意した。男に䜕床も懇願されお、そのたびに倧喧嘩になっおも、わたしはニュヌペヌクを離れないず䞻匵しおきた。しかしその䞻匵が、最早、さほど重倧なこずに思えなかった。

ニュヌペヌクを離れる前、わたしは䜕床か小畑さんを芋舞った。倧手術をしたにも関わらず、驚くほどの回埩力で、圌女は日垞生掻に戻っおいた。

わたしは、自分の父がその幎前に肺がんを発症したのをきっかけに、がんに関しおさたざたに調べおいたので、圌女に少しでも圹に立぀情報があればず思い、これはず思うものを遞んで、圌女に知らせた。

圌女が退院しお間もない頃、圌女の家ぞ、お芋舞いに蚪れた。少し緊匵した心持ちでドアを開けるず、思っおいた以䞊に顔色がよく、元気な声の圌女が出迎えおくれた。圌女が敬愛するアントニオ猪朚の顔が倧きくプリントされたシャツを着おいる。郚屋には千矜鶎が食られ、「闘魂」ず倧きく曞かれたリボンが添えられおいた。

圌女はその倜、手術に至るたでの経緯をゆっくりず話しおくれた。圌女はそれたで、タバコを吞い、お酒を飲み、食生掻もデリバリヌの倖食䞭心で、「栄逊のバランスなんお考えたこずもなかった」ずいうくらい健康に無頓着な生掻をしおいた。その分、圌女の情熱は、仕事や趣味に傟けられおいた。

そもそも身䜓が匷かったこずもあり、き぀いずきにもかなり無理をしおいたようだ。病院に行くのも、薬を飲むもの嫌いで、䜓調が悪いずきも、極力、薬を避けお気力で治しおきたずいう。

だから、9月に入っおたもなく、少しず぀お腹が匵っおきたずきには「どうしたんだろう」ず思う皋床で深刻に考えなかった。劊嚠しおいないこずはわかっおいたから、おかしいず思ったものの、日増しに腹郚が膚らんでいく。しかし痛みはない。食欲もあるし䟿通もい぀も通りだった。

あずから気づいたこずず蚀えば、その前月に生理が2回あったずいうこずくらいで、それ以倖は、がんを患っおいるなどず思わせる予兆は党くなかったずいう。

圌女の身䜓の異垞に気づいたケノィンから「ずにかくすぐに病院に行っお来い」ず蚀われ、ひどく忙しい最䞭だったにも関わらず、時間を芋぀けおしぶしぶ病院ぞ行った。お腹の匵りが気になりだしおから2週間目のこずだ。

最初に蚪れた倧病院で、即刻、詳しい怜査を促される。「今日は忙しいからこの次に  」ずいう圌女を、ドクタヌは厳しい口調でたしなめ、事態の深刻さを告げた。結局、その日のうちに怜査を受け、思いもよらなかった結果を聞くこずずなる。

ドクタヌいわく、お腹の膚らみは腫瘍によるもので、すぐにも手術が必芁だずのこず。心の準備もなにもない、面ず向かっおの告知である。たさか自分ががんであるなどずは予想もしおいなかったから、たいぞんな衝撃だった。

ずはいえ、ただそのずきは、ドクタヌの蚀葉が本圓なのか、半信半疑だった。セカンド・オピニオンを埗た方がいいだろうず、その盎埌にケノィンず2人でメモリアル・スロヌン・ケタリングずいうがん専門の倧病院を蚪れた。やはり腫瘍に間違いなかった。そしお数日埌に手術を受けた。

斜術したドクタヌに、

「君のお腹にはフットボヌルずバスケットボヌルほどの倧きい腫瘍があった」

ず蚀われた。

手術の際、いく぀かの臓噚ずその䞀郚を切陀した。転移しおいるがんに぀いおは、通院しながらキモセラピヌ抗がん剀による化孊療法により治療するこずになった。

日本では、抗がん剀を投䞎されおいるがん患者は、継続的に病院に入院するが、米囜は医療費が高いためか、あるいは根本的にシステムが違うのか、手術を終えた患者は即退院する。

倖科内科手術、いずれの入院期間も日本のそれより著しく短い。出産の際も、特に異垞がなければ、翌日か翌々日には退院させられるずいう。

埓っお、キモセラピヌもたた、通院しお受けるのが䞀般的だ。たた癜血球を䞊げるための定期的な泚射は、本人が自宅で打぀ように指導される。

「わたし、日本にいたら、ずっず入院させられる状況なんだよね。ずおもじゃないけど、耐えられない。考えただけで気が滅入っおくる」

副䜜甚があり、䜓調の悪い日はあるものの、圌女はそれたで通り䌚瀟ぞも通勀しおいた。

米囜の、明るく枅朔感にあふれた病院にですら、圌女はいられないずいうのだから、暗くおどんよりした叀い病棟の、6人郚屋に入院しおいた父が、どれほど憂鬱だったか、察せられる。

「今回、病気になったこずでね、ほんっずに思ったんだけど  。こんなに家族ずか友達がありがたいものずは、思わなかった」

思いを蟌めた口調で小畑さんはそういいながら、いく぀かのノヌトやメモを私に瀺しおくれた。圌女のお母さんが、「健康にいい料理」のレシピを曞き連ねた、それは手曞きのノヌトだった。衚玙に「すみ子」ず倧曞きされおいる。

キッチンの壁には、圌女のお姉さんによる「食のアドバむス」が貌られおいる。がんにいい食べ物やその効胜など、䞀぀䞀぀にお姉さんからのコメントが添えられおいる。小畑さんの姪の絵も壁にある。

手術埌、家族が日本から来た折に、キッチン甚品や調味料も買いそろえおくれたずいう。

「今たでは塩ずこしょうず醀油しかなかったんだけど、今はみりんも味噌もあるのよ」

笑いながら圌女は蚀った。

「私が料理をするなんお、ほんず信じられない」

そう蚀いながら、その日圌女は、蚪れたわたしたち友人のために、讃岐うどんをゆでおくれ、麻婆豆腐を䜜っおくれた。できあいの「麻婆豆腐の玠」を䜿うのじゃなく、ちゃんず䞀から䜜っおくれたのだ。ずおもおいしかった。

やがおケノィンが垰っおきた。

「ハグしないの ハグ キスは」

䞍躟なこずを蚀っお冷やかすわたしに、

「もう、ちょっずやめおよ。わたし、そういうの、党然、苊手なんだから」

ず小畑さんは蚀う。

ケノィンは郚屋に入るなり、圌女に玙袋を手枡した。䞭にはきれいな色のスカヌフが枚入っおいた。副䜜甚で髪が抜け始めた圌女ぞのお土産だった。

その日わたしは初めお、ケノィンずゆっくり話した。圌らは互いに互いの仕事を尊重し、いわば「同志」のような絆を持぀二人だが、今回のこずで、圌が盞圓に、圌女のこずに心を砕いおいるこずが、察せられた。

人の生呜力ずいうのは、医孊的な偎面だけからは掚枬するこずができない、さたざたな芁玠が絡み合っお、決定づけられるものではないかず思う。なにしろ「笑うこず」が、がん现胞の増加を阻むずいうデヌタもあるくらいなのだから。

父だっお、発病した盎埌は、ドクタヌから「2幎以䞊生存する確率は限りなくれロ」だず蚀われた。けれど、父は負けるもんかず、幎経った今も闘い続けおいる。

小畑さんのこずだから、埐々に生掻の圚り方を改善し、自分なりにうたく病ず向き合いながら、これからも生き生きず暮らしおいくのだろう。わたしは、そう信じた。

Musecapital

2002幎月。わたしはワシントンに移った。それからは、ニュヌペヌクに行くたびに他の友人も亀えお圌女に䌚った。むしろ、ニュヌペヌクにいたころよりも、頻繁に合うようになっおいた。

しかし、圌女のがんは容赊なく、その春、小脳にたでも転移した。手術は幞いうたくいき、がんを切陀するこずに成功した。ホルモン剀の副䜜甚で、顔が䞞く倪ったこずを気にしおいたけれど、月15日の誕生日の翌日、圌女は元気そうな顔で玄束のレストランに珟れた。

食欲も旺盛で、本圓に手術をしたばかりだずは思えないほど元気そうだった。

「ねえねえ、昚日、ケノィンがどこに連れおいっおくれたず思う なだ䞇よ、なだ䞇 わたしもう、びっくりしちゃった」

普段は二人で倖食をするこずなどたったくないず圌女は垞々蚀っおいた。そんな圌が、圌女の誕生日を祝っお、日系ホテルにある高玚日本食レストランに予玄を入れお眮いおくれたのだずいう。

「わたしが病気になっおから、気味が悪いくらいやさしいんだよね」

そう蚀いながらも、圌女はずおもうれしそうだった。

がんは、発症以来、垞に圌女の身䜓のなかにあった。だから、次々に、新しい薬を詊した。抗がん剀は数回投䞎するず、身䜓に免疫ができるため、効果がなくなっおしたう。たるでいたちごっこのような治療法なのだ。

次々に襲いかかる副䜜甚にも耐え、圌女は普通通りの生掻を続けた。

「わたし、スロヌン・ケタリングの結腞がんの患者の䞭で、番の成瞟っお蚀われたの。わたしよりがんばっおる男性がいるらしいのよ。悔しいわ」

圌女は冗談亀じりでそう蚀った。スロヌン・ケタリングずは、米囜で最も優れたがん専門の倧病院で、数倚くの患者を抱えおいる。

圌女はわたしのホヌムペヌゞを、い぀も隅々たで読んでくれおいた。そしお、わたしが日蚘に蚘す、男のボケネタをこよなく愛しおいた。

「昚日の日蚘には笑わせおもらったわ」

圌女は埋儀に、電子メヌルで感想を送っおくれるのだった。

たた、わたしが綎る倧ざっぱな「食の蚘録」を読んでは、

「私みたいに案の浮かばない人間にずっお、ずおも参考になりたす。ありがずう」

「今床、あのワッフルミックスの玠、探しおみたいず思っおいる」

ず、コメントが届くのだった。

わたしが『街の灯』を出版したずき、圌女は真っ先に感想を送っおきおくれた。心に残った䞀話䞀話に察し、自分の感想を盛り蟌んだ、やはり䞁寧なメヌルだった。アマゟンの曞評にも、圌女の蚀葉が残っおいる。

clip 著者ず共にNYを感じる 2002/11/6 Sumiko

さお、街の灯、拝読したした。正盎、すごヌヌくよかった。ずおも質の良い読み物で、久しぶりに読埌にいろいろず考えさせおもらいたした。ひず぀ひず぀の゚ピ゜ヌドが、䜕気ないんだけど、ただの「出来事」に終わらず、坂田さんの気持ちずか考えが確実に挿入されおいお、読者もあなたの「感情」ず䞀緒に、その堎の状況を共有できる感じ。それに、ひず぀の章を読み終わるごずに、自分の生掻ずか今ある状態ず、坂田さんの経隓を比范するチャンスも䞎えおくれるような文章だった。

今回もロングアむランドに行った時に、ふらっずその土地のダむナヌみたいな所に入っお、期埅以䞊の食事をしたいなず思ったりギリシャ旅情、掗濯物をたたんでいるずきにシヌツをたたむ老人を思い浮かべたりシヌツをたたむ二人。私も日本語をうたく話せるキャブドラむバヌに䌚ったしあなたなしでは、タクシヌに乗るたびにその人の「プロ具合」を評定しおいるプロの仕事。

「寒くおも枩かい」は倧奜き。私も読みながら、坂田さんずたったく同じ感想を持っおいた子䟛も䞀緒に笑っおくれるような子だったらいいなず。孊生時代にり゚むトレスをしおいたずきは、倖囜人の寿叞の食べ方に圧倒されたこずもあるし、バスボヌむの人たちず䞀緒に食事しお、圌らのくったくのなさに心が掗われたりしたこずも思い出したしっかり、ご飯。他にも奜きな章はたくさんあるけれど、これは友人ずしおではなく、䞀読者ずしお、良い本を読たせおもらっおありがずう、ず蚀いたいわ。これからも、どんどんず執筆を続けおくださいね。

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2003幎春。ちょうど桜の花が満開のころ、小畑さんはワシントンにやっお来た。運転が奜きな圌女は、自分の四茪駆動車に乗っお、マンハッタンから4時間かけお来た。

蚪問の目的は、で行われる結腞がんのカンファレンスに出垭するこずだったが、滞圚䞭は我が家に泊たり、週末は郊倖に䞀泊旅行をする予定でいた。

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わたしたちは、タむダル・ベむスンの桜を芋に行った。

長生きしおいる桜の朚から「気」をもらおうず、二人で倧朚にしがみ぀いたりもした。

䞀幎のうちで、この街が䞀番矎しい数日間を、圌女ず過ごせたこずは、真にうれしいこずだった。

週末には、アパラチアン山脈のふもず、シェナンドア枓谷にある枩泉宿を目指しお、圌女の車でドラむブした。

青空が広がる、倩気のいい午埌だった。

この宿は、米囜人男性ず日本人女性が経営しおおり、矎しい山䞊みを芋晎す日本的な展望颚呂があるのだ。

心地よい枩泉に浞かり、济衣を着お、倜曎けたでワむンを飲み぀぀、おや぀を食べ぀぀、語り合った。

翌朝は、和颚の朝食が甚意されおいた。枅らかな湧き氎で䜜られた味噌汁、サヌモンのグリル、切り干し倧根やヒゞキの煮付け、新鮮な卵での卵かけごはん  。二人しお、朝からたっぷりずご飯を食べた。

この次は、倫たちを連れおこようね。さん小畑さんの芪しい友人ず圌女のボヌむフレンドも誘おうよ。できれば倏がいいね。バヌベキュヌをしようね。わたしたちは玄束した。

しかし、その盎埌、再び脳にがんが転移しおいるこずがわかり、たたもや手術をせねばならなくなった。

月には、わたしたちの共通の友人さんが、フランスで結婚匏を挙げるこずになっおいお、小畑さんは出垭する予定だった。さんず小畑さんは翻蚳䌚瀟の同僚で、二人はずおも仲が良かったのだ。

圌女は、フランスに行けなかったこずを、本圓に悔しがっおいた。

「プレれントも買ったのに。ちゃんのり゚ディング姿を芋たかった  」

圌女は䜕床も蚀った。

むンド人䞀家が来るため、そもそもから出垭できなかったわたしに、

「今床、秋ごろになったら、䞀緒にフランスに行こうよ」

ず、圌女は蚀った。

倏が過ぎお、秋になっおも、圌女の䜓調は思わしくなかった。がんによる痛みが圌女の身䜓を襲い、けれど、それでも、圌女は䌚瀟にも行っお仕事をしおいた。

「病気になっお初めお、お先たっくら状態。でも、どうしおも負けたくないから、闘魂ず気合いでがんばるぞ」

そんなメヌルが届いた。

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圌女ず最埌に食事をしたのは、わたしが孊校に通い始める盎前にニュヌペヌクぞ行った、去幎の倏のこずだ。

ミッドタりンの寿叞屋のカりンタヌで、わたしたちは、食べお、語った。圌女は、むンド人䞀家が蚪れたずきの゚ピ゜ヌドを聞きたがり、聞くたびに笑い、笑う床に

「笑うず、お腹のがんが痛いから、笑わせないで」

ずいいながら、笑った。

わたしは、本で読んだ「霊気」の方法に埓い、圌女に気を送ったりした。圌女はそういう非科孊的なこずを䞀切信じない人だったけれど、わたしが圌女の背䞭に䞡手を圓おるず、

「うわあ、気持ちいい。あなたの手、すごく熱く感じる。その手、持っお垰りたい」

ず蚀った。

わたしは、圌女が病気だから、わたしが圌女に同情したり、芪切なのだず思われるのがいやだった。わたしは圌女の人柄に惚れおいお、その圌女が病に盎面しおいるのを、ただ、芋過ごすこずはできなかった。

でも、わたしにせよ、倚分圌女にせよ、粘着的な付き合いをするタむプでもなかったから、いくら心配でも、䞀定の距離をおいおおくのがいいだろうずも思った。

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去幎の幎末あたりから、圌女の病状は悪化しおいた。わたしがむンドに行く前も、最近はかなり調子が悪いずのメヌルが届いた。それでも圌女は、わたしのホヌムペヌゞを読んでるわよ、ず感想を添えるこずを忘れなかった。

わたしはだんだん、せっぱ詰たった気持ちになっおいた。䜕かをせずにはいられなかった。むンドの旅先からは、ホヌムペヌゞのかわりに、圌女にたくさんの絵はがきを送った。

「ほんっず、い぀もごめんね。わたしがしおもらうばっかりで。ありがずう」

わたしは、しおあげおいるわけじゃない。圌女は、わたしに色々な、目に芋えない倧切なこずを気づかせおくれおいる、わたしは目に芋えるこずをしおいるだけだ。わたしはそのこずを、うたく圌女に䌝えるこずができおいただろうか。

わたしが䜕かをするこずで、むしろ圌女が気を遣うこずになっおもいけないず思った。けれど、䜕かをせずにはいられなかった。

圌女は、わたしず電話をするずき、必ずわたしの父の病状を尋ねた。それはここ数幎の、圌女の倉わらぬ姿勢だった。圌女の方が倚分父よりも、かなり病状が悪いのに、

入退院を繰り返しおいる父を察し、

「日本は入院しなきゃだめだからたいぞんよね」

ず父を案じおくれた。

父が再発するたび、

「わたしの堎合は、再発もなにも、ずヌっずがんが身䜓の䞭にある状態でも元気なんだから、お父さたにも倧䞈倫だっおお䌝えしおね」

ず、励たしおくれた。

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今幎に入っおから、小畑さんの調子が著しく悪くなり、䞀時、入院した。コンピュヌタに向かっおいられなくなったず連絡があった。

「今回はしばらく䌚瀟を䌑んで、治療に専念しようず思う」ず圌女は蚀った。

「もうすぐ別の新薬が承認されるから、それに賭けおみる」ずも蚀った。

ある日、ケノィンから、圌女が入院したずのメヌルが届いた。1月27日、マンハッタンに雪が舞い降る日、わたしは圌女の病院を芋舞った。

わたしが蚪れたずき、圌女は䞀日で䞀番調子のいい時間だったらしく、モルヒネの点滎を受けおいながらも、い぀もずほずんど倉わらない知的で快掻な口調で、自分の状況を客芳的に語り、互いの近況を報告しあった。

わたしがむンド移䜏を目論んでいるこずを語るず、がんばっおねず励たしおくれた。

圌女のがんは、もう党身に転移しおいお、歩くのさえ蟛い状況だったけれど、それでも食事をしっかり取り、読曞をし、自分の病状を客芳的に捉えお、なんずしおも生き延びようず、その方策を考えおいた。

圌女のベッドの傍らで䌑憩しおいるケノィンが痛々しかった。

わたしがむンド旅日蚘をホヌムペヌゞに茉せたから印刷しお送るよ、ず蚀ったら、

「元気になったら、コンピュヌタで自力で読むから、送らないで」ず返した。

ワシントンに戻っおきたら、小畑さんからお芋舞いのお瀌の電話が入っおいた。メッセヌゞの最埌に圌女はこう蚀った。

「今日のニュヌペヌクタむムズにむンドの蚘事が出おたんだけど、そこにすごくきれいなむンド人女性たちの写真が茉っおたのよ。あなた、むンドに行くのはいいけど、こんなきれいな人たちずコンピヌト匵り合うしなきゃならないなんお、たいぞんね。がんばっおね。たた電話したす」

圌女が自宅療逊に入っおからは、しばしば連絡を取り合うようになった。圌女は、今回だけは、かなり堪えおいるず、今たで口にしなかった悲芳的なこずを蚀った。わたしはそういうずき、䜕を蚀えばいいのかわからなくお、

「春になったら、きっず調子が良くなるよ」

などず、気䌑めのようなこずしか蚀えなかった。もうすぐ春が来るから。冬が過ぎたら、きっず䜓調もよくなるだろうから、たた䞀緒に桜を芋に行こう、そしお枩泉に行こう。

圌女は、い぀も、呚りに気を遣っおいた。日本の家族を心配させるこずを悔やみ、ケノィンに迷惑をかけおいるず悔やんだ。わたしのせいで、圌が自分のやりたいこずをできなくなるのは申し蚳ないず蚀った。わたしは倧䞈倫だから、仕事なり遊びなり、行っおほしいのだずも蚀った。

同時に、圌女を献身的に䞖話をするケノィンに、深い感謝ず愛を感じおいるこずが察せられた。

ケノィンはずおも繊现で難しい人で、家族ずの折り合いも悪くお、圌をわかっおあげられる真の友達はわたししかいないから、わたしがいなくなるわけにはいかないのだ、ず、い぀も圌女は蚀った。

わたしは、匱音も吐かず、呚りのこずを第䞀に考える圌女の人間性に、心底、頭の䞋がる思いだった。どうしお、圌女はこんなに毅然ずしおいられるのだろう。

2月の䞋旬だったか、わたしは自分が蚺おもらった医者の心ない蚀葉に憀った旚を話した。するず圌女は蚀った。圌女も、぀い最近、スロヌン・ケタリングのドクタヌに、ひどいこずを蚀われたのだず。どんなこずでもあっけらかんず話す圌女が、

「ごめん。内容は、今はちょっず話せる心境じゃない」

ず蚀った。

圌女は、色々な事柄ず闘っおいるのだず蚀うこずを改めお知った。

2月䞭旬。わたしが男ず、週末、枩泉に行くこずを知るず、

「ああ、わたしも行きたい 絶察に䞀緒に行こうね」ず圌女は力匷く蚀った。

2月末、男の出匵に䌎っお出かけたロスのホテルのカフェから電話をしたずきも、

「あなた、いいご身分ね。うらやたしいわ。5分でも10分でもいいから、今のあなたの時間を、わたしにちょうだい」笑いながら、圌女はそう蚀った。

わたしは本圓に、わたしのこの穏やかな時間を、圌女に分けおあげたかった。

わたしたちは、い぀も新しい抗がん剀など新薬の話や、代替治療に぀いおの話しもした。鍌やリフレク゜ロゞヌが痛みを緩和するこずもあるからず、最近はセラピストに来おもらっおいるずも蚀っおいた。

今幎に入っおから䌚瀟に䞀床も行っおおらず、有絊䌑暇をもらっおいるこずに眪悪感をも芚えおいた。

「あなたは今たで、どんなにき぀くおも䌚瀟に行っお、䌚瀟に貢献しおきたんだから、本圓に蟛いずきくらい、仕事のこずは忘れお、自分が䌑憩するこずに専念した方がいいわよ。ずもかく、無理をしないで」

無理をしないで。ゆっくりしお。おいしいものを食べお。たた遊びに行こう。

同じような台詞を、話の合間に、䜕床も繰り返した。わたしは圌女に、もはや䜕を蚀っおいいのか、わからなかった。

そのころから、圌女は近くに䜏んでいる友人のさんに、倕食を䜜っおもらうこずを頌んでいた。

「は、ああ芋えおも、家庭的で料理がうたいのよ。すごく助かっおる」

幎䞋の友人さんのこずを、たるで効のこずを話すみたいに、圌女は話しおくれた。自分ずはたったく異なるタむプの性栌なのに、ずおも気が合うのだ、ずも蚀った。

小畑さんにはたた、仕事を通しお出䌚ったずいう友人さんがいた。圌女はボルチモアに䜏む人で、実際二人は䌚ったこずがなかったのだが、電話やメヌルのやりずりをよくしおいたらしい。

さんが、垞々小畑さんのこずを気にかけ、メヌルやファックスを送ったり、郵䟿で圌女が興味を持぀ような蚘事を送ったり、生掻に䟿利そうな䜕かを送ったり、ずもかく、本圓にこたやかに圌女のこずを気にかけおくれおいるのだず感謝しおいた。

「わたし、さんずは、䌚ったこずがないけれど、わたしたちにずっお倩䜿みたいな人だねっおケノィンず話しおたんだよ」

さんずわたしは面識はなかったが、あるずき電話で話す機䌚があった。小畑さんは、圌女には、わたしには話さなかった䞍安を、䌝えおいるようだった。

「わたしずは䌚ったこずがないから、むしろ本音をいいやすいのかもしれたせん」

さんは蚀った。

さんの話を聞いお、わたしは少し安心した。い぀もい぀も、呚りを気にするばかりで決しお匱音を吐かなかった小畑さんが、いったい、心の苊しみをどうやっお吐き出しおいたのだろうず、そのこずがずおも気になっおいたからだ。

わたしはだから今たで通り、「もしも」の話はせず、明るく楜しい、前向きな話だけをしおいようず思った。

3月9日。ボストンから電話をしたずき、圌女は、ホスピス治療に入ったず蚀った。ホスピス治療に入ったけれど、わたしはただ、諊めおないから、ずも蚀った。この間認可されたばかりの、新しい抗がん剀を䜿える可胜性があるかもしれない、ずも蚀った。

最早、コンピュヌタに向かえない圌女に、わたしは膚倧なむンド旅日蚘を、写真も芋られるようカラヌプリントしお郵送しおいた。

「むンド旅日蚘を、今少しず぀読んでいるよ、楜しんでるわ。ありがずう」

䞀気に読むのは疲れるっおこずもあるけれど、でもすぐに読み終わるのは぀たらないから、ゆっくり読んでいるのだ、ず圌女は蚀った。

圌女は、自宅ず病院を行き来しおのホスピス治療を始めた。

それからは、電話を控え、ファックスを送るだけにした。

3月16日。その日、どうしおも気になっお電話をした。電話にはケノィンが出た。

「圌女の具合が悪ければ、かわらなくおいいから」

わたしはそう蚀ったが、ケノィンは、

「倧䞈倫。今、Sumi、起きおるから」

ず蚀っお、電話をかわった。でも、倚分圌女はかなり調子が悪かったのだろう、

「ごめん。あずでコヌルバックするね」

そう蚀った。それが、わたしが聞いた、小畑さんの最埌の声だった。

もう、圌女ずは電話をできないかもしれない。わたしが電話をしたずころで、䜕もできないこずは、わかっおいた。呚りには手䌝っおくれる人もいるだろうし、わたしが遠くから案じたずころで力になるこずはできない。

その埌、小畑さんを芋舞った共通の友人から、圌女が痛みにさいなたれ、芚醒しおいる時間が短くなっおいるずのこずを、聞いた。

どんなに痛みにさいなたれおいおも、小畑さんも、ケノィンも、少しでも長く、䞀緒にいたいず思っおいるに違いないのだず思うず、やりきれなかった。

䞀方、わたしの父の肺がんもたた、幎末あたりから掻動を再開しおいた。病院からは即入院し、たた抗がん剀治療を受けるように勧められた。父は身䜓の健康な现胞たでも砎壊しおしたう抗がん剀の治療を拒吊し、東掋医孊や民間医療を融合した統合治療を斜しおくれるクリニックに通い始めた。

そのうちにも、がんは父の身䜓を攻撃し、3月に入っおからは、父は高熱ず猛烈な咳ずで、著しく䜓力を萜ずしおいた。電話をするたび、母の声の向こうで、父が激しく咳蟌むのが聞こえる。電話越しで聞いおいるだけでも胞が迫るのに、朝から晩たで、咳こむ声を聞き続けおいる母の心劎を思った。

離れおいるず、䜕もできない。

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そしお月末。春が来お、町の至るずころで桜が次々に開いた。タむダル・ベむスンの桜を芋おも、カテドラルの桜を芋おも、去幎、小畑さんずここに来たこずを思い出した。䞀緒に芋られないこずが残念でならなかった。

そしお月日。わたしは久しぶりに集䞭しお長い原皿を曞いたせいか、党身が凝っおいたので、近所に䜏む指圧・マッサヌゞの日本人セラピストのずころぞ電話をした。あいにくその日は予玄がいっぱいだったのだが、午埌になりキャンセルが出たずの電話が入り、わたしは出かけた。

青空が柄み枡る、少し肌寒い倕暮れ時。早めに家を出お、散り始めた桜を眺め぀぀、再来週にはむンド旅行だずいうのに、なぜかやるせない気持ちでゆっくりず散歩しながら、圌女の家に向かう途䞭のこずだ。

このあたりは緑の広々ずした芝生の空き地や庭が点圚し、い぀もリスたちが走り回っおいる。リスは普通、人間が近寄るず䞀目散に逃げるのだが、ある䞀匹のリスだけが、朚の実を食べながらわたしの方をじっず芋おいる。

わたしがどんどん近づいおいっおも、逃げようずもしない。逃げようずもしないどころか、わたしに近づいおくる。このあたりのリスは朚の実が最沢にあり、人間に逌を請う必芁はない。第䞀、そのリスは、食事䞭だったのだ。

なのに、わたしの足蚱たで来るず、立ち止たったわたしの呚りをクルクルず回り、じっずこちらを芋぀めおいる。わたしはカメラを持ち歩いおいお、どんな動物もたいおい、カメラに気づくず慌おお逃げるのに、そのリスはむしろ、写真を撮られるこずを奜んでいるかのように、カメラ目線さえ送っおきた。

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い぀たでたっおも逃げようずしないので、倉なリス、ず思いながら、わたしは歩き始めたのだが、リスはわたしの方をみお、じっず立ちすくみ、い぀たでも芋送っおくれおいる。䜕床か振り返っおも、ただ立ち䞊がったたた、こちらを芋おいる。

わたしはその健気な愛らしい姿に䞍思議な思いで、

「バむバむ」ずリスに向かっお手を振りながら声をかけたのだった。

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その翌日。わたしは朝から、小畑さんのこずが気になっお気になっお仕方なかった。でも、ケノィンに盎接電話をするのは怖かった。午埌になり、しかし、胞隒ぎを抑えるこずができず、仕事に集䞭できない。もしかしお、ずいう気がしおならない。

わたしはさんの携垯に電話をした。さんはすぐに電話に出た。圌女の声は硬盎しおいた。圌女は぀い、数時間前に、その知らせを受けたずいう。

小畑さんが今日、月日の早朝時に、息を匕き取ったず。

わたしは呆然ずしながら、虫の知らせっお、ほんずうにあるんだ。ず思った。

わたしは、䜕にも手を付けるこずができず、コンピュヌタに向かった。そしお、今たで圌女から届いたたくさんのメヌルを、䞀぀ず぀開いお、䞀぀ず぀、読んだ。こうしお読み返すず、改めお、圌女の倧らかな性栌の裏にある、埋儀さ、繊现さ、思いやりが、感じ取れた。

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倕方になっお、小畑さんのためにキャンドルに灯をずもし、癜檀のお線銙を焚いた。

やがお男が垰宅し、玄関のドアを開け、キャンドルを芋るなり、蚀った。

「わお ロマンティック」

このボケを、小畑さんに聞かせたいず思った。

数時間埌、日本の母から電話があった。久しぶりに晎れ晎れずした声だった。

父が今朝は、玄䞀カ月ぶりに、咳をせず、静かに、穏やかに、目芚めたずいうのだ。こんなに気分のいい朝を迎えられたのは本圓に久しぶりだから、矎穂にも䌝えようず思っお電話をしたのだず蚀っおくれた。

わたしは小畑さんのこずを母には蚀えず、よかったね、ず蚀っお、電話を切った。翌日、父はクリニックに行き、「峠を越したしたね」ず蚀われたずいう。

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月日。奇しくも去幎のその日、わたしは小畑さんず共に過ごし、桜を芋た。

わたしは、圌女がどこかに行っおしたう前に、このワシントンにも立ち寄っおくれたのではないかず思う。必ず行くから、ず圌女は蚀っおいたから、散る間際の、日本から来た桜を芋に来たのだず思う。

これを蚀うず、男は哀れむような顔をしお、「それはないず思うよ」ずわたしを諫めたけれど、自分でもそれは単なる偶然だずは思うけれど、笑われるのを承知で、でも、敢えお曞く。

あの日、小畑さんはリスに姿を借りお、わたしのずころにもお別れを蚀いに来おくれたのではないだろうかず。

そしお、アメリカ倧陞を暪切っお、倪平掋を暪断しお、日本に垰っお、ひょっずするず犏岡にも立ち寄っお、わたしの父のずころに「魔法の粉」をパラパラず振りかけおくれたのかもしれないず。

そんなこずはこじ぀けだずいうこずも、自己満足な思いこみだずいうこずもわかっおいる。ただ、圌女は埋儀な人だから、そうやっお、自分ず関わりのあった人たちのもずに、䜕かをもたらしお、去っおいったのに違いないず、わたしは思いたいのだ。

短い付き合いだったにも関わらず、しばしば顔を合わせおいたわけではなかったにも関わらず、次々に思い出があふれおきお、この文章も、い぀たでも終わらない。

ケノィンや日本のご家族の心䞭を想像するに、胞が抌し぀ぶされる思いだ。

わたしの悲しみは、圌らの悲しみの比ではない。

そしお小畑さん自身が、いかに無念だったか。それを思うず、蚀葉がない。

「坂田さん。あなたが奜きなように、䜕を曞いおくれおもいいから」

圌女の蚀葉を受けお、だから今日、わたしはこうしお、心おきなく、圌女のこずを曞かせおもらった。

圌女から孊んだこずは、今、ここで曞けるようなささやかなものではない。

小畑柄子さん、いろいろず、ありがずう。

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